吉田さんが四季折々に撮影した竹田城跡の写真が並ぶ「天空の城 竹田城跡号」の車内
(京都鉄道博物館の地域連携イベントにて)
自宅寝室の窓の向こうに、古城山のシルエットがほのかに浮かぶ。
「この天候なら、あの撮影スポットから絶好のシャッターチャンスが狙えるはずだ。」
夜明け前の町を抜け、吉田さんは今日もカメラを携え竹田城跡の撮影スポットへと向かう。
カメラとの出会いは昭和23年頃。
「カメラ販売の職場に就職した小学校時代の同級生が、当時はまだ珍しかった国産カメラのサンプル品をくれたんです。」
その後、本格的に始まった国内製造をきっかけに一台目となるアサヒペンタックスを購入。アマチュア写真家としての一歩を踏み出した。
「県の職員になってからも、現場写真をはじめ防災ヘリコプターからの撮影をよく頼まれました。好きなカメラを仕事にも活かせていたんです。」
それは平成7年に起きた、阪神・淡路大震災の現場でも大いに役立った。
87歳を迎えた現在でも自宅にいる時間は少なく、興味のあるものを撮るためなら日本のみならず世界中を駆け回っている
日本赤十字社のボランティアリーダーでもある吉田さんは、震災発生の朝、日赤兵庫県支部からの要請を受け、和田山からカメラを片手に被災地へ入った。
「あくまでも自己完結型のボランティアとして、震災の朝9時には神戸にいました。」
その後、延べ65日間にわたり、救急現場からの無線の対応をはじめ救急車や救援物資の運搬車の先導等の業務に従事するとともに、神戸市内の地震被害をカメラに収め続けた。
阪神淡路大震災当日の灘区付近(吉田さん提供)
「40年以上にわたるボランティア活動で、奉仕の精神が身についた」と笑う吉田さん。定年で職場を離れた現在は、行政の刊行物をはじめ観光パンフレットやホームページ、その他ラッピング電車など、「朝来市の風景として使用されている写真は、私が撮影したものも少なくありません」との言葉通り、依頼があればすべて無償で提供。撮影のため、重さ20キロにもなる機材を背負い、山に登ることもあるという。また地元の道の駅では、所属している和田山写真クラブのメンバーおよそ15人と共に、作品の展示活動を12年間続けているほか、朝来市、養父市、福知山市の公民館では写真教室の講師も務めている。
そんな吉田さんに、平成19年11月1日、朝日新聞社から一本の電話が入った。
長きにわたり日本赤十字社のボランティアを務める
「雲の上に浮かぶ竹田城跡の写真が撮れませんか?」
新聞社からの電話を受けた日から、3日目に依頼された写真を撮影。新聞社に送った写真は、その日の夕刊の地方版に、さらに翌朝には全国版の一面に大きく掲載された。
「朝来にそんなところがあるのかって、反響がすごかったんです。竹田城跡が世に出るきっかけになりました。」
その後、テレビや新聞、雑誌の取材をはじめ、カメラマンや観光客が城跡に押し寄せ、平成26年には観光客数が58万人を突破。吉田さんは「天空の城」「日本のマチュピチュ」ブームの立役者となった。
「私にとっては、幼い頃から慣れ親しんだ当たり前の風景でしたが、石垣だけが残る城跡が『天空の城』というイメージにつながる写真となったことで、観光スポットになりました。もしお城が残っていたら、今のように有名にはならなかったのではないかと思うんです。雲の上に浮かんだように見える石垣があるだけ。それがかえって、さぞかし立派な城があったのだろうと想像させ、ロマンを誘ったんですね。」
目にする人が夢を抱ける風景写真を撮り続けるために、必要なことは「我慢すること」だと語る。
雲海に浮かぶ竹田城跡(秋)
朝陽に照らさた雲海が黄金に光りシルエットが美しい竹田城跡
「写真は、偶然との出会いです。」
風景を撮るということは、24時間365日待機しているということだと言う吉田さん。
「例えば、朝焼けを撮っただけなら当たり前の風景ですが、時折、太陽の光が真っ赤な柱になって写ることがあります。その現象が起きない限り、いくら撮ろうと思っても撮れません。想定外の一瞬の輝きが絶景につながるんです。私が年200回以上も竹田城跡に足を運ぶ理由はそれです。時間や季節によって異なる姿があります。同じ写真は二度と撮れません。偶然に出会えるか、出会えないか。風景を撮影する魅力は、そこにあるんです。」
そんな吉田さんが朝来市の絶景をカメラに収められる理由は、もうひとつある。半世紀以上もの間、山に登り地域を歩いたことで、竹田城跡の歴史や古城山の地質、地元の地形を誰よりも深く知り尽くしていることだ。
「わかっているので、イメージを描きやすいんです。朝の冷え込み具合で霧が深そうだとか、この天候なら今夜は星が出るなと想像がつきます。丘陵地の勾配、けもの道、誰も知らない撮影ポイントを熟知した上でシャッターが切れるのは、幸せなことです。」
次の目標は「まだこの世に存在していない、誰もが感動する一枚を撮ること」と話す吉田さん。「いい写真を撮るためには、いい風景づくりから始めなくては」と、5年前から取り組んでいることがある。
天気が良い時は、ほぼ毎日カメラ片手に撮影に向かい、帰宅後はパソコンに向かって画像の確認・編集を行う
いい風景を探し求める吉田さんの目に留まったのは、朝来市から福知山市にかけて広がる夜久野(やくの)高原だった。
「市が管理している高原の一部を花公園にしたいと思い、協力を求めることからスタートしました。竹田城跡に観光客が集中するのは早朝です。昼間も人が集まり、朝来市で一日過ごしてもらえる観光スポットを作れば朝来市の発展につながると、各方面に交渉し理解を取り付けたかったんです。」
自身が会長を務める和田山写真クラブのメンバーと共に、原野のような土地の開拓から取り組み始めた。
「見渡す限りなだらかな起伏が続く丘にある、およそ6.4ヘクタールの畑に一年目はコスモスを咲かせました。内陸部であるにもかかわらず、太陽が地平線から昇り地平線に沈むんです。早朝には霧も出ます。聞いただけでは信じない人が多いんですが、一度見ると本当だったと感動してもらえるはずです。」
その後もひまわりやソバ、ネギ、黒豆など、様々な花や野菜を育ててきた。猛暑の夏に一人で作業をしていたら、近所の農家の人たちが手伝いに出てくれるようになった。
「この市有地の中の幹線道路の両側に、メインの桜のトンネルを作るため2月中には植樹が完了します。地元の集落が管理する藤の花の公園や、隣町である夜久野町のまちづくりグループとも協力して、景観をもっと活かした花の公園を作りたい。過疎化が進む朝来市へ、人を呼べるのは観光です。夜久野高原は、景色を活かすことで北海道の美瑛にも似た、素晴らしい観光地にできると思っています。」
そのために、近隣の自治体やまちづくりグループの協力を仰ごうと、夜久野高原のイメージビデオを自ら制作。「朝来市の見どころは、竹田城跡だけではないことを伝えるために、奮闘しています」と笑う。
70年間の風景撮影を通して地元を知り尽くしてきた吉田さんが、ファインダー越しに捉えていたもの。それは、目に映るままの風景だけではなかった。
吉田さん達が育てたコスモス畑が一面に広がる(夜久野高原)
和田山写真クラブのメンバーが撮影した竹田城跡や夜久野高原など朝来市で撮影された美しい写真が並ぶ(道の駅まほろば)
「花一輪にも見るべきものがあります。花びらを外からだけ見て美しいという人もいれば、雄しべや雌しべまでのぞきこんで美しいという人もいる。偶然の一瞬を撮影できる人とは、一般の人が気付かないところに目がいき、気付かないものを見いだせる人です。これは、普段から見ようとする意識を養っておけば、自然と身につくもの。じっくり観察しようという意識が大切です。花を写そうとするなら、花のまわりを一周回ってみるんです。太陽の位置が変わると見え方も変わってきます。そこまで見ようとするかしないかで、写真が変わってくるんです。目に見えている裏に隠れているものを、どれだけ見いだせるか。それが見える人は、いい写真を撮ることができます。これは日常生活でも同じです。見ようとしなければ見過ごしてしまうものがたくさんあり、見ようとすれば色々なものが見えてきて、感動も得られます。」
カメラを通して吉田さんが見てきたものは、被写体の奥に潜在しているものだった。城跡の撮影のため山に入るたび、落葉樹の里山が増えれば自然はもっと豊かになると気がついた。広大な高原を埋める花々に、地元地域の活性化のための糸口を見つけることができた。風景を写真に刻む日々を通し、今日も吉田さんの目は、レンズの先に広がる町の未来を見いだそうとしている。
(公開日:H31.02.25)