バッグデザイナー

すごいすと
2013/10/25
由利佳一郎さん
(51)
兵庫県豊岡市
バッグデザイナー

日本有数の鞄(かばん)の産地である豊岡市。その豊岡の鞄産業や日本各地の地場産業を独自のテイストで活気づけようと取り組むバッグデザイナー由利佳一郎さんにお話を伺った。

由利佳一郎さん

JR 豊岡駅を出て、大正末期から昭和初期にかけての建築物が立ち並ぶ豊岡駅通商店街を東へ歩くこと15分程。同じく文化的価値の高い建物が多く残る宵田商店街、通称「カバンストリート」との交差点に、由利さんが立ち上げたお店「ARTPHERE(アートフィアー)」がある。

中に入るとまず目にとまるのは由利さんの代表作である「ニューダレスバッグ」。

通常販売されているもの以外にも、京都の伝統技法で染められた革や鰐の甲羅など、様々な素材を使用した一品物がここには展示されている。

壁にディスプレイされているのは、鞄の素材をつくる姫路皮革職人が由利さんをイメージし、制作した革製のアート作品。

店内には由利さんの作品だけでなく、例えば福井県の伝統産業であるメガネフレームの弦の部分を利用したブレスレットや、日本での正規取扱が許されているのは由利さんだけだというイタリアのブランド「ベルガマスコ」のバッグなど、国内外の選りすぐりの逸品が取り扱われている。

世界の有名なファッション都市のように、鞄を買うために豊岡までやってくる人たちを作りたい。由利さんの思いがひとつの形となった店構えだ。

ARTPHERE店内

ARTPHEREの店内

日本一の裏方だった豊岡の鞄産業

豊岡に生まれ育ち、何より、鞄製造会社を一代で豊岡有数の会社を築き上げた父親を持つ由利さんにとって、鞄は小さなころから身近なものだった。

「自分が子どものころは工場の規模は今よりずっと小さかった。製造中の黒い男性用ビジネス鞄がずらりと並んだ工場に入って、よく遊んでいた」と話す。

全国4大産地の一つで、国内トップの生産量を誇る豊岡の鞄産業。市内には部品製造や一部の工程、または決まった種類の鞄だけを製造するような町工場に加え、最新の機器を揃え、全てをまかなう大規模な工場、そしてそうした工場が集まった工業団地までも存在する。

その中心となっているのは、他社が企画した商品の生産を行い、流通・販売は企画した企業のブランドネームと販路で行う、いわゆるOEM生産だ。

有名ブランドの名にふさわしい質の高い製品を豊岡から提供してきたのだ。

豊岡市内の鞄工場

豊岡市内の鞄工場。名だたるメーカーの発表前の商品が、最新の工業用ミシンや裁断機、そして熟練の職人の手で作り出されている。

ただ、こうした過程でつくられる製品には、日本製と記されるだけで豊岡の名が表に出ることはない。

20歳から東京で暮らし、商社勤務を経て、3Dグラフィックの仕事に携わっていた由利さんは、これまで当然のように考えてきた「鞄=豊岡」という図式が、一般的には認知されていないことを知る。

「なぜ日本で一番を誇る産業が知られていないのか」由利さんが抱えたその違和感は、いつしか「鞄と言えば豊岡」が常識になるように変えてみせたいと願う気持ちへと変わっていった。

豊岡鞄を表舞台に

平成17年、豊岡に戻ったことをきっかけに、実家の工場で鞄の製造を一から学ぶことにした由利さん。

「若くからやっている職人は30代前半でも10年15年の経験がある。そこに40を過ぎた社長の長男坊が、一から勉強すると言って突然工場に入った。派手だし、ヒゲも剃らないし、周りの職人たちからはなんやこいつと思われてた」と振り返る。それでも、鞄のつくりを修得するために、一年間工場で働いた。

ちょうどその頃、豊岡では鞄産業にひとつの変化が現れた。バブル崩壊、円高による海外企業の台頭などから、平成3年頃をピークに出荷額は縮小をしはじめていたのだ。この危機的な状況の中で地場産業をなんとか盛り立てるには、OEM生産とは別に自分たちのブランドを作り、「豊岡鞄」として独自の販売ルートを開拓する必要があるという動きが生まれてきたのだ。

もっと消費者に近づき、これまで表に出ることのなかった豊岡鞄の魅力を伝えたい。宵田商店街がまちづくりの一環としてカバンストリートを発足させたものこの頃だった。

宵田商店街カバンストリート入口

カバンストリート。来年には鞄職人学校に鞄ショップを併設した拠点施設TOYOOKA KABAN Artisan Squareがオープンする。

そうした動きに呼応するかのように、由利さんは家族の協力を得て、自身のブランドを立ち上げることを決める。

立ち上げ時からのパートナーである鞄職人の葉杖(はづえ)さんは、由利さんとの出会いをこう語る。

「豊岡は言ってしまえば、地味な産地だった。みんなが豊岡の鞄産業を有名にしたいと考えていたところへ、新しい物の見方を持った人が帰ってきた。彼は、豊岡を表舞台に出したいと言う。そんな彼に心惹かれ、一緒にやっていきたいと思いました」

鞄職人葉杖さん

工房でバッグ用の牛革を裁断する葉杖さん

豊岡に帰るまでは3Dグラフィックデザイナーの第一線にいた由利さん。「豊岡の鞄産業がOEM生産で支えられてきた以上、『豊岡鞄』と銘打って世に出すためには、既存のデザインの模倣であってはならない。新しい独自のデザインを編み出す必要がある」と考え、鞄のデザインに3Dの概念を取り入れた。

コンピュータ上に人体の動きを立体的に再現してきた知識と経験を生かし、コンピュータグラフィックを駆使して、新たな鞄のイメージをコンピュータ上で立体的に造形していく。同時に、コンピュータグラフィックを用いた設計は、デザインされた立体的な形状をより正確に再現できる設計図の作成も可能にした。

こうしてそれまでになかった独創的なデザインの鞄が、葉杖さんら鞄職人の確かな技術によって形となり、「ニューダレスバッグ」が豊岡発の鞄として世に出ることになった。

ニューダレスバッグと由利さん

ニューダレスバッグを手にする由利さん

こうして完成したニューダレスバッグ。平成21年には、世界的に最も権威のあるデザイン賞の一つ「i F デザイン賞」を、日本の鞄業界としては初めて受賞する。

車やカメラ、工業製品など、有名企業がこぞって応募するデザイン賞を、豊岡という地方都市の一企業が受賞したことは、大きなニュースとして迎えられた。

「突然帰ってきた人間が何をやってるんだと言われたこともある。でも受賞によって、豊岡の技術が世界にも通用するものだということを証明できた。審査委員には、こんな技術はヨーロッパにはないとまで言わしめた」

平成24年には、年2回イタリア・ミラノで開催される欧州最大級の国際皮革製品見本市「MIPEL(ミペル)」では、最高賞を受賞。

こうして由利さんはその斬新なアイデアをもって、職人たちの技術に裏付けされた豊岡鞄が、世界の表舞台で勝負ができる製品であることを最高の舞台で証明した。

ニューダレスバッグと由利さん

ミペルの授賞式にて。同年に二度の入賞を果たした。

先人たちの力を借りて

「豊岡の鞄づくりには長い長い歴史がある。誇り高いこの地場産業を表舞台に立たせたいんです。」

豊岡鞄は、円山川下流域に多く自生するコリヤナギを使った杞柳細工とそれにより作られた柳行李がその起源。奈良時代のものと見られる杞柳細工の箱も見つかっており、その歴史は1200年を越えると考えられている。

豊岡杞柳細工ミュージアム

豊岡杞柳細工ミュージアム。大正14年のパリ万博にも豊岡の柳行李が出品されていたという。

もう一箇所由利さんが案内してくれたのは、ARTPHEREから北へ歩いて5分の柳の宮神社。

柳の宮神社が祀るのは柳にまつわる神々。そのためこの神社は柳行李や豊岡鞄の神様として鞄産業に携わる人たちに親しまれている。由利さんも節目の時は必ず訪れるという。

柳まつり

柳の宮神社では、毎年夏に但馬三大祭りのひとつである「柳まつり」が開催される。

「そこに暮らしているとあまりにも日常化して忘れがちだけど、地域に地場産業があるというのは、今自分たちがその分野で高い技術を手にしているということ。そして、必ずここに至るまでの歴史があってそうなっているということ。先人たちから受け継いだものを途切れさせちゃいけない」

境内から、ARTPHEREやカバンストリートへとまっすぐつながる場所に立ち、由利さんは語った。

ものづくりの新たな発信を

現在由利さんは、姫路の皮革、京都の染め物、沖縄の織物など、各地の伝統工芸の技法を取り入れることに力を入れている。

「地場産業や伝統工芸というものは突然消えてなくなりはしないけれど、確実に減っていく。それは日本のものづくりが衰退していくということ。豊岡のように世界に認められるポテンシャルを秘めているのにもったいない。」そう考え、日本のものづくりの新たな情報発信基地として、平成25年9月、姫路に「techne gate(テクネゲート)」をオープンさせた。

日本のものづくりの現場には伝統工芸の技を受け継ぎ、さらに磨き上げ、芸術的価値を高めている職人や作家が点在する。由利さんはそうした職人を自ら探し、techne gateでその技術が生かされた作品やコラボレーションにより生まれた作品を発表している。

例えば漆染が布やビニールに施された生地を用いた鞄、姫路の皮革職人の手による厚さ0.4ミリの子牛の革や、イタリアで途絶えた技法を再現した「CUOI D’ORO(クオイ・ドーロ:黄金の皮)」が使われた鞄などが展示されている。

「職人であれば製品の素材を考える時、縫製ができないものはまず選択肢に入らない。でも、彼は異業種の、今まで使ったことのない素材もどんどん取り入れる。鰐の甲羅みたいに、針が通るか心配な素材もあるけど、色んな素材にチャレンジできるのが何よりも楽しい」と話すパートナーの葉枝さん。人を驚かせたいという気持ちは、由利さんと似ているかもしれないと笑った。

techne gate店内

CUOI D’OROを使用した鞄を手にtechne gateに対する意気込みを語る由利さん

地場産業を誇りに

豊岡で鞄工場を営む奥田さんは、由利さんのことを“かけはし”と称する。

「彼は人と人、異業種と異業種、豊岡と世界、多くをつないでいこうとする人。無理なつなぎ方もするけどな」と笑った。

有限会社ネスパにて

奥田さんと由利さん

異なる業種との仕事が多い由利さん。全国を飛び回る自分を、蜜をとって花粉を持ち帰るミツバチに例える。各地に存在する魅力ある花々に興味がつきることはない。

「でも自分自身のベースとなっているのは豊岡と鞄」と断言する。

大きな賞をとれたのも、斬新なデザインを形にできるのも、自由に飛び回れるのも、豊岡に根があって、さらに支えてくれる友人と家族がいるからだと由利さんは考える。

「鞄に関するアイデアが生まれたら、30分以内に素材、機材、最新の情報、卓越した技術を持つ職人、すべてが揃う。そんなところは他にはないし、他で暮らしていたら絶対にできない。生まれ育った豊岡の地場産業だからこそ、自分を表現をできる。そして、人に幸せな気分や豊かさを届けることができているのは幸せなこと」と胸を張る。

「日本海気質ってあると思う。エーゲ海を見て育った人間とは色彩感覚も性格も違ってくる」と愉快そうに笑う由利さんは、かつて自分を田舎者だとコンプレックスに思ったこともあるという。

長い髪とロックテイストの服装。豊岡の鞄の価値を上げるとともに、自身がアイコンとなり、あえて表舞台に立ち続けることで、唯一無二の豊岡鞄を印象づけたいと語る由利さん。学生たちが勉強に来たら、カバンストリートや豊岡杞柳細工ミュージアムを案内して回ることもあるという。

平成25年、アジア各国のデザイナーが参加し、舞鶴市で行われた「ASEANファッションウィーク」。絹織物の産地である京都から世界にアジア発のファッショントレンドを発信しようと開催された。

由利さんは日本を代表するバッグデザイナーとしてショーを展開。世界に向けて豊岡鞄を広くアピールした。

有限会社ネスパ社長奥田さん

豊岡菓子祭前日祭でのトークショー。豊岡のもう一つの顔「お菓子」とコラボレーションした鞄も制作

由利さんの好きな言葉は「未知なる感動」

異なるもの同士をつなぎ、作り手も予想しえない未知なる感動をもたらす。

有限会社ネスパ社長奥田さん

(公開日:H25.10.25)

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