竹重勲さんは昭和45年、同市と神戸市垂水区にまたがる明舞団地(明石舞子団地)に転居してきた。全国で最も古いニュータウンの一つで、再生モデル地区として活性化に取り組むまち。その一画で、電気使用量を毎日記録するなど生活に密着した地球温暖化防止を体現し、「理論だけでは人は動かない」と、手作り実験装置で子どもたちの関心を高めるなど、多彩な活動を展開している。
家族4人で社宅に住んでいた竹重さんは35歳のころ、倍率の高かった明舞団地の宅地分譲の抽せんに「まさかの当せん」を果たし家を建てた。自身の家を持てたことで、毎月の明細書から電気・ガス使用量をグラフにして省エネにいそしむようになった。
造船所の機関部で船舶の省エネを担当しており、公私ともに「計測と分析」に明け暮れた。研究によって結果が出ることがうれしかった。50歳を過ぎてトンネル掘削機に関わった際には、通産省(現経済産業省)の地下空間開発に関するプロジェクトに加わり「それまで興味のなかった」地上の緑化の重要性も学んだ。そのころ隣家の木造平屋が空き家となり、両親を呼び寄せた。
定年退職後の平成9年、京都でCOP3(第3回気候変動枠組条約締約国会議)が開かれた。竹重さんは地球温暖化に関するセミナーなどにたびたび参加し、温暖化が地球を滅亡に導くと説く研究者に疑問を投げかけた。
「ところで、先生の家庭のエネルギーは何ですか?」
「ドイツから何で来ましたか?泳いで?(CO2を出す)飛行機ですよね」
顔をしかめる研究者を見て「まずは自分が実践するべき。家庭の省エネが基本」と強く思った。
竹重さんは毎朝毎晩、電気とガスの使用量を測り、気温とともに記録した。待機電力や家電を見直し、ガスコンロの火のあたり方を研究して最適の火力を見つけ出すなど、約2年で電気・ガス使用量を半減してみせた。
各地で発表したりテレビの全国放送で知られるようになると、竹重家より使用量が少ないという人たちが現れた。箕面市では家族4人一緒に入浴して夜間は一つの部屋で過ごすとか、姫路市では冷蔵庫やエアコンを使わないという家族らが次々名乗りを上げた。
「私は息子らに牛乳を飲ませたいし、ビールは冷えている方がいい」と、竹重さんの省エネ魂と探求心に火がつく。生活レベルを下げずさらに消費を減らす方法を考えた結果、自然エネルギーにたどり着いた。一般的にもまだ関心の低かった太陽光発電だ。両親亡き後の隣家に、平成11年、認可されたばかりの「屋根一体型太陽光発電の日本1号機」を設置した。
一方で、個人で温暖化防止を啓発することに限界を感じていた。地域の課題解決等について研究する「21世紀学会」(現21世紀ひょうご市民学会)の会員仲間だった、炭焼きや有機農業に興味を持ちそれぞれ活動していたメンバーとともに「環境21の会」を設立。事務所として提供した隣家は、県から「まちの寺子屋」の指定を受けた。竹重さんのような技術者も多く、教材や実験装置を手作りしてイベントや出前講座に出向いていった。
竹重さんらの実験装置に関心を持った団体の中には、自閉症の子どもらのサークルもある。寺子屋での講義に感銘を受けた中学1年生の男子が、同行した母親に太陽光発電を勧めたことがあった。「費用が高いから無理や」という母親に「僕が働いて稼ぐから」と言った。泣きながらにこにこする母親を見て、竹重さんの胸も熱くなった。
寺子屋近くにある松が丘小学校の児童を対象に、夏休みと冬休みに科学教室を開くほか、明舞センター内の空き店舗を活用した「フリースポット」では、近隣の小学生で結成した「明舞子どもエコクラブ」の支援をしている。市外においても、播磨町の小学3~6年生対象「子どもいきいき体験隊」(全8回)や、西宮市の小学4年生~中学生対象「宮水ジュニア」(半期で6回)で体験講座を行い、いずれも11年続く。
講座では竹重さんの話の後に、工作や実験を行う。昨年のCOP21の話題など低学年には難しい内容の時もあるが、「実験をしたら分かった」という声が聞かれる。太陽光で料理をしたり、牛乳パック製オルゴールが動くことに「マジックでもないのに」と驚いたり、七輪でもちを焼くのに熱中したりして、「塾の勉強もこんなんやったらいいなあ」という子もいた。ケナフに至っては名前すら初めて聞く子どもが大部分で、ケナフにアルミホイルを巻いて焼き、自宅でも炭が作れることを教わると、2年連続で受講した小学5年生の女の子は、「去年も同じ実験をしたけれど、CO2やケナフのことなど分からなかったことが、今年よく分かった。地球温暖化のことをもっとくわしく知りたくなった」と感想を書いた。
竹重さんの方が刺激を受ける時もある。教室を始めた当初、小学5年の教科書を読み、海の環境を守るために森を育てる漁師や炭作りの重要性を知った。淡路島の五色町や姫路の夢前町で「分校」と称して、CO2吸収力の高いケナフを栽培し、炭窯を作って、緑化の大切さを説くきっかけにもなった。
竹重さん自身、年齢を重ねても「知らなかったこと」を知ることで意欲が湧き、無限に広がる世界を知ることができた。数回にわたる講座では、太陽光や風力・水力発電をただ推奨するのではなく、最初にそれらを学習・実験し、最後に里山が活用されていた昔を振り返り、森のはたらきや、炭作りが森林保全につながることを学ぶなど、さまざまな視点を持たせるようなプログラムを組んでいる。そして、講座を終える時には、毎回「ノーベル賞をめざせ」で締めくくる。
また、参加者の感想を「集計」して講座内容を年々改善。「説明が多いと眠たい」という言葉にはショックを受けたが、つい熱がこもって話が長くなると「自己分析」し、後半の体験時間をより充実させるようにしているという。
昭和39年に入居が始まった明舞団地で少子高齢化の課題を抱えるように、竹重さんが理事長を務める環境21の会でも高齢化が深刻問題になっている。高血圧や軽い脳梗塞で入院した人もいて、メンバー26人のうち常時活動できるのは10人に満たなくなってきた。
温暖化防止を普及するためにも健康寿命を延ばさなければならない。昨年12月には健康食を提供・配食する「ふれあい食事処 明舞ひまわり」との共催で、「健康で環境にやさしい食のフェスタ」を開催。炭火料理や、食品の塩分や糖度の測定コーナーを設け、50人を超す参加者でにぎわった。
さらに、メンバーで造園業を営む小山茂樹さん(65)が開発、特許を取った水養液栽培キットを活用し、団地の交流につなげようと考えている。土を使わずベランダでも手軽に野菜栽培できることに着目し、摘みたてを食卓に並べられるほか、成果物を交換して住民が交流する場面を思い描いている。
定年後は妻への恩返しに海外旅行を楽しもうと、パスポートまでとっていたが、時間と資金は環境活動に費やすことになった。竹重さんが留守の時には計測を任される妻の博子さん(74)は、子どもから高齢者、兵庫県立大や神戸学院大の学生などさまざまな人たちの訪問を受け「退屈しない」と笑い、パネル作りも手伝っている。
何事も実際にやってみることで、家族をはじめ人の心も動くと考える。竹重さんが幼いころ、祖父宅の風呂の燃料は薪だった。鍛冶屋で見たのを真似て、薪の下に石を置いて空気を入れると誰よりも早く沸かせた。農作業から帰った祖父に「えらい」とほめられ、毎日「じいちゃん風呂沸いてるで」と言うのがうれしかったことを今も覚えている。生活様式は変わったが、子どもの心は普遍だ。喜びに通じる実験や体験の場を用意することは、温暖化による地球滅亡を防ぐのと同じくらい大切だという思いを胸に、「実践」を続ける。