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鉱山遺跡で初めて日本遺産に認定された明延鉱山で
ガイドクラブ初の女性ガイドとして活躍中!
鉱山で栄えたまち養父市大屋町に元気を運ぶ
正垣智子さんの“ふるさとおこし”。

すごいすと
2020/09/11
正垣智子さん
(55)
兵庫県養父市
明延鉱山ガイドクラブ、NPO法人一円電車あけのべ

個人紹介

正垣智子(しょうがきともこ)55才。昭和40年、養父市生まれ。高校を卒業後、大阪の医療系専門学校へ進学し作業療法士に。結婚・出産を機に勤めていた病院を退職し、育児に励んでいたさなか母親が病に倒れ、平成13年、介護のため家族で養父市大屋町へUターン。家事と介護に専念する日々を過ごしていた頃、たまたま見学した明延鉱山に魅了され、ガイド養成講座を受講しガイド活動をスタート。同時に、一円電車を活かした地域づくり活動にも加わる。電車が好きな夫は一円電車の運転手免許を取得し、運転手としてボランティア活動に参加。鉱石に興味を持った子どもたち、明延のまちに詳しい母親と共に、「明延」と家族で向き合う日々を過ごしている。

 

「明延(あけのべ)を語らずに、自分のことを話せなくなっているんです」
そう言って、楽しそうに笑う正垣智子さん。明延鉱山(*)の閉山から30余年。明延のまちにかつての元気を取り戻そうと、明延鉱山ガイドクラブの副会長として、またNPO法人一円電車あけのべ(*)の理事として、ボランティア活動に携わっています。今や生活の一部になっているというそれらの活動の中で、正垣さんが「原点」と表現するのが、明延鉱山の坑道を案内するガイドです。偶然手にした鉱山とのご縁から13年。明延地区との出会いや活動に取り組む想いについて、お話を伺いました。

 

鉱山見学で気づいたふるさとの素晴らしさ

 

坑道の大きな入口に立った瞬間、冷たい風が足元からふわっと吹き上がってきました。ほのかな灯りに照らされた坑道には当時のままのトロッコのレールが走り、見上げた岩肌のあちらこちらが青やオレンジに輝いています。

「平成18年に、生まれ育った大屋町由良地区の福祉推進委員になった時、明延鉱山を見学する機会がありました。
その時初めて、ここが世界とつながっている場所であることを知り、自分がそんな地域に暮らしていたことに驚きました。
ここで採掘された鉱石があらゆる場所で使われる金属になること、そんな技術が地元にあったことなど、生まれ育った地域にある鉱山なのに、何も知らなかった自分が恥ずかしいと思ったんです。」

ちょうど同じ頃、明延鉱山のガイド養成講座がスタート。「明延鉱山のことを知ることができる」と軽い気持ちで受講を決めた正垣さん。
しかし「鉱山と一緒で、ガイドの勉強も深く掘れば掘るほど難しくて。専門用語も多く、最初は講師が何を話しているのかチンプンカンプンで、知らないことばかりでした。
わからないことを尋ねたり自分で調べたりするうちに、気が付けばどっぷりはまっていたんです。」

実際に案内をする練習では、学生時代に使った英単語の暗記カードを真似たメモを、ポケットに忍ばせながら臨むなど練習を重ね、平成18年11月ガイド養成講座を修了。 翌年3月にはガイドデビューを果たした正垣さんでしたが、「初めてのガイドは必死だったので、どんな案内をしたのかほとんど覚えていないんです」と笑います。

こうして、養成講座1期生の中で唯一の女性ガイドとして、正垣さんの活動がスタートしました。

 

明延鉱山の坑道

明延鉱山の坑道

 

鉱石や人を運んだ立坑(エレベーター)

鉱石や人を運んだ立坑(エレベーター)

 

「ガイドはお客様に育てられる」~一人ひとりの“聞きたいこと”に答えたい

 

現在、正垣さんは明延鉱山ガイドクラブの副会長として、9人の仲間と共に月5~6回、お客様が多い時は一日3回、鉱山を案内しています。

「私を含め10人のガイドは、十人十色の案内スタイルがあって面白いです。 私が気を付けているのは、色んな質問をされても答えを取り出せる引き出しを、たくさん持っておくこと。 『鉱山の中で食事はどうしていたの?』『トイレはどうしていたの?』など、お客様に聞かれた時に知らないことは答えられないので、調べたり、鉱山OBに尋ねたりしながら引き出しを増やしています。」

ガイド活動のおかげで、いろいろなことに興味を持つことができるようになったと言う正垣さん。 子どもたちと話題を共有するため氷ノ山(ひょうのせん*)登山に挑戦したり、商業施設の高速エレベーターに乗れば、立坑速度との比較が気になって調べたり。

「普段から、あっ!これってガイドの時に話題にできるなって思っちゃったり」と笑います。

子どもから高齢者まで、誰にでもわかりやすく説明することをモットーとする正垣さんが、もうひとつ心がけているのは言葉選びです。

 「鉱山用語には専門的な言葉も多いんです。《採鉱》は『鉱脈を探す』と言ったり、《採掘》は『鉱脈を掘る』と言ったりします。」

お客様によって異なる「聞きたい」「知りたい」ことを、鉱山の見どころとして伝えるためにも、わかりやすい言葉の選択を丁寧にしたいと正垣さんは言います。

時には、酒気を帯びたお客様を案内したことも。 ある時、初めのうちは酔いに任せて話を聞かず自由に楽しんでいた人が、見学を終えて坑道を出る頃には「話も聞かず、迷惑をかけてすみませんでした」と正垣さんに声をかけ、後日、一緒に撮った記念写真と共に「楽しい話に、最後は夢中になりました」とお礼の手紙を送ってくれたことがありました。

「聞いていなかった人が耳を傾けてくれるようになるのは、ガイド冥利に尽きます。質問に答えられる引き出しが増えることも、言葉の選び方の大切さに気付けることも、私にとっては日常になってしまっている鉱山のことも、新しい魅力として気づかせていただくこともすべてお客様に育てられているんです。」
ガイドの活動を心から楽しんでいる正垣さんですが、一時はガイドをすることに不安を感じた時期があったと言います。

 

*氷ノ山:兵庫県と鳥取県の県境にまたがる、兵庫県の最高峰(1,510メートル)。

 

ヘルメットを被り、ほのかな灯りに照らされた坑道を進む

ヘルメットを被り、ほのかな灯りに照らされた坑道を進む

 

現在は新型コロナウイルス感染症対策を行いながら、ガイドが行われている

現在は新型コロナウイルス感染症対策を行いながら、ガイドが行われている

 

地域の資源に気づくことで自分の暮らしを見直すきっかけに

 

「機械に詳しく専門的な案内ができる人、鉱山の活気にあふれていた当時の様子を知り話せる人、お客様の心をつかむ楽しい話題に事欠かない人。そんなガイド仲間たちの中にいると、どれも持ち合わせていない私がお客様の案内をするって、どうなんだろう?」

そんな正垣さんが再び前を向くことができたきっかけは、子どもたちへの案内でした。正垣さん自身にも同じ年頃の子どもがいたことや子どもが好きなこともあり、子どもたちの案内が入ると「正垣さんは子どもたちとの接し方が上手なので、ガイドをお願いね」と声がかかるようになったのです。

「子どもたちを案内していると、鉱山は理科や社会、算数などの優れた教材だと感じます。 例えばガイドの途中で、『この機械はどうやって動かしていたでしょう?』『もっと地下に行くと気温は何度になるでしょう?』と問題を出します。 動力や地学に興味を持つ子どもが現れるかもしれません。そして、一番最後にはいつも『電気が無かったら何ができない?』と質問するんです。 子どもたちは『ゲームができない』を筆頭に『テレビが見られない』『エアコンが使えない』『夜、暗い』と様々な答えを返してくれます。
電気には銅が使われていますから、その銅を採掘してくれたたくさんの人たちのおかげで、今の私たちの生活が成り立っていること、そしてそれは、人の手ではつくれない自然がつくり出した限りある資源だということを伝えることができます。」

そんな正垣さんらしさを生かしたガイドを通して、届けたい想い。 それは、鉱石という資源に興味を持つことで、ものを粗末に扱わず大切に使おうとみんなが感じられるようになること。 日々の暮らし方を見直すきっかけになってくれることだと言います。

「想いは伝わるんです。一生懸命説明するとお客様はわかってくださいます。 帰り際、『楽しかった』『すごくよくわかった』『地元なのに全然知らなかった』と言ってもらうことが、私の励みになっています。」
こうしたガイド活動と並行して明延地区の活性化を目指し、正垣さんはもうひとつの地域資源を守り育てる活動に加わっています。

 

正垣さんによるガイドの様子

正垣さんによるガイドの様子

 

坑道の模型を用いながら説明する正垣さん

坑道の模型を用いながら説明する正垣さん

 

明延に出会えた縁を地域活動の糧(かて)にして

 

明延には鉱山とともに、地区の象徴として大切にされてきた地域資源があります。一円電車です。

「鉱山が活気づいていた当時の明延では、地域の人々の生活に無くてはならないものでした。一円電車は明延の元気の素なんです。」

「もう一度一円電車を走らせることで、明延地区を盛り立てよう。」

そんな願いのもと、明延地区の区長をはじめとする地域づくりのメンバーたちが中心となり、平成18年から一円電車の保存・活用活動がスタート。
平成24年にはNPO法人一円電車あけのべが設立され、正垣さんも理事の一人として参加しています。

「こうした活動を続けることで、最近では年間4,000人もの見学者が明延地区に足を運んでくださるようになりました。それをきっかけに、住民の方々にも変化が生まれています。この地域にはお客様が食事をする店がないため、明延のお母さんたちがうどんやおそば、おにぎりなどの提供を始めました。すると、地元の80代の方々が声を掛け合い、一緒に食事を楽しみに出て来られるようになったんです。こうして少しずつでも地域外の人たちを迎え入れて交流し、地域の歴史を受け継ぎ風化させないことが、集落の存続にもつながると思っています。」

その一方で、なぜこんなに深く関わることができるのか、考えることもあると言います。

「誰かのために働くことが好きだから? いろいろな人に出会うことで成長できると思えるから? 私が関わること で明延が活気づくから? 自分でも不思議に思います」と話す正垣さん。
実は明延地区との繋がりは、鉱山見学のずっと以前にさかのぼります。

「私の母は、中学校を卒業した昭和28 年頃から、明延のお店に住み込みで働いていたんです。
鉱山の最盛期でまち がにぎわっていた様子など、当時の貴重な写真と共に私にもいろいろ話してくれていました。
ある時、一円電車の イベントで、鉱山が活気づいていた頃の写真展を開くことになったんですが、その頃の写真がなかなか見つからな かったんです。その時にふと母とのやりとりを思い出し、当時の写真を提供することができました。」

鉱山を見学するきっかけがあったこと、活動に参加できる環境にあったことも含め、すべてが今につながっている と感じると言う正垣さん。

「明延と私のご縁は、母がつないでくれていたのかな、そのご縁に導かれて明延に関わっているのかなと思うことが あります。人と出会い、人と触れ合い、人に助けられ、時には人を助けながら活動を続けていることが、とにかく 楽しいんです。自分の活動が、少しでも地域を元気にしているのかなと思うと頑張れます。」

「人のお世話ができるのは幸せなこと」
そう言ってボランティア活動を後押ししてくれる母の想いを胸に、正垣さんは明延のまちと共に歩き続けます。

 

一円電車の体験乗車会

一円電車の体験乗車会

 

一円電車の軌道延長作業

一円電車の軌道延長作業

 

 

POWER WORD

夢は思い続けると叶う

「一円電車を走らせたいんや」
地域づくりのメンバーたちが、真剣に議論を交わす様子に「電車を走らせる? そんな冗談みたいなこと無理でしょう?」と心の中で思っていたと言う正垣さん。しかし平成19年、年に一度のイベントで初めて30メートルの走行が実現。平成20年には70メートルの線路が敷設され、さらに令和元年には150メートルの周回コース化が叶いました。
「想い続けた夢にみんなが誠実に向き合い、コツコツと地道な活動を続けてきたから、今があるんだと思います。『継続は力なり』ですね。この活動を通して肌で感じることができています。」

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