「海の映画館®」が教えてくれた地元の力。
淡路島を楽しむ人を増やしたい!

すごいすと
2023/03/31
大継康高さん
(41)
兵庫県洲本市
株式会社海空 代表取締役社長

個人紹介

大継康高(おおつぎやすたか)41歳。昭和57年、洲本市生まれ。大学卒業後、映像制作会社勤務を経て、平成24年、株式会社海空を京都市で創業。テレビ番組の企画制作をはじめ、様々な映像制作に取り組む中、平成28年、初めての自主開催イベントとなる「海と空の間に浮かぶ水上スクリーン うみぞら映画祭(以下、うみぞら映画祭)」を、生まれ故郷の淡路島で開催。自ら監督、プロデューサーを務めたオリジナル映画も上映し、毎年たくさんの人が集まる人気イベントに育てている。京都と淡路島の2か所の事業拠点を活かし、様々な取組に挑戦中。

クレーンで吊るされた巨大なスクリーンが、まるで海に浮かんでいるかのよう。大継康高さんが、淡路島の人々と一緒に1年がかりで実現した「海の映画館®」です。生まれ故郷である地元の淡路島で、「波音を聞きながら、波打ち際で映画を楽しんでほしい。」との想いから、「うみぞら映画祭」と名付けたイベントを開催。地元の住民や企業とのつながりを育て、疎遠になりかけていた地元との絆を結び直すきっかけになりました。「生まれ育った地元ほど、味方になってくれる町はない。」と言う大継さんに、お話を伺いました。

伝え、知らせ、感動させる映像作品を目指して

高校教師を目指すか、映像の仕事に就くか――。大学卒業後の進路に迷っていた大継さん。考えた末、「高校時代から興味があった映像制作の世界に飛び込んでみよう。」と、京都市内にある映像制作会社に入社しました。来る日も来る日も、撮影や編集などの作業に追われる中、企画に取り組みたかった当初の想いを大切にしようと退職。平成24年、株式会社海空を立ち上げました。
「発注者の企画に合わせ、制作だけを請け負う制作会社が大半を占める中、弊社は、『こんな番組やコンテンツを作りませんか』と、自社で企画をして提案できることが強みです。」と大継さん。
企業や行政の映像制作をはじめ、各種イベントの企画運営、PR事業、映画製作、WEBサイトの制作運営や採用動画制作など、持ち前の企画提案力を活かし、幅広い分野で事業を展開しています。

制作にあたり、大継さんが最も大切にしているのは、「伝え、知らせ、感動させる」映像制作のための構成力です。かっこ良さだけでなく「伝わる」ことを重視した映像編集や、興味を引き付けるオープニング、効果的なナレーションの組立てを考えながら、プロならではの経験に基づく技術を駆使しています。
「自分だけの視座に凝り固まることなく、映像に向き合うことを心掛けています。何千人、何万人もの人に伝わるものを制作するためには、どれだけ客観的に物事を捉え、伝わってほしい人たちと同じ目線になれるかが大切です。時代とともに共感される内容も変わるため、気持ちも視点もできるだけフラットな状態を保ち、世の中を俯瞰(ふかん*)することを意識しています。いろいろな人たちと会話を重ねることで、それぞれの感じ方を知る努力も必要です。」と話します。
そんな大継さんが「転機だった」と語るのは、淡路島で挑戦したプロジェクトでした。

*俯瞰:高い場所から見下ろしたり眺めたりすること、広い視野で物事を判断すること

映像制作会社に在職中は、撮影や編集に明け暮れていた

「うみぞら映画祭」が紡ぐ淡路島への想い

会社を興し、仕事に追われた3年が過ぎようとする頃、ようやく時間のゆとりが生まれたことで、「自分の手でイベントを立ち上げたい。」と考えるようになりました。
「もともと映像の仕事は、人を楽しませたり、喜ばせたりしたいという想いから始めたことでした。イベントは、参加者が楽しんでいる姿を直接目にすることができるので、是非やってみたかったんです。挑戦するなら、地元の淡路島だと思っていました。」
時間があれば、故郷の大浜海岸で時間を過ごしていたという大継さん。「私と同じように、海を眺め、波音を聞きながら、のんびりとした時間を過ごしてほしい。」と企画したのが、「海の映画館®をつくろうプロジェクト」。海の上に巨大なスクリーンを設置し、砂浜から映画を鑑賞しようというものです。淡路島が舞台となった映画を中心に上映し、淡路島の魅力や、海のある景色の素晴らしさを再認識してもらうため、「うみぞら映画祭」と名付けた野外映画祭を企画したのです。

何から始めればいいのかわからなかった大継さんが、企画書を携えて相談に出向いたのは、淡路島フィルムオフィス(*1)でした。
「そこで、実行委員会を立ち上げることを提案していただき、地元の観光協会や商工会議所、青年会議所などとご縁をつないでいただきました。おかげで、すぐに地元企業や住民の方々にも協力していただくことができました。」
さらに、もう一つの挑戦が、映画祭で上映する映画の製作でした。企画から、脚本制作、淡路島出身の俳優への出演交渉、撮影、編集に至るまで、監督業にもプロデュースにも取り組んだ大継さん。初めての製作映画「あったまら銭湯(*2)」は、「うみぞら映画祭」の3日間の会期中に約3,000人が、また、島内3市の上映会では、2か月で約5,000人が鑑賞。「映画を作ってくれて、ありがとう。」とメッセージをもらったことが、嬉しかったと話します。

こうして、平成28年に始まった「うみぞら映画祭」は、コロナ禍で中止となった令和2年以外、毎年開催を続け、令和5年には7回目の開催が予定されています。
「最初は、自分がやりたいことをやっただけでした。しかし、続けるうちに、淡路島の人たちが『一緒にやりたい』と関わってくださり、盛会を期待してくださるようになりました。今は、みなさんに喜んでいただき、淡路島の観光振興につながるものに育てたいと思って、続けています。」と、大継さんは話します。
開催を重ねるにつれ、地元の企業や店舗も出店者として集まるようになり、島外からの来場者も増えた「うみぞら映画祭」。大継さんだけでなく、淡路島の若者たちにも、少しずつ変化をもたらしました。

*1 淡路島フィルムオフィス:平成17年、社団法人淡路青年会議所・各行政・民間団体などで設立された非営利組織。ロケ誘致による観光振興と地域活性化を目指し、映像作品の誘致や撮影支援を無償で提供している。

*2 「あったまら銭湯」:平成28年公開、淡路島出身の俳優・笹野高史さん主演、淡路島の銭湯を舞台にした心あたたまる恋物語。

平成28年に初めて開催した「うみぞら映画祭」
映画「あったまら銭湯」はすべて淡路島内で撮影された

地元こそ、最高のサポーター!

平成29年、「うみぞら映画祭」の開催をきっかけに、大継さんは淡路島にも自社のオフィスを構えることになりました。淡路島でも映像制作などの仕事が生まれ始めたのです。しかし、それ以上に大継さんを喜ばせたのは、淡路島の若者たちが「『うみぞら映画祭』に関わりたい。」と、ボランティアを申し出てくれるようになったことでした。「淡路島でも面白いことができるかもしれない、自分たちも何か始めることができるかもしれないという、意識が芽生え始めたことが、本当に嬉しい。」と言います。
ボランティアメンバーの中には、地方出身の学生も多数参加しています。「うみぞら映画祭」の企画運営に一緒に取り組む中で、「自分たちの地元でも、できることがある。」と実感し、それぞれの地元に愛着を持ち始めていることを、大継さんは喜んでいます。
「例えば、都市部で就職して身につけたスキルを、Uターンにより地元へ持ち帰ることで、自分の個性を活かせる場合もあると思います。今は、都市部でなければ仕事ができないという時代ではありませんから。」

そう話す大継さん自身も、「地元に戻れてよかったと思えたこと」が、一番の喜びだと言います。
「『うみぞら映画祭』に取り組むまで、年に1~2回しか帰省していませんでした。淡路島にオフィスを構えるなんて、両親も想像していなかったと思います。高齢にも関わらず、夜中まで続く上映会に最後まで参加し、喜んで帰っていく様子を目にすると、初めて親孝行ができたと感じています。」

一方、地元の人たちのやさしさも、大継さんを感激させました。
「私が映画祭を始めようとした時、間違いなく地元の多くの人が応援してくれました。何かを始めようとする時、生まれ育った地元ほど、味方になってくれる町はないと思います。」

地元の人々と一つになって、開催を続ける「うみぞら映画祭」。継続する上で大継さんが最も大切にしていることは、「感謝の気持ちを忘れないこと」と言い切ります。 
「開催できていることが、当たり前ではありません。いろいろな人のサポートが無ければ、このイベントは絶対に実現できません。大浜海岸という環境も含め、『させていただいてありがとう』『関わってくれてありがとう』という気持ちを、忘れないことが大切だと思っています。」
「自分が楽しいと思うことを妥協せず、新たな取組を毎年続けられることが原動力」と言う大継さんには、まだまだ挑戦したいことがあります。

「うみぞら映画祭」を盛り上げるボランティアメンバー
洲本市民広場に開設した「うみぞら映画祭」のサブ会場「空の映画館」

故郷の可能性を、次の世代へつなぐために

今、大継さんが目指すのは、「うみぞら映画祭」を全国に広めることで淡路島をPRし、観光客や移住者の誘致につなぐことです。そのために、「うみぞら映画祭」を淡路島内だけでなく、都市部でも開催することを目指したいと話します。
「地方でのイベントを都市部でも開催することで、地方そのものへの関心を呼び、観光客などの誘致につなぐことができると思っています。旅に出る特別感や、地方ならではの新たな発見を楽しみたい人は、現地でのイベントにも参加してみようと思うはずです。」
他にも映画祭を通じて生まれたつながりを活かし、淡路島出身の俳優やアーティスト、漫画家、ゲームデザイナーといった数多くの著名なクリエイターたちとの、「国生み神話」をテーマにした映画製作の夢も温めています。

たった一人、淡路島フィルムオフィスへ駆け込んでから7年。今では、淡路島内のほとんどの企業や店舗と、つながりが生まれました。淡路島在住の新入社員も加わり、令和5年2月には、淡路島オフィスの新社屋を建設することもできました。
1階には、カフェとして利用が可能なコワーキングスペースを用意。撮影や編集機材が揃ったスタジオとして、またキッチンカーの出店者向けに飲食スペースとして提供したいと話します。さらに、2階では映像スクールを始める予定です。

「いつか、高校生に映像制作を教えたいと思っていました。クリエイティブな仕事は、島内ではできないと思って島外へ出て行き、そのまま戻ってこないケースが目立ちます。でも、淡路島でも私のような働き方ができるんだと伝えたいんです。また、イベントの立ち上げを通じて成功体験が生まれることで、郷土愛も芽生えやすくなるのではないかと思っています。」
映像制作の道を進む一方、教師への想いも温め続けていました。
「高校生に、いろいろな道を示せる教師になりたいと思っていました。やりたいことをやっていくうちに、映像スクールの開講という形も生まれ、原点に戻ってくることができました。」と語る大継さん。故郷への感謝を力に、淡路島を楽しむ人で満たすための挑戦が続きます。

*国生み神話:淡路島から始まる日本国土誕生の話

淡路島オフィスの新社屋完成を喜ぶ大継さん(前列中央)と社員のみなさん
母校である高校の創立記念講演会に招かれ、講演を行う大継さん

POWER WORD

地元を楽しむ

映像制作などに携わるクリエイティブな仕事場が、都市部から地方へ広がり始めている中、「うみぞら映画祭」や映画製作を通して、生まれ故郷である淡路島で、仕事をする楽しさを実感した大継さん。自分自身の経験から、「生まれ育った故郷である“地元”を、活動の場にしよう。」と呼びかけます。これから社会に出る学生たちに届けたい想いを、語っていただきました。

INFORMATION ご紹介先の情報

印刷PDF
クリックするとPDFが開きます
県の支援メニュー等
公式サイト・所属先

応援メッセージ

質問・お問い合わせ

下記リンクのメールフォームにて
必要事項をご記入の上、お問い合わせください。
担当者よりご連絡させていただきます。

タグ一覧

関連記事

この記事を書いた⼈
内橋麻衣子