着替え、食事、排せつ、入浴の介助。障害者へのヘルパー派遣は、生きるためのサポートだ。そこへ「ただ生きているだけでは面白くない」と、障害者があきらめていたことや、やってみたいことを「介助」するのが清田仁之さんだ。制度の力だけで終わらせない、「人」に寄り添う福祉を目指す清田さんに話を聴いた。
始まりは、7年間砂で遊び続ける障害者
勤務していた紳士服販売店の店頭で、THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ*)の曲がラジオから流れてきた。14歳の頃、夢中になったロックバンドだ。
「あの頃の自分は、どんな大人になりたいと思っていただろう。」
少なくとも、高価なスーツを購入できる来店客か、見分けてしまえる大人になりたいとは思っていなかったはずだ――。全国400店舗の中で月間売上1位の販売員にもなった清田さんだったが、退職を決めた。
その後、大学で学んだ社会福祉の道へ進もうと専門学校へ入学。研修施設で出会った障害者の姿に衝撃を受けた。すくい上げた砂が、両手のすき間からさらさらと流れ落ちていく様子を、ただじっと眺めている人だった。
「朝から晩まで、7年間も繰り返しているというんです。僕もやってみたんですが、何が面白いのかわからない。でも、7年もの間、砂をすくっては落としているだけの人が元気に生きていると思うと、『しなくてはいけない』ことって、実は世の中にはとても少ないのではないかと思いました。世界は意外と自由で、息苦しくないなって。」
この人が楽しければいいのかな。自分が取り組もうとしているのは、そういう仕事なのかな。
研修を終え、清田さんは社会福祉士の道を歩き出した。
*THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ):日本のパンク・ロックバンド。1987年のメジャーデビュー以来、インパクトのある歌詞の世界観が共感を呼び、バンドブームをけん引。1995年に解散した。
友達づくりも、「仕事」にしたい!
障害者のヘルパーとして働いていたある日、利用者の男子中学生から「友だちが欲しい」と相談された。「ヘルパーとして行う介助の範囲以外にも、求められている支援がある」と気づいた清田さん。勤務地だった西宮市に美容室が多かったことから、美容室を通じて障害者がまちの人とのつながりを持つ機会をつくろうと考えた。
当時、介助を担当していた障害者の中に、他人との意思疎通が困難な発達障害の男性がいた。いじめられ、不登校になってしまった小学5年生以来、同世代の人と話をしたことがなく、髪も自分で切っていた。
「どうしたらいいですか?」
緊張した男性は、美容師との会話もなかなか弾まない。それでも、ヘアカットを終えて店を後にしながら、「楽しかった」と“いい顔”で喜んだという。
「美容室へ行きたいと自ら言わない人が、美容室での“いい顔”を見せてくれるわけがありません。説得して、しぶしぶ行ってもらうような『余計なこと』をする人が、大切だと思いました。」
障害者の想いに手を差し伸べ、求めに応える「余計なこと」にも取り組もうと、NPO法人 月と風と(以下、月と風と)を立ち上げた。
ほっておけない人を「余計なこと」でつなごう
活動の拠点として、清田さんが選んだのは尼崎市だった。一人暮らしが困難な障害者のために、介護支援者でも、グループホームの経営者でもない全くの他人が、自宅の一室を提供したという話を聴いたからだ。
「そんな“異常なほどいい人”がいるまちが面白くて、月と風とに合うと思いました。」
困っている人をほっておけないまちで、月と風とは、制度や組織の枠組みを超えた様々なプロジェクトやイベントを展開している。例えば、障害のある人と無い人が、銭湯のような大きなお風呂に一緒に入る「おふろプロジェクト」。たまたま一緒に湯船に浸かっている人にも、障害者への関心が生まれるきっかけを届けている。
また、2017年から受託している尼崎市の委託事業「ミーツ・ザ・福祉」では、障害者と健常者が一緒に企画に参加することで交流を育み、障害を理由にあきらめていたことへの挑戦を支援している。
そんな日々を通じ、障害者は「新たな価値を提示してくれる人」になっているという清田さん。中でも「ミーツ・ザ・福祉」では、障害者に関心を持つ人の多さに驚かされた。興味を持っている人は少ないだろうと、誰もが思い込んでいたからだ。
「多くの人が、学びや対話の場に集まってくれたことにも衝撃を受けました。『こうだろう』と思い込んでいることに対し、『果たしてそうかな?』と立ち止まらせてくれるのが、障害のある人たち。大切にすべきことが浮かび上がり、思考の幅が広がって自分の引き出しが増えていくんです。」
その引き出しの一つが、2019年に開設したチャリティショップ「ふくる」だ。
尼崎のまちが、ロンドンになる日
ロンドン発祥のチャリティショップは、すべての行動が寄付につながるシステムだ。「ふくる」は古着の販売店。寄付によって集めた古着を販売し、売上は障害者支援への寄付になる。障害者はアルバイトとして働き、店はボランティアが運営する。現在、「ふくる」の店員は3人。全員が車いす利用者だ。
「まずは尼崎市からチャリティショップを浸透させ、寄付を文化にしたい。目標は、尼崎市をロンドンにすることです。お金がなくても衣食住が整い、障害者と健常者がコミュニケーションを育むまちをつくりたい。」と語る清田さん。「ふくる」をきっかけに、子ども支援のためのチャリティショップを始めた人も現れ、少しずつ手ごたえを感じ始めている。
「障害者支援で本当に大切なことは、自分にできることが役立ってよかったという喜びや楽しさ、心地よさを提供したり、プロデュースしたりすることだと思うんです。僕は物事を面白がるのが得意。面白くプロデュースした取り組みに、障害者や地域の人を組み込むこともうまいと思っています。だから、この事業は僕が取り組むものだと感じているんです。」
『戦闘機が買えるくらいの はした金ならいらない』(THE BLUE HEARTS「NO NO NO」1989年/作詞:甲本ヒロト)
あの日、店頭で聞いた曲の歌詞が思い出させてくれた。お金があるか無いか、損か得かなど考えず、困っている人が流す涙をどうにかするために、動ける大人になりたかったことを。
清田さんは、これからも14歳の自分を生きてゆく。