近年、自然だけでなく芸術鑑賞を目的にやって来る人が増えている。人々が訪れるのは、養父市大屋町内に点在する作品の展示施設だ。それらの中心となる 「おおやアート村 BIG LABO(ビッグラボ)」は、廃校になった県立八鹿高校大屋校を再生させた施設で、そこを拠点に活動するNPO法人おおやアート村は今年で設立2年目を迎えた。
おおやアート村の理事長を務める田中今子さんは、京都の大学で絵を学んだ画家。創作の場を求め、大阪から大屋町にIターンして9年が経った。現在は、画家や絵画教室の講師という本業の傍ら、アートを軸にしたまちおこしのけん引役として忙しい毎日を送っている。
田中さんが初めて大屋町に足を運んだのは、今から18年前。当時、大屋在住だった友人の陶芸家に誘われて、地元で開催されている「木彫フォークアートおおや」展を観覧に訪れた時のことだった。
展示されている作品のクオリティに驚いた田中さん。全国公募の木彫展だけでなく、絵画、陶芸、書など幅広い分野で、大屋在住作家による作品展「うちげぇのアートおおや」が開かれていることも知り、まちぐるみでアートを育む大屋への関心を深めていった。
以来、当時小学生だった一人息子とともに訪れているうち、豊かな自然に恵まれた大屋のまちにすっかり魅せられ、平成17年に移住を決意する。
「自然の中で絵が描ける環境に憧れ、子どもの小学校卒業と同時に引っ越しました。初めは大阪を離れることを渋っていた息子も、最後は大屋ならって賛成してくれました」
いざ大屋に住んでみると、時間の流れが一変したという田中さん。
「本来の自分はもっとのんびりしていたことに気がつきました。明らかに歩く速度も遅くなって、忘れていた『素』の自分を取り戻しました」
よりよい創作環境を求めて移り住んできた田中さんは、かつて郵便局だった築100年を越す建物の2階に暮らし始めた。「この頃はまちおこしに関わるなんて微塵も考えなかった」と振り返る。
ところが、制作した作品を常設する場がなかったため、移住から3年目の平成20年、1階を改装してギャラリーをオープンしたところ、まちの人たちが訪れるようになった。そして、それまであまり親しい付き合いのなかった人たちと顔を合わせ、言葉を交わしているうちに、田中さんの中に新たな思いが芽生えはじめた。
「よそ者の私たちを受け入れてくれたこのまちを、私のアートの力で元気づけることはできないだろうか」
こうして田中さんは、自身の創作活動だけでなく、まちおこしにも目を向けるようになっていった。
ちょうどその頃、大屋で毎年開かれるアート展や地元作家の創作活動といった芸術資源と、大屋が持つ自然や歴史などの地域資源を結んで新しいまちおこしを目指す「おおやアート村構想」が動き出していた。田中さんも地元作家の一人として意見を求められたことをきっかけに、活動に関わることになる。
平成24年4月、その拠点として、廃校を活用した「おおやアート村 BIG LABO(ビッグラボ)」がオープン。さらに、アートを中心に据えたこの地域振興活動を本格化するためにNPO法人を設立することが決まり、平成25年1月、田中さんは周囲に押される形で、NPO法人おおやアート村の初代理事長に就任した。
「私は賑やかなことが好きな性格なので、どうせならいろんな人と交流したいと思って引き受けました。まちおこしには、若者、よそ者、ばか者が必要だと言われますが、外から来てしがらみのない私が適任だったんでしょう。もう若者ではありませんでしたけど」と笑う。
訪れる人が鑑賞するだけでなく、体験や制作もできる場として生まれたビッグラボを拠点に活動するおおやアート村。展覧会の企画、木彫や絵画などのアート教室の運営、子どもたちの遊び場としてのマンガ図書室や子ども工作室の提供など、活動の幅は多岐に渡る。そこには、田中さんの「アートへの敷居を低くしたい」という思いが根底にある。
また、他地域の作家の創作拠点になればと、ビッグラボでは貸しアトリエもある。アート村の活動を知り、一度は東京や大阪に出ていた地元出身の作家の卵がUターンして創作活動を始めるケースも出てきている。
来春にはビッグラボ内に、地元の農産物を使った料理を楽しめるカフェをオープンする予定だ。そこで提供するパンやピザを焼く窯を、一般から広く参加者を募りワークショップ形式で製作している。
「カフェは地元に外食する場があまりないことから生まれたアイデアです。アートを目当てに来る人、農や食を目当てに来る人など、より多くの人たちに施設を訪れてもらえます」
今年の11月8日、9日、豊岡市の但馬ドームで「~出会い・感動~夢但馬2014 ふれあいの祭典 コウノトリ翔る但馬まるごと感動市」が開かれる。そのPRチラシやポスターの元となった原画は、去る5月25日にビッグラボで開催された「第4回大屋手づくり市」会場で制作されたもの。「たじまの夢」をテーマに、田中さんらの指導のもとイベントに参加した子どもたちが書き上げた作品だ。デザイン原画は、感動市の当日、会場に展示される予定だ。
移住後の田中さんが毎年作品を出展する「うちげぇのアートおおや」展。その会場となる「分散ギャラリー養蚕農家」館長の河邊喜代美さんとは、移住当初から親交がある。田中さんのよき理解者であり、相談相手だ。
建築家である河邊さんの夫が地域に残る養蚕農家を改修してオープンしたこのギャラリーは、地元作家の手による作品を鑑賞・購入できる場になっている。また、ギャラリー内に入っているカフェでのひと時は、地域内外を忙しく飛び回る田中さんにとって貴重な憩いの時間にもなっている。
もうひとつ大切な息抜きが、氷ノ山へのドライブだ。木々に囲まれ、ただじっと自然を感じることが至福の時間となる。
「夜空を見上げた時、満天の星が一面を覆う様子は言葉では言い尽くせません」
養父の自然は田中さんの創作意欲の源であり、なくてはならないものとなっている。
田中さんが自作の絵にアルファベットで入れるほど気に入っている言葉が「一期一会」だ。
田中さんが大学生の頃、50歳だった母が他界した。子どもから手が離れ、これから自分のやりたいことができるという矢先のことだった。
「私は母の死を受けて、今は今しかない、だから自分のやりたいことをやろう、一生絵を描き続けていこうと決心しました」
以来、「一度きりの人生を大切に生きること」が田中さんの信条となったという。
アートによるまちおこしはまだ緒に就いたばかり。いまや大屋に欠かせない存在となった田中さんは、自然に囲まれた今の暮らしを大切に、まちおこしに励みながら絵を描き続ける。