淡路島の内と外を、人とアイデアの力でつなぐ。それが、株式会社シマトワークスです。
リモートワークやワーケーション(*)など、働き方改革をはじめワークスタイルの見直しが加速度的に進んでいる昨今ですが、富田さんは何年も前から新しい働き方を提案してきました。
その企画力は、島内企業・店舗のイベント企画から、インバウンド観光や大手企業の社内研修プログラム、まちおこし情報の発信サポート、島外企業の新規事業立ち上げやリブランディング支援まで、あらゆるフィールドで発揮されています。
淡路島と出会い、自分らしい働き方に気づいた富田さんが、働くことを楽しみ続けた先に見つけたもの、さらにこれからかなえたい夢をうかがいました。
*ワーケーション:ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を組み合わせた造語。観光地など自宅以外の休暇先で、リモートワークを利用した働き方。
「キリンビールの家」。
地元の人々が親しみを込めて呼ぶその家は、古びた看板と共にまちのアイコンになっている元酒店。空き家になった数年後、富田さんたちの手によって、再び人が集まる場所として息を吹き返しました。令和3年5月のことです。
「地元の人に、受け入れてもらえるのか不安でした。でも改装が始まると、向かいの家のおばあちゃんが毎日、毎日見に来てくれたんです。この元酒店で働かれていたそうで、私たちの入居を喜んでくださってホッとしました。」と微笑む富田さん。この空き家をもう一度、人がつながり、わくわくすることが生まれる場にしたいと語ります。
大学で建築を専攻していた富田さん。兄のイベント活動を手伝ううち、アイデアを形にする「企画」というものづくりに興味が芽生え、建築と企画を両立させた仕事に就きたいと考えるようになりました。しかし、希望に添った就職先は見つからず、自分で仕事をつくろうと、大学卒業と同時にフリーランスの道へ進むことにしたのです。
フリーランスの設計士として仕事を始めた富田さんに初めて声がかかったのは、淡路島での古民家再生事業でした。この仕事をきっかけにつながった淡路島のNPO法人を通じて、企画に関わる仕事も少しずつ増え、淡路島との縁もどんどん深くなっていきました。
「淡路島で取り組んだ古民家再生は、自分で設計して、目の前にある素材に自分で触れながらつくる、コンパクトで肌触りのある仕事でした。次は、図面を通していろいろな人が関わりながら、大きな建築物を形にする仕事がしてみたくなり、憧れていた東京へ行こうと思ったんです。」
当初から、フリーランス活動は2年間と決めていた富田さん。計画通り2年でフリーランスに区切りをつけ、「30歳になったら独立しよう。」という決意と共に、淡路島に別れを告げたのです。
地元で愛されている「キリンビールの家」こと、Workation Hub 紺屋町
古民家再生事業の様子
東京では企業に就職し設計の仕事に打ち込む一方、職場以外でもつながりを作り、様々なイベントを企画し続けた富田さん。しかし、それをどうやって仕事にすればいいのか考えあぐねていた頃、「淡路島で、島らしい仕事を創り出す事業の立ち上げを手伝ってもらえないか。」と声がかかりました。フリーランス時代、初めて仕事を依頼してくれた人からの誘いでした。
実は当時、富田さんは「淡路島へ戻るつもりはなかった。」と言います。しかし、「面白そうだ。」という高揚感と、まだ成果もなかったフリーランスの頃、手を差し伸べてもらったことへの感謝の想いから、「淡路島で独立しよう」と決めたのです。
東京での仕事を辞め淡路島へ移住後、富田さんが取り組んだのは「地域雇用創造推進事業」。地域の事業者が雇用を増やすための研修や、起業を目指す人がスキルを身につけるための講座の提供など、新しい雇用の創出を掲げた事業でした。富田さんたちは、事業計画書の作成から始め、1年がかりで事業化に成功。「淡路はたらくカタチ研究島」と名付け、事業推進員として働くことになりました。
「働くってどういうことだろう。淡路島や住民の人たちにとって、どういう働き方がいいんだろう。自分たちらしい働き方って何だろう。それをみんなで一緒に考えて、はたらくカタチを研究しよう。そんな気持ちで取り組んでいました。」
事務局として、年間100本に上る研修や講座の企画・運営を担当した富田さん。
「例えば、農産物の商品化を目指している生産者を招き、受講生たちで実際に商品開発に取り組んだりしていました。農業、漁業、畜産業の生産者、官公庁やホテルに勤める島の人たち、料理家、プロダクトデザイナー、プロデューサーといった講師の方たちなど、いろいろな人が集まっていましたね。」
「淡路はたらくカタチ研究島」の活動に取り組んだ2年間を、富田さんは「自分らしい働き方を考えるきっかけになった」と振り返ります。
「東京と淡路島とでは、働き方も暮らし方も、大切にしている価値観も違っていました。新しいか古いかではなく、それぞれの地域にはそれぞれの働き方があることを肌で感じたんです。大学卒業後、淡路島に通い始めた当初、昼も夜も私に会いに来てくれる島の人たちは、どうやって生活しているんだろうと不思議でした。朝から出勤して、働いて、残業して帰る、土日は休んで面白いことをする、それが『普通』だと思っていたからです。でも、淡路島の人にはそれが淡路の普通、東京の人にはそれが東京の普通でした。働くことに対する視点や捉え方が、違っていただけだったんです。」
自分がどういう働き方や暮らし方を選択するのかは、自分で決めればいい。そう気付いた富田さんに、いよいよ独立の時が近づいていました。
主催された、淡路島キャンドルナイトの様子
同じく主催された、東京thankshanabiの様子
平成26年4月、株式会社シマトワークスを立ち上げた富田さん。「面白い」と感じる気持ちを最優先させ、どんどん事業化。どの仕事も「楽しいです!」と笑顔で話します。中でも印象深い仕事だと語るのは、立ち上げから間もない頃に手がけた事業でした。
「神戸市のホテルが、淡路島とつながりたいと言っている。」と紹介された富田さん。提案したのは、ホテルを利用するお客様に向けた、淡路島の生産者によるトークイベントでした。
「実は、ホテルスタッフが生産者を知るための研修でもありました。お客様が帰られた後、料理長からアルバイトスタッフまで全員で生産者を囲み、その人の食材を使った料理をいただくという企画を月に一度、40回ほど継続したんです。経営者やマネージャーだけでなく、スタッフ全員が淡路島とつながることを楽しんで欲しかったんです。」
その結果、ホテルに大きな変化があったと言います。
「生産者の人柄や仕事への想いを知ったことで、調理にも接客にもいっそう熱が入るようになりました。一方、生産者もシェフと一緒にお客様へ挨拶に出向いたり、自分の食材の使われ方を目にすることを喜んでいました。」
人のつながりを大切にした、シマトワークスらしい事業だったと富田さんは振り返ります。
そして令和3年になり、新たに取り組み始めた事業がワーケーション拠点の開設です。
「シマトワークスのワーケーションは、淡路島で新しい事業をつくりたいという人たちに利用していただく事業です。働き方を変えたいだけではなく、都会の人同士が、都会では出会えない人たちとのつながりを求め、東京や大阪から来ている方たちが多いんです。」
実は富田さん自身も、1年のうち1カ月をベトナムで暮らすワーケーション生活を4年間続けていました。働き方や暮らし方が整い、仕事がどんどんはかどることに気づいたことで、ワーケーションを「働き方のメンテナンス」だと考えるようになったと言います。働き方に自分を合わせるのではなく、自分で働き方を主導するためのツールとして、ワーケーションを提案しています。
淡路島と出会えたからこそ見つかった、自分らしい働き方。それは富田さんに、大切なことを気付かせてくれました。
トークイベントに参加された生産者さんのおひとり
ベトナムでのワーケーション生活
15年前、初めて開催した大規模な自主企画イベントで、富田さんは苦い経験をしました。
「イベントを楽しもうとたくさんの人が関わってくれたのに、私の力不足で『お手伝い』で終わらせてしまったんです。」
その体験から富田さんは、一番大切にしたい指針を見つけました。それは、「自分たちが、お客様より楽しむこと。」シマトワークスが掲げる「わくわくする明日をこの島から」という企業理念の原点です。
「淡路はたらくカタチ研究島でのワークショップで見つけた、自分自身の生き方でした。なぜ就職しなかったのか、なぜ東京へ行ったのか、なぜ淡路島に戻って来たのか。どの行動を振り返っても、『わくわくする』ことが、私の人生のすべての基準になっていたことに気づいたんです。」
お客様、シマトワークスの仲間、関わってくれる人、どうしたら誰もがわくわくできるのか。いつも最優先に考えながら、日々を暮らしていると話します。
そんな富田さんの夢は二つ。一つは、一緒にわくわくする仲間を増やすことです。
「1人で始めたシマトワークスも、メンバーが3人に増えました。うれしい時に『うれしい』と喜び合えたり、辛い時に『辛い』と言い合える仲間ができたことが、とにかく楽しいんです。」と言います。
「ワーケーションを通して事業やお店を始めたい人を増やし、淡路島をもっと居心地のいい場所にしていきたい。その先で、シマトワークスにも面白い仲間が増えたらいいなと思っています。」
そしてもう一つは、海外から淡路島へ人を招く事業の拡大です。
「はたらくカタチ研究島を立ち上げる直前に留学した韓国で文化財団の方と仲良くなり、お互いの地域を視察し合うようになりました。新しい人脈や価値観の刺激を受け、地元を代謝させたい。まちや人を豊かにしてくれるつながりを、たくさん作りたいんです。」
富田さんにとって、豊かさとは?
「友だちが、周りにどれだけいるかです。私は周りの人たちから幸せをもらっています。友だちや仲間がたくさんいるということは、とても幸せであり豊かな時間が多いということ。そんな人や時間を育てていくことを、これからも大切にしたいんです。」
かつてにぎわった酒店が、今再び人が出入りする場になり、「うれしい」「ありがとう」と言葉を交わし合う関係が育っています。
「その一言があるだけで頑張れます。豊かさってやっぱり、人のつながりなんですね。」
(文/内橋麻衣子 動画/三好幸一 )
15年前に開催した空き缶バンクプロジェクト
シマトワークスの皆さん