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丹波市で育む新たな能楽文化の種
地方での文化創生を先駆けたい!

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2022/03/05
上田敦史さん
(48)
兵庫県丹波市
能楽師大倉流小鼓方 株式会社伝楽舎
上田敦史

個人紹介

上田敦史(うえだあつし)昭和48年生まれ、和歌山市出身。能楽師太鼓方の父のもと、幼い頃から子方として舞台に立ち、高校2年生で現人間国宝である大倉流小鼓方十六世宗家 大倉源次郎に師事。平成4年、小鼓方としての初舞台を皮切りに様々な舞台を務め、海外公演にも多数出演。平成26年に丹波市に移住後は、丹波市内での田楽ライブ「農ライフ能ミュージック」などのイベント開催を経て、平成30年、能楽劇団「新丹波猿楽座」を始動。さらに令和3年5月には、伝統芸能を活用したふるさと観光資源の企画・開発・制作を行う株式会社伝楽舎を起業した。重要無形文化財総合認定保持者(*)でもある。


*重要無形文化財総合認定保持者:特定の個人や集団が相伝し、体得している無形の技の中で、特に重要なものとして国が指定した「重要無形文化」の技を、高度に体現できる者または正しく体得しかつ精通している者を「重要無形文化財保持者(人間国宝)」と呼ぶ。また、重要無形文化財に指定された技を、2人以上が一体となって体現または体得している団体の構成員を「重要無形文化財総合認定保持者」と呼ぶ。

丹波市唯一の能楽師として、注目を集め続ける上田敦史さん。囃子を演奏する小鼓方である一方、地元の歴史や人物を題材にした新作能の作者としても活躍中です。大阪府豊中市から移住後、「その土地に根付いているものこそが歴史文化。文化を人に伝えていくことが地元愛につながり、地域づくりになる」と実感。能楽が誇る伝統に、斬新なアイデアを取り入れながら、能楽文化の継承とふるさと観光資源の創出を目指し、精力的な活動に取り組んでいます。「外から持ち込む“鉢植え”ではなく、その場所に種をまき、根付かせることが伝統文化を育てること」と話す上田さんに、能楽師としての挑戦と丹波市への想いをうかがいました。

丹波への移住で手に入れた、新たな能楽スタイル

「えっ、農業ですか?」
丹波市移住のきっかけを尋ねた質問への予想外の答えに、思わず聞き返しました。
「もともと丹波市には、大阪から農業をしようと思って来たんです。」と微笑む上田さん。大学3年生の時、神戸市東灘区で阪神・淡路大震災に遭遇。地震は人の命を簡単に奪ってしまうものだと実感したと言います。さらに16年後の東日本大震災をきっかけに、自給自足の生活を意識するようになりました。

「いつまでも、今のような平和な暮らしは成り立たないかもしれない。人は食べられさえすれば何とかなる。舞台の機会が減っても、地方で畑を耕しながら暮らしていけるのでは。」と移住を決意。一年ほど色々な土地を見て周り、理想的な移住先だと感じた丹波市に家族でIターン。「半農半能」の暮らしを目指し、野菜づくりに取り組むことにしました。
実際に暮らし始めると、多くの楽しい仲間との出会いにより、農業と能楽のコラボイベント「農ライフ能ミュージック」など様々な取組がスタート。そんな上田さんの生き方が、耳目を集めるようになっていきました。

「大阪にいるときは都市部の第一線で活躍するのがすごい能楽師だと思っていましたが、丹波に来てしばらくすると、地方に住んで能に取り組んでいる人間はあまりいないので、むしろ注目されやすいんだと気づいたんです。」
さらに丹波は、最も歴史ある能の発祥地の一つであり、江戸時代以前は丹波猿楽(*)が非常に盛んな土地でした。
「この土地の元々の魅力に能楽をリンクさせれば、丹波で能楽を普及させるチャンスだ」と感じた上田さんは、平成30年1月、丹波地域の能楽劇団「新丹波猿楽座」を立ち上げ、丹波ならではの題材をベースに自分自身で新作能・新作狂言を制作。地域の子どもたちを集め、プロの能楽師と共演する取組をスタートさせました。そんな活動を続ける中で、ある転機が上田さんに訪れたのです。

*猿楽:江戸時代以前の能楽の呼称

仲間との出会いにより実現した、農業と能楽のコラボイベント「農ライフ能ミュージック」での田植え体験

仲間との出会いにより実現した、農業と能楽のコラボイベント「農ライフ能ミュージック」での田植え体験

恊働センターでのアルバイト時代に、佐用町で森林整備をしている頼政さん

「農ライフ能ミュージック」での能楽囃子コンサート

「新丹波猿楽座」を立ち上げ、親子に小鼓を教える上田さん

「新丹波猿楽座」を立ち上げ、親子に小鼓を教える上田さん

地域で愛され続ける歴史こそ、伝統文化になる!

令和元年4月28日、上田さんは丹波市にある黒井城跡で、自身初の書下ろしとなる新作能「直正」を上演しました。イベント会場の山頂まで、お客様やスタッフとともに、演者も着物や道具を背に登山するという、とても疲れる公演依頼でしたが、「能の魅力を最大限に生かすことができた」と実感したと言います。

「単にいい景色の中で、土地にまつわる能ができてよかったというだけではありませんでした。陣幕が張られた実際の居城跡で、茶会を開く甲冑隊を前にしての上演は、まるで戦国時代の猿楽を再現しているような心持ちでした。赤井直正は歴史の中では敗者ですが、地元の人には愛されている武将です。見た人は、鎮魂と同時に土地の歴史に思いをはせ、その土地の人が大切にしているものに触れることができました。これも現代における能のあり方の一つであっていいのではと思いました。」そんな上田さんの気づきは、伝統文化への想いも新たにさせることになりました。

「例えば丹波市市島にある神池は、村長だった吉見伝左衛門が私財を投げ打って完成させたため池です。その功績を新作能『神池』に残すことで、伝左衛門の魂への偲び草になると思いました。池の前に舞台を組んで上演すれば、本当に竜が現れそうな空気も体感できるでしょう。能楽を通じて、その土地に由来する人物の想いや歴史に触れることができれば、地元の人たちが後世に守り伝えていくこともできるのではないか。その土地の題材を、ゆかりのある場所で、その土地の人たちが関わって形にできれば、伝統文化として地域に根差すのではないかと思うようになったのです。」
また伝統文化は、地域の中から育てていくことが大切だと言います。

「地方公演といえば、都市部から芸能関係者を招き、その土地の人たちが鑑賞するスタイルが主流ですよね。もちろんこれは地方に住む人々にとって、色々な舞台芸術に触れられる大切な機会です。しかし例えるなら鉢植えを持ってきて飾っているようなもの、花が咲き終わればおしまいです。私はその土地に直に種をまきたいのです。文化は消費するものではなく、育むものだと思うからです。その種が実を結び、多くの人が地方を訪れる目的にできるような文化を育みたいのです。」

令和元年11月には第1回「新丹波猿楽座公演」として、新作能「直正」と、子どもたちが取り組んだ新作狂言「ちーたんと丹波竜」を上演し好評を博しました。また令和2年のコロナ禍では、新作能「アマビエ」を執筆し、15カ所で上演する人気作品となりました。
こうした取組を通して、様々な地方へも目を向け始めた上田さん。

「それぞれの土地で大切にされている人物や歴史を元に、ご当地の能狂言という新たなコンテンツを創出し、一つの文化観光資源になってほしい。」との想いから、令和3年5月、株式会社伝楽舎を起業。ふるさと観光資源の開発企画コンサルティングを中心に事業を展開し始めています。
「能の素晴らしさは、100年後200年後でも、台本さえあれば当時の演出のままに、後世の人が上演できること。だから何百年にもわたってその土地で大事にされるであろう題材を、それぞれの土地に見出していくことが大切です。例えば戦国武将もその一つ。明智光秀は裏切者のイメージが強い武将ですが、それだけではない生き様を知らしめたいと、地元の人は何百年間も思い続けてきました。それをお手伝いしようとしたのが、新作能『光秀』です。令和4年3月には、福知山市での上演が決まっています。」
新しいアイデアで様々な事業に取り組む上田さんですが、「決して最初から能楽が好きだったわけではない」と言います。

令和元年4月、黒井城跡で新作能「直正」を上演

令和元年4月、黒井城跡で新作能「直正」を上演

子どもたちが取り組んだ、新作狂言「ちーたんと丹波竜」

子どもたちが取り組んだ、新作狂言「ちーたんと丹波竜」

一度は嫌った能楽を、一生かけて受け継ぐために

能楽師の父のもと、幼い頃から能楽の世界に生きてきた上田さん。兄は父親の跡を継ぎ太鼓の道へ。上田さんは小鼓を学ぶために高校2年生で家元大倉源次郎師に弟子入りし、卒業と同時に書生になりました。
「本来、書生は住み込みで師の身の回りの手伝いや雑用をしながら、能楽の勉強に打ち込む立場ですが、私は下宿に住み、大学へ通うことを許されていました。師匠は当時からとても多忙な方でしたが、大学の授業があるため、満足に雑用もお供もすることができず、私は足手まといでしかありませんでした。どっち付かずの一番しんどい時期でした。」
大学を辞めるか、能楽を辞めるかという葛藤の中、体調を崩したこともあったと言います。

「台本もなかなか覚えられず、舞台に立つのが怖い。能楽が大嫌いでした。」
それでも辞めなかったのは、「本当に楽しいことには、それに見合う苦しさが伴うものだと気付いたから」と上田さんは言います。
「能の舞台で、演者の呼吸がピタッと合ったときとか、ぞくっと鳥肌が立つような瞬間があるんです。お客様もぐっと息をのむのがわかります。演者として初めてその瞬間に立ち会えた時、辞めてはいけない気がしました。舞台にかかわる機会が増えるにつれ、お客様やイベント関係者に『感動した』『震えた』と言われることがうれしくて続けるうちに、自分は能楽が好きなんだ、この仕事ができて幸せだと思えるようになれたんです。」
そんな上田さんを支えてきたもの。それは、能楽を継承することへの信念でした。

「能の魅力は役者ではなく、台本が完璧であることです。役者はいつか命を終える一時の花にすぎませんが、言霊(ことだま)が練りに練られた一分の隙も無い台本は、世阿弥の時代から650年間、一度として途切れることなく継承されています。私はその流れの中に身を置く存在として、自らの一生をかけて途切れさせないという想いのもと、伝統と革新性というふたつの継承に取り組んでいるのです。息子や孫に知識や技術、道具を受け継ぐ伝統文化の継承は、よく『継ぐを以て家とす』と表現されます。たとえ肉親でなく弟子を養子に迎えたとしても、生業を継いでくれる人を育てることが、家を継承することだという意味です。後続の人たちに続けてもらうために必要なのは、新しさとともに、能の楽しさ、素晴らしさを私自身が体現すること。自分自身の生き方の中にそれらを示し続け、その背中を見せてこそ、継いでくれるものだと思っています。もちろん子どもにとって、将来の道は自由なのですが、親が毎日つまらなさそうにしていたら、そもそも選択肢にもなりません。」
上田さんが会社を興してまで活動に取り組む原動力が、そこにありました。

舞台に立つ14歳の上田さん

舞台に立つ14歳の上田さん

小鼓方としての初舞台に立った思い出の楽屋で、左から師匠の家元大倉源次郎師、家元ご子息の大倉伶士郎さん、息子の上田航平さんと共に

小鼓方としての初舞台に立った思い出の楽屋で、左から師匠の家元大倉源次郎師、家元ご子息の大倉伶士郎さん、息子の上田航平さんと共に

文化を守ることは、地域をつくること

新丹波猿楽座の活動をしっかり定着させ、ますます発展させていきたいと話す上田さん。
「丹波の文化財産として定着させていくこと、さらに他の地域でもそれぞれの土地に合わせた展開をさせていくことが大切だと思っています。例えば、ある土地では能楽鑑賞が地域観光の目玉になったとか、年に一度ご当地ゆかりの能上演が定着したとか、まちを歩くとどこからか謡の声や鼓の音が聞こえてくるとか、それぞれの地方に合った文化としての能楽の活かし方を提供していきたい」と語ります。

「文化を守ることは歴史を守り、土地や地域、ひいては国を守ることにもつながっていく。そう信じていると、大きな力を得たような気持ちになります。日本人が培ってきた魂の軌跡は、明らかに能の中に残っています。本物の文化に触れることで『魂が揺さぶられた』『涙が止まらない』といった経験をしていただきたい。感動とは、人が生きることの根源に作用するものだと思っているのです。」
能楽の草創期のエネルギーを、もう一度丹波で体現してみたいと話す上田さん。上田さん自身が根を下ろした丹波のまちで、そこに眠る文化を掘り起こすにつれ「地元」丹波への想いがあふれます。

「丹波市が目指す『行きたくなる、帰りたくなる、心のふるさと』としてのまちの魅力のひとつに、伝統文化という情操教育が加われば、子どもを育てたいと思われる地域になると思うのです。地方に根付いている本物の文化に触れたいという人が現れた時、示せるものを今からしっかり磨いておくことは丹波市の財産になります。」
丹波市が、地方における文化創生の先駆者として認知されるまちになるために、上田さんの挑戦は始まったばかりです。

(文/内橋麻衣子 動画/三好幸一 )

令和3年12月、丹波狂言フェスティバル 狂言「三番三(さんばそう)」で親子共演 頭取(小鼓のリーダー役)に上田さん、脇鼓に息子の航平さん

令和3年12月、丹波狂言フェスティバル 狂言「三番三(さんばそう)」で親子共演
頭取(小鼓のリーダー役)に上田さん、脇鼓に息子の航平さん

令和2年、コロナ禍の中で執筆した新作能「アマビエ」

令和2年、コロナ禍の中で執筆した新作能「アマビエ」

POWER WORD

能楽は心を磨く種

能楽を通して伝えたいことの一つに、大和言葉の美しさを挙げた上田さん。練り上げられた言霊(ことだま)から生まれる能楽は一つの文学として、さらにその土地独自の歴史として、多くの人を喜ばせてきました。「直正」や「アマビエ」「光秀」といった新作能が、丹波をはじめとするそれぞれの地で育ち、たくさんの人々の心を潤す存在として後世まで受け継がれるために、上田さんが今、伝えたいこととは?

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