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その地域課題、“ダンス”で解決します!
その地域課題、“ダンス”で解決します!
「子どもでも大人でも、仕事に就いていてもいなくても。耳が聞こえても聞こえなくても、体を自由に動かせても動かせなくても。どんな枠も垣根も越えて、ダンスならつながれる。」
ヒップホップで“Cool(クール/かっこいい)” なDo-it(ドゥーイット)のメッセージに込められた、誰もが暮らしやすいまちづくりへの想いを聴いた。
【Do-it】
子どもや障害者、高齢者など、誰もが抱える社会課題や地域での困りごとを、ダンスを通じて解決を目指そうと、2003年に阿部裕彦さんが設立した任意団体。すべての人の社会参画を目指す場として、ダンス教室やダンスイベントを無償で開催。近年は、医療・教育・経済・福祉をキーワードに、より生活に密着した活動を行っている。2008年「兵庫県くすのき賞」、2012年および2017年「ユニバーサル社会づくり賞」、2017年「内閣府チャイルド・ユースサポート章」を受賞。
手話ダンス大会を通じて福祉+「エンタメ化」
指が歌っている――。2023年9月23日、神崎郡福崎町で開催された、第1回手話ダンス甲子園の決勝大会。Do-itのメンバーであるダンスチーム「ZIGGY.B(ジギー.ビー)」の11人は、『糸』(2001年/作詞・作曲:中島みゆき)の歌に合わせたパフォーマンスを披露。参加した12チームの中で、見事「メッセージ賞」に輝いた。
手話ダンス甲子園とは、福崎町と日本パラファンク協会(*1)が、アートを通じた共生社会の実現を目指して開催した手話ダンス(*2)の全国大会。この連携事業の開催に尽力した一人が、Do-itの代表であり、日本パラファンク協会の事務局長も務める阿部裕彦さんだ。
阿部さんが、ストリートダンスの楽しさに出会ったのは、10代の頃だった。
*1日本パラファンク協会:重度障害があっても参加できるコンテンツをアートで実現し、障害者や家族の社会参画を推進する組織
*2手話ダンス:手話ダンス甲子園の規定内では、歌詞や楽曲のもつ世界観を手話や表情、ダンス、構成などを活用して表現するアートと定義づけている
ヒップホップで地域に貢献しよう!
「田舎への悶々とした想いや、大人社会の矛盾へのむしゃくしゃした気持ちを発散する手段が、音楽に合わせて体を動かすことでした。ヒップホップやラップミュージックがカウンターカルチャー(*)を想起させるので、自分の中でシンクロしたんだと思います。」
29歳の時、地域交流センターの開設にあたり、活用方法を話し合う市民委員になった。自分にできる地域貢献を探した時、「ヒップホップで地域に貢献するって、むちゃくちゃカウンターカルチャーだ! 大好きなダンスなら、例え壁にぶつかっても、ボランティア活動を続けられる。」と思った阿部さん。
ダンスが市民権を得るには、生活に密着した困りごとの解決が必要だと考え、障害者、子育て世帯、高齢者など、社会での困りごとが多い人たちに寄り添っていこうと決心。2003年、ダンスを通じて社会課題に取り組む市民団体Do-itを立ち上げた。 *カウンターカルチャー:既存の支配的な文化や体制を否定し、それに敵対する文化
キーワードは「NOと言わない!」
Do-itの活動は、主に「障害」「子育て」「介護」の3分野。中でも代表的な取り組みは、障害者を対象にしたダンスによる福祉活動だ。例えば、特別支援学校などでストリートダンスのワークショップを開いたり、全国で初めて障害者が参加する、ヒップホップダンスバトルを開催したりしている。
他にも、障害者が同年齢の高校生や大学生のグループと、買い物や食事を楽しむ体験型の移動支援事業「まちブラ」を実施。一緒に「遊ぶ」時間を過ごすことで友だちになる機会をつくり、共助・互助のきっかけを生み出すことが目的だ。障害者サポートの中でも課題となっている、地方の移動支援システムの構築につなぐことを目指している。
特に個性的な活動が、ヒップホップダンスによる介護予防。その教室に集まったのが、手話ダンス甲子園に出場したダンスチームZIGGY.Bのメンバー、藤川百合子さん、則政敦子さん、𠮷岡和子さんたち福崎町の女性だ。教室への参加をきっかけに結成した、平均年齢64歳のヒップホップダンスチームとして、各地で開かれるワークショップやイベントなどに足を運ぶ。
「あんなに素敵な生き方ができるなら、年を取るのも悪くないと思ってもらうためのグループです。ZIGGY.Bのように体力が落ちても動けることが可視化され、証明できました。この価値観を広げたい。」と阿部さん。
Do-itは、社会的に弱い立場にいる人々が諦めていることを「NO(できない)と言わない」ことがコンセプト。「前向きに、何でもチャレンジしていこう。」という精神が一番の魅力だ。「だから、Do-itは何でもやります。」と話す活動の中には、高校と連携した取り組みもある。
高校生もダンス! ダンス!
県立高校の教諭である松原未来さんは、高校でのダンス授業をきっかけに、Do-itのメンバーになった。
「新学習指導要領に基づき、ダンスの授業が始まることになったんですが、指導する教師がいなかったんです。思い出したのは、加西市で開かれたダンスイベントを見に行ったとき、ダンスが上手なHiro(阿部裕彦)というダンサーがいたこと。思い切ってダンスの指導をお願いしたんです。」
松原さんの依頼を快諾した阿部さん。ダンス指導の教師として、7年間ボランティアで神戸市内の高校に通った。現在は、松原さんの転任先の高校で、地域の産業や課題について学ぶ「地域未来」授業の講師として、地元の農産物を使った商品開発や、障害のある子どもたちと手話ダンスに取り組む活動をサポートしている。
一方、自分自身もダンサーとして、高校の文化祭でダンスを披露する松原さん。最近は、「自分たちも楽しいことや、好きなことをやろう!」という空気が、生徒たちの間に生まれ始めたと感じている。 こうしたDo-itの活動に、20年もの長きにわたり取り組み続ける阿部さん。その背景にあったのは、3人との別れだった。
「生きたかった」3人に支えられて
阿部さんがDo-itの活動を始めて、数か月が過ぎたある夜のこと。高校3年生の生徒が、ダンスレッスンの帰りに飲酒運転の車にはねられ亡くなった。「Do-itを始めなければよかった。」と悔いる阿部さんに、生徒の両親は「活動を続けてください。」と訴えた。
「生徒は『今まで、こんなことをしてくれる大人はいなかった。』と、ご両親に話していたそうです。18歳の僕が大人へのむしゃくしゃした気持ちを何とかしたくて始めたダンスが、生徒たちとの共通言語に思えて、続ける決心をしました。」
2人目は、ある病気を抱えた小学生だった。病気を理由に市内のダンスレッスンを断られていることを知り、阿部さんが手を差し伸べた。しかし、イベントを目前に体調を崩し、そのまま帰らぬ人になってしまった。
そしてもう一人が、阿部さんの母親だ。障害を抱えた娘――阿部さんの妹の面倒を見ていた中、病に倒れ記憶をほぼ失っても、娘の話にだけは涙を流した。
「夜中も働くほど苦しい生活だったのに、妹に貯金を残していたんです。娘の成長を心配して亡くなるまで泣き続け、自分を捧げた母の人生って何だったんだろう。Do-itに関わった人たちの中には、生きたいのに亡くなっていった方がいました。そんな姿をこの目で見てきたので、この活動は命がけで取り組まなくてはダメなんです。」
そう話す阿部さんには、かなえたいミッションがあるという。
Do-itは、共に生きる希望
「障害者の互助のための、社会システムを作りたいんです。」
障害者のサポートサービスは「公助」が中心。子育てのためのファミリーサポートや、介護のためのワンコインの生活支援サービスのように、民間やNPOセクターが支援に参画し、周囲の人たちも障害者を支える「互助」を実現することが目標だ。
そのためには、「障害者自身が友だちを持つことや、互助によって豊かになる社会を体感する機会をつくることが必要。」と話す阿部さん。手話ダンス甲子園のような、福祉イベントを経済活動に活かす事業を取り入れることを提案したいという。
「手話ダンス甲子園には、300人の収容会場に1500人の来場希望者が集まりました。エンターテインメントにすることで、福祉の持つ独特の壁を感じさせず誰でも参画しやすくなったんです。エンターテインメント性を活かして、互助への気づきを障害者から発信し理解を深めてもらうことで、障害者サポートへの民間サービスの参入機会を増やしたい。互助の精神が地域に浸透すれば、他人の幸せを考えたサービスを作ることができます。これを経済活動につなげることで、経済性も社会の幸福度も高まるというのが、私の考えるモデルです。」
手話ダンスの発祥地となった福崎町でモデル化し、兵庫県へ、さらに日本全国へ、互助システムを広げたいと語る。
「社会的に弱い立場の方にとって、一緒に生きる人がいるという希望になりたい。」
Do-itへの想いは、20年の時を経てますます熱を帯びている。
(取材日 令和6年1月31日)