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音楽は、明日を生きる希望になる!
神戸新長田から届ける、元気と笑顔のメッセージ
音楽は、明日を生きる希望になる!
神戸新長田から届ける、元気と笑顔のメッセージ
平成7年の阪神・淡路大震災により、大きな打撃を受けた神戸市新長田地区。復興への足掛かりを模索していた新長田の商店街に、音楽というきっかけがもたらされたのは震災から7年目の春だった。初めて目にしたスティールパン(*)の美しい音色に再生への願いを託し、オーケストラを結成。叩くだけで誰でも楽しめるシンプルな楽器にもかかわらず、メンバーたちが「人生が変わった」と口にするほど、多くの人を魅了し続けるスティールパン。エンターテインメントとして、防災教育として。時には人の心に希望を生み出す存在として。音楽の力や、演奏の楽しさを地域に届けながら、結成21年目を迎えた。
*スティールパン:カリブ海のトリニダード・トバゴ共和国が発祥。大小様々な大きさのドラム缶を音階が出るように加工した打楽器。
【スティールパン楽団「ファンタスティックス」】
平成13年「神戸21世紀・復興記念事業(*)」として、神戸市長田区の商店街で開催された「長田ラテンミュージックストリート」への参加をきっかけに、新長田地区の商店主を中心に結成。事業終了後も演奏活動を通じて、人やまちの再生、新長田からの新たな文化の発信を目指そうと、平成14年「アスタ新長田スティールパン振興会」を発足。スティールパンスクールの運営や自主コンサートの開催を中心に、地元の学校や福祉施設、地域イベント、被災地での演奏活動などをボランティアで行い、スティールパンの普及・振興に取り組んでいる。令和2年12月には、「国際マリンバ&スティールパンフェスティバル」世界大会で、部門別1位に輝いた。
*「神戸21世紀・復興記念事業」:阪神・淡路大震災の被災地支援への感謝を伝え、復興したまちを披露するため、平成13年に行政と市民が一緒になって開いた復興イベント。神戸市内各地で257日間にわたり、400以上の催しが開かれた。
新長田に新たな音楽文化を育もう
震災から6年が過ぎた平成13年4月。復興に向かっていた商店街に、新たな活気が生まれようとしていた。
長田区の持つ陽気なノリの良さや親しみやすさに、明るいラテンのイメージを重ね合わせて企画された復興イベント「長田ラテンミュージックストリート」の開催が決定。 主催者から参加の呼びかけと共に紹介された楽器が、スティールパンだった。
当時、復興イベントの実行委員長を任されることになったのが、商店街で金物店を営む山本豈夫さん。楽器の演奏経験は全くなかったが、スティールパンの美しい音色と楽器としての歴史に心をつかまれた。
植民地時代に伝統楽器を取り上げられた黒人たちが、身近にあったドラム缶を楽器の代用として叩いたことが始まりと言われるスティールパン。逆境から立ち上がる楽器のイメージが、震災から復興しようとする新長田にふさわしいと、みんなの想いが一致したのだ。
イベントに出演するため、有志が集まりスティールパンのオーケストラ「ファンタスティックス」を結成。5カ月間の練習を経て、9月のイベントで演奏を披露し多くの人に喜ばれた。
「地元住民によるスティールパン演奏を、新長田の新たな文化として発信し、多くの人に希望を受け取ってもらおう。」
そんな想いで、事業終了後も活動継続を決意。
平成14年4月、山本さんを代表に「アスタ新長田スティールパン振興会」を発足させ、スティールパンの魅力や楽しさを届け続けている。
叩くだけで楽しめる楽器、スティールパン
スティールパンの魅力は、誰でも簡単に音が出せること。 「商店主の皆さんに、『音楽活動をしよう』といきなり言ってもとまどいますが、スティールパンは叩くだけで誰でもすぐ楽しめます。しかも珍しい楽器なので、聴いてくれる人の関心も集めやすく、イベントにはもってこい。」と教えてくれたのは、菅原一乙美さん。
安里春菜さんも「音楽に関わったことがない、楽譜も読めない、音階もわからない。そんな全くの初心者でも、スティールパンの表面に並んだドレミの場所を覚えれば、誰でも弾ける垣根の低さが魅力。」と話す。
一方、「10年続けていますが、いまだにリズムがおかしいと言われます。」と笑うのは高橋直樹さん。
「楽器とは、音楽的センスを備えた人がとことん練習を重ね、上達して初めて楽しくなるストイックなものというイメージでした。でもスティールパンは、どんな段階にいても楽しめる楽器です。私自身、少しずつしか上手になれなくても、自分なりの楽しさを感じることができています。」と楽しそうに話す。
また小原雅美さんは「スティールパンは、大人になってから始める人がほとんどなので、いつスタートしても誰もが同じように楽しめます。演奏スタイルも柔軟で、ソロでも100人以上の規模でも、何人集まっても全員で合奏できます。そういう楽器って珍しいのではないでしょうか。」と、スティールパンの特徴を語る。
美しい音色で聴く人を魅了するだけでなく、演奏する人をもとりこにしている。
人材育成から演奏、防災教育まで、多彩に活動中
平成14年、振興会の活動は、未経験者がスティールパンの演奏を気軽に学べる「アスタ新長田スティールパンスクール」の立ち上げから始まった。復興イベントが終了し、スティールパンがほとんど知られていないことを目の当たりにしたからだ。スクール生は、現在およそ60人。
スクールを通してスティールパンの楽しさを実感し、「演奏活動に参加したい」と楽団に加わる人が多いと言う。
現在ファンタスティックスのメンバーは21人。地元商店街の商店主をはじめ、会社員や医療関係者、作家、学生など、10代から50代までの人々が所属。『しあわせ運べるように(*)』を代表曲に、演奏活動を続けている。
活動の中心となるのは、毎年3月に開催する「アスタスティールパンコンサート」。「1.17を忘れない」をコンセプトに、平成15年にスタート。スクール生の発表と、ファンタスティックスのコンサートの場として演奏を披露している。
そしてもう一つが、毎年9月に開催する「KOBEスティールパンカーニバル」。ファンタスティックス誕生のきっかけとなった「長田ラテンミュージックストリート」を継承したイベントで、当日は全国各地からスティールパンのバンドやオーケストラなどが集結し、それぞれの演奏を披露する。
その他、神戸市が主催する音楽祭への参加や音楽家との共演、福祉施設や学校、地域イベントでの演奏など、様々な活動にボランティアで取り組んでいる。
*『しあわせ運べるように』: 阪神・淡路大震災直後、神戸の再生を願い鎮魂と希望を込めた「復興の歌」として、当時神戸市内の小学校に勤める音楽教諭によって作られた。長年、神戸の人々を中心に歌い継がれ、現在では復興のシンボル曲となっている。
世界大会1位入賞にかけられた言葉は「ありがとう」
精力的に活動を続けていたファンタスティックスだったが、令和2年には、新型コロナウイルスにより歩みを緩めざるを得ない状況になった。80人近くいたスクール生は、一時30人にまで減少。
東京からのリモート指導による練習となり、密集を避けるため全員が集まれない日々が3ヵ月も続き、メンバーたちは「辛かった」と振り返った。
アスタスティールパンコンサートは中止。20回目の記念となるKOBEスティールパンカーニバルは、須磨海岸から地元の新長田に会場を移し、規模を縮小しての開催となった。
しかし、そんな中でも楽しむ工夫は忘れなかった。リモート演奏「おうちにいようプロジェクト」を発案。NHKみんなのうたで人気の曲を、メンバーそれぞれがスティールパンで演奏している様子を動画に収録。編集で合奏に仕上げたリモートアンサンブルに、募集した子どもたちのダンスを合わせて動画を配信した。
「自分たちの演奏で、子どもたちがこんなにも楽しそうに踊ってくれるんだ!」と、メンバーたちも新しい体験ができたという。
さらに、毎年7月に南アフリカで開催されるコンテスト「国際マリンバ&スティールパンフェスティバル」が、録画動画での開催となったことで、ファンタスティックスも初参加。アレンジや音の強弱の変化、表現力の高さが評価され、参加した部門の中で見事1位に輝いた。
「周りの方たちから『コロナ禍で気持ちが落ちこんでいたが元気になれた』『勇気をもらえた、ありがとう』と言っていただきました。自分たちの演奏で、感謝してもらうことができたんだと思うと、本当にうれしかった。」と安里さんが話す。
自分たちの演奏を通して、人々が喜ぶ姿に触れることができる! 演奏を通してみんなが感じたのは、音楽の力だった。
音楽がみんなの喜びや励ましになってゆく!
平成25年と平成27年の3月、ファンタスティックスは東日本大震災で甚大な被害を被った宮城県へ出向き、演奏会を開催した。
「震災で更地になってしまった建物跡で、地元の人たちに演奏をお届けしました。印象深いのは、涙を流しながら聴いている方が多かったこと。演奏後には『辛いけど頑張るわ』と、笑顔になってくださいました。音楽を通じて心を癒し、希望を届けるというファンタスティックスの目的が、ちゃんと伝わっていると感じました。」と斎藤春美さんは話す。
一方、地元・新長田の商店街でも、1月17日に開かれる阪神・淡路大震災祈念イベントで演奏を行うことがある。特にメンバーたちの印象に深く残っているのは、平成27年のイベントだ。足を止めて聴き始める人たちや、一緒に歌い出す買い物客がいる中、演奏している目の前で涙を流す人を目にした。
「心を動かす音楽を届けることができた!」と、忘れられない体験になったという。
最初は、自分の楽しみのために始めたスティールパン演奏だった。しかし、「毎年このコンサートに来るのが楽しみになった」と言ってくれる地元の高齢者や、「イヤな気持ちを抱えていたけれど、演奏を聴いたらすべて忘れられた」と喜ぶ人に出会い、聴いている人たちの気持ちが変化してゆく様子に触れることで、自分たちの音楽が誰かの喜びや癒し、励ましになることがうれしくなっていった。
「『楽しんでください』と伝えなくても、楽しみにしてくれている人がいる。自分の楽しさが他人の楽しさにつながるって、すごいことだと思っています。」と話す菅原さん。
スティールパンがつないでゆくものは、音楽の楽しさだけではなかった。
スティールパンは、人とのつながりを生む楽器
ファンタスティックスの演奏活動で、忘れられない思い出を尋ねると、平成27年9月に開かれた「KOBE 100PANプロジェクト(*)」という答えが返ってきた。100人でスティールパンを演奏しようという企画に、160人を超える応募が集まり、応募者全員で演奏したコンサートだ。その演奏を、高橋さんは「人とのつながりが生まれてゆく体験」と表現した。
「みんなで一緒に演奏する達成感は、言葉にできないくらい大きなものでした。もともと私は一人で読書や映画観賞をする程度で、趣味も持たない仕事人間でしたが、スティールパンに出会い、みんなで音楽を楽しむことに夢中になりました。スティールパンは、人とのつながりが生まれていく楽器なんです。」と語る。
さらに、兼田奈津子さんは、ファンタスティックスの設立のきっかけである防災という側面からも、つながりを生み出していきたいと言う。
「演奏前に防災についてのクイズやゲームを行なったり、神戸の震災をきっかけに誕生したことを紹介したりしています。そんな背景を持つ楽団があるのかと、みなさんの記憶にファンタスティックスを残すことで、多くの人と新たなつながりが生まれればと思っているんです。」
そして、最も強いつながりはメンバー同士に生まれている。
「お互いに助け合える楽団。それぞれの役割や立場を理解して共有し、自分ができることにしっかり取り組み、できないことは誰かに頼る。それが演奏活動を長年続けられているポイントだと思っています。」と言う斎藤さん。 そんなファンタスティックスには、さらにつないでゆきたいものがある。
*「KOBE 100PAN プロジェクト」:阪神・淡路大震災20年の節目に、100人のスティールパンプレイヤーによる演奏を企画。アマチュアプレイヤーによるこの規模の演奏会は国内初。
音楽の力を、明日の希望につなぐために
「ある時、中学進学と同時にスクールを離れた当時6年生の児童が、「また演奏したくなった」と社会人になって戻ってきた。
うれしかったです。もっともっと仲間を増やして、活動を続けていきたいと思いました。」と話すメンバーたち。子どもたちが大人になった時に戻れる場所として。定年を迎えた人たちが次の生きがいを持てる場として。小学生から年配の人たちまで、触れ合う機会の少ない異世代が交流を深め合えるよう、みんなで音を合わせる楽しさを感じ合いたいと話す。
「スティールパンの演奏は、私たち演奏者と聴いている人たちの間で、楽しい気持ちが循環するんです。」と言う兼田さん。演奏している自分自身が楽しむことで、聴いている人たちを笑顔にできる。そんな音楽の楽しさを伝えた先に、生きる希望が生まれて欲しい。それこそが音楽の力であり、メンバーみんながファンタスティックスの活動に込める願いでもある。
令和元年、防災教育の一環として、地元の小学校で『しあわせ運べるように』を演奏した時のことだ。
「震災を経験したことのない子どもたちに、どこまで想いが伝わるのだろう。」
そんな疑問を抱きながら、演奏を始めた時だった。児童たちがスティールパンの音色に合わせ、自然と歌を歌い始めたのだ。
「私たちの活動と想いは、きちんとつながっていくのだと感動しました。音楽の力はちゃんと伝わるのだと実感できた体験でした。」と語るメンバーたち。
明るい未来や希望につながる音楽の力を、ファンタスティックスはこれからも届けてゆく。
(取材日 令和3年7月4日)