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俺たちの武勇田

CO+COすごい
2021/12/23
香美町小代区貫田地区
俺たちの武勇田

俺たちの武勇田の地域活動をご紹介。

うへ山の棚田は俺たちが守る!
村づくりにつながる米づくり。

 

うへ山の棚田は俺たちが守る!
村づくりにつながる米づくり。

町の面積の約6割が自然公園区域に指定される香美町は、兵庫県北部に位置する、手つかずの自然にあふれた地域だ。中でも、里山の美しさが際立つ地域が、小代(おじろ)区貫田地区だ。地滑りでできた傾斜を開拓した「うへ山の棚田」は、日本の棚田百選(*)に選ばれたり、山陰海岸ジオパーク(*)の見どころの一つにも認定され、一年を通じて多くの人が写真を撮りに訪れる国内有数の絶景を誇る。
しかし近年は、耕作者の高齢化や人口の減少などにより、美しい棚田の景観を維持できなくなるかもしれないという事態に直面している。地域の誇りである棚田の一部が、荒れ果ててしまう――。そんな危機を脱するため地元の有志たちが結束し、平成24年に「俺たちの武勇田」(以下、「武勇田」)を立ち上げ。米づくりに挑みながら棚田を守り、間もなく10年目を迎える。

 

*日本の棚田百選:農林水産省は、多面的機能を有している棚田の保全や、保全のための整備活動を推進し、農業・農村に対する理解を深めるため、平成11年、117市町村(当時)134地区からなる棚田を「日本の棚田百選」に認定。

*山陰海岸ジオパーク:山陰海岸国立公園を中心に、京丹後市の東端から豊岡市、香美町、新温泉町、岩美町を経て鳥取市の西端までのエリア。日本海形成から現在に至る様々な地質が存在し、それらを背景とした生き物や人々の暮らし、文化・歴史に触れることができる地域。

 

【俺たちの武勇田】
地区の顔ともいえる「うへ山の棚田」に放棄田ができる事態を避け、美しい棚田の景観を守るため住人が団結。米づくり未経験のメンバーが、各自の専門技術と持ち前の結束力で棚田の米づくりに挑むボランティアグループ。建設業や造園業、介護職、大工、公務員など、サラリーマンから自営業の職人まで、様々な職業の人たちで結成。地区内の米づくり経験豊富な年配者や子どもたちをはじめ、中学・高校・大学との連携や地区外から訪れるボランティアたちとの交流を深めながら活動を続けている。

棚田の絶景は無くせない!

「10年間で、今年の稲が一番美しかった。」
稲刈りの日の朝、田んぼを見渡した小林良斉さんの目に映ったのは、真っ直ぐ立ちあがった稲穂が一面に広がる風景だった。
「改善を重ねながらつくり続けた甲斐がありました。うれしかったです。」
耕作経験が無いに等しかった人々が挑む、棚田の米づくり。そのきっかけは10年前にさかのぼる。
「清松っつぁんとこの田んぼ、もう作り手がおらんらしい。」
平成26年の春を迎える頃、貫田地区にそんな話が広がっていた。日本の棚田百選にも認定された景観の中心部を担う一枚の田んぼが、高齢化によって放棄田になろうとしていたのだ。
田植えシーズンのゴールデンウィークを過ぎ、5月半ばになっても後継者が現れる気配はなかった。このままでは、棚田を撮影に来る人や観光に立ち寄る人たちが楽しみにしている、美しい景観が維持できなくなってしまう。 「誰かが個人的に耕作を引き受ければ、例年通りの景観は保てる。しかし、あっちの田んぼもこっちの田んぼも、きっとすぐ同じ状況になる。どうにかしなくては……。」
「みんなに言ってみいや」と知人に背中を押された小林さん。集まった地域の人々に「みんなで、うへ山の田んぼをつくってみんか?」と恐る恐る切り出すと、前向きな返事が返ってきた。
「声をかけるのが、めちゃめちゃ怖かったんです。それぞれ仕事を持っているので、農作業をするためには週末の貴重な時間を割くことになります。負担になることがわかっていただけに、ホッとしました。」と振り返る。
「観光スポットなのに、耕作を放棄した田んぼを見せるわけにはいかない。ちょっとでも役に立てたらと思いました。」と話すのは田尻幸司さん。
手探りの中、武勇田の米づくりが始まった。

 

うへ山の棚田
日本の棚田百選に選ばれるほどの美しさ

 

冬のうへ山の棚田
雪に覆われた棚田は、夏とは違った魅力

棚田から人のつながりが生まれた

当初から地区の人たちが結束したのには理由がある。もともと貫田地区には、消防団活動を中心に世代を超えたつながりがあった。また土木技術者が多く、地区内の作業や工事などを週末に請け負う「ホリデー交業」と名付けた作業部隊をつくり、一緒に仕事をしたり酒席を設けて交流を深めたりしていた。
そのホリデー交業のメンバーを中心に、集まった有志は12人。米づくりに関しては、ほぼ全員が未経験だったが、草刈や水路の確保に始まり、田起こし、田植えと、経験者のアドバイスを受けながら「イベントのように行った。」と言う小林さん。
その後、草刈に励んでくれる人や、水の管理に足を運んでくれる人、田んぼの空いたスペースを埋めるため苗を手植えしてくれる地区の“おばちゃん”たちなど、多くの人の協力のもと9月には稲刈りを迎え、無事に初めての米を収穫することができた。
この武勇田の米は、SNSでの発信やメディア取材を通じ、徐々に認知度が向上。学校給食や温泉旅館など販路が開かれてゆくと同時に、人とのつながりも生まれていった。
3年目を終える頃、京阪神地区の大学の女子学生が「ゼミで手伝わせてほしい」と相談にやって来たことをきっかけに、大学との交流がスタート。国際ワークキャンプ(*)を通じた海外ボランティアの受け入れも行った。また、田植えをイベント化してSNSで発信したことで、多くの人が棚田へ農作業体験やボランティア活動に訪れることになった。
棚田へ訪れたことをきっかけに、地域おこし協力隊として貫田地区に移住。地区の住人と結婚し、ゲストハウスをオープンさせた人がいる。大学との交流が生まれるきっかけになった当時の女子学生、田尻(旧姓:北田)茜さんだ。
「茜さんがゲストハウスを開いてくれたことで、ボランティアたちの拠点が生まれ、活動に参加してもらいやすくなりました。家族連れや看護師、学生など、毎回その時期ごとに多様な人がやって来ます。この地区に来てくれた人たちがハブとなり、そこから新たな交流が広がることで、若い世代の人たちとの距離が近くなったのは、この地区にとって大きな収穫です。」と小林さんは話す。
さらに、棚田を守る有志として武勇田が知られるようになったことで、地元の中学校や高校との連携も生まれた。特色ある学校づくりを進める高校が、総合学習の一環として棚田での農作業体験を依頼。学生たちは苗の手植え、草取り、手で稲を刈り取る作業を行う。
「こんなに大変な作業をして、お米がつくられているとは思わなかった。お米をつくっている人に感謝したい」と感想を述べる学生もいるという。
小林さんは「手で苗を植えたり稲を刈ったりするなんて、今の日本ではわずかな人しか経験できないこと。このような取組を武勇田が手伝うのは、大切なことだと思っています。」と話す。
順調に前進を続けるように見える武勇田だが、これまで多くの壁を乗り越えてきた。

 

*国際ワークキャンプ:1920年から始まった、各国の国際ボランティアNGOが運営する合宿型のボランティア。国内・海外で世界の仲間や住民と一緒に、地域社会の環境、福祉、文化の改善を目指し、海外約90ヶ国3,000ヶ所・国内50カ所以上で開催。

 

手植えの様子
一本一本丁寧に行われる手植え

 

地元の学校に通う生徒たち
総合学習の一環として棚田での農作業を体験中

イノシシに負けるな! 史上最大の被害

棚田での米づくりには、棚田で行う作業ならではの苦労が伴う。
まずは水の管理だ。うへ山の棚田は、山の湧き水を田んぼに引いているため水量が一定しない上、地形的に水が入りやすい田んぼと入りにくい田んぼがあり、米づくりに必要な水を効率よく行き渡らせることに苦心した。また米づくりは、田んぼに水を張るのと同じくらい、水を抜く作業も重要だ。稲刈り時などには、田んぼから水をきっちり抜ききる必要があり、水はけの良い田んぼづくりが求められる。武勇田では、コンクリート製の水路に改修するなど、整備に時間をかけて一つひとつの課題に対応。今でも、水路の改修は続いている。
さらに棚田は中山間地にあるため、田んぼの形がいびつなうえ面積も小さく、大きな農機具が入れないため作業が非効率。傾斜が急なのり面は草刈りにも手間がかかり、維持管理に大きな労力を要する。兼業農家が大半を占める武勇田では、農作業に費やす時間の捻出にも苦心している。
そんな中、10年間で最も苦慮したのは、野生害獣による被害だった。
「田んぼのぬかるみがひどくて稲刈り機が使えず、ドロドロになりながら稲を刈った年や、風で稲が倒れてしまった年など様々な苦労はありましたが、一番ショックだったのは、イノシシに田んぼを荒らされ、壊滅状態になった令和元年でした。」と小林さんが振り返る。 その年は、稲がきれいに立ち並び、スムーズな稲刈りができるはずだった。しかし刈り取りを目前に、田んぼはイノシシに掘り返され、収穫できるはずだった米はほとんど残されていなかった。例年、害獣には悩まされてきた武勇田だったが、史上最大の被害を被ってしまったのだった。その後、害獣対策として、すべての田んぼの周りに柵を立て、フェンスで囲む作業に一年を費やしたという。
一方、そんな苦労を重ねた中で、うれしい出来事もあった。

 

武勇田の米は、みんなの心をつなぐ米

令和元年に開催された、お米の食味コンテスト「おいしいお米ミーティングin 香美町(*)」で、武勇田メンバーの田尻晃さんのお米が、優秀賞(香美町議会議長賞)を受賞したのだ。
「うちの田んぼは、武勇田でつくる田んぼとほぼ同じ場所にあります。入賞をきっかけにおいしいお米がとれる棚田だと認められれば、『自分たちがつくる米はいい米なんだ』という自信になり、みんなのモチベーションが上がるのではないかと思いました。米づくりを続けていくためには、お米の価値を上げることが大切です。
これをきっかけに、武勇田のみんながハッピーになってくれたらいいなと思っています。」と田尻晃さん。
「武勇田の米を買ってくださる方が『もうこのお米しか食べられない』とリピートしてくださったり、温泉旅館のお客様が『カニもうまかったが、米がおいしかった』とおっしゃったり。ストーリー性だけでなく味に評価をいただけたことで、我々も自信をもって米づくりに取り組めます。」と小林さんも話す。
さらに、武勇田として活動を始めてから地域の中にも変化が起きた。異世代の人たちが顔を合わせる機会が増え、コミュニケーションが活発になっているという。
「例えば40代と20代など20歳も年齢が離れていると、会話をする機会もお酒を酌み交わす付き合いも、日頃はなかなかありません。でも武勇田の活動を終えメンバーでお酒を囲むことで、通りかかった人たちに『久しぶりやな』『こっちへ来て一緒に飲もう』と、声をかけることが増えました。地区の若者たちと話すきっかけが生まれ、少しずつ心が通じ合うようになれたんです。すると、田んぼを手伝えと言わなくても、『この日は草刈りをします』と連絡を回すだけで、『この日は、あの人とあの人は参加できないはずだから、自分が行かないと大変だ』とみんなが考え、自然と田んぼや地区の活動に関わるようになりました。それが一番の収穫じゃないかと思います。」
武勇田の活動には、指示も命令もいらない。なぜなら、大きな二つの軸があるからだ。

 

*おいしいお米ミーティングin香美町:香美町農林水産課が主催する、お米の食味コンテスト。生産者の高齢化や担い手不足といった香美町の米作りの課題を解決するため、町内の消費者や生産者に再発見・再認識してもらい、栽培意欲と栽培技術の向上につなげる機会としている。

 

武勇田のお米
イラストや写真つきで見た目にも鮮やか

国際ワークキャンプ
関わる人がどんどん増える武勇田

できることをやれ! とことん楽しめ!

ひとつは、「できる人が、できることを、できる時にやろう」という姿勢だ。武勇田には、リーダーがいない。作業の流れを把握している人が連絡を回し、スケジュールが合う人が参加する。固定した役割も、参加の義務も敢えて設けていない。 「『あいつ来ないな』という雰囲気をつくらないようにしようと、最初にみんなで話し合った」と話す小林さん。水の管理を引き受けている人、田植えは率先して参加する人、稲刈りの時期には顔を出す人、地元の小学校の授業で武勇伝の取組を話す人……。それぞれが自分の役割をこなしている。 もうひとつは、「どうせやるなら、楽しもうや。」の精神だ。しんどい農作業も、「楽しめる要素をみんなでつくってきたことで、今の武勇田がある」という自負がある。 田尻晃さんは「例えば草刈り。暑いし雨が降ってきたらぬれるし、本当はすごくいやな仕事だけれど、刈り終えた時『あぁ、きれいだ!』って気持ちよく終われたら、草刈りを肴に飲み合う楽しみ方もあります。消防団の活動も、ワイワイ言いながらおもしろおかしく一生懸命取り組んでいれば、みんなついてきてくれます。 楽しんで、楽しんで、活動している私たちを見て、楽しそうだと思って入って来てくれる。大変な思い以上に、楽しい思いができるスタイルづくりが必要だと思っています。」と話す。 しんどい活動の締めくくりは、みんなで囲む酒席。大人たちが集まると、遊んでいる子どもたちも集まってくる。握ったおにぎりを差し入れに母親たちが顔を出し、全員が同じテーブルを囲む。時にはゲストハウスの宿泊客も加わり、コミュニケーションの輪が広がっていく。武勇田の米づくりは、村づくりへとつながっているのだ。 そんな武勇田が、これから思い描く貫田地区の未来とは?

 

田んぼをフェンスで囲んでいる様子
イノシシなどから田んぼを守るため、
作業にかかった期間はなんと1年間!

みんなの笑顔を、次の世代に引き継ごう

「若いもんみんなでつくるのはええけど、あの親父が『ええで』って言うかいな?」 頑固者で通っていた地主の清松さんとの交渉から始まった、武勇伝の米づくり。清松さんの「ええで」のふたつ返事で話がまとまり準備を始めたメンバーたちに、地区の年配者たちはアドバイスをしながらも「若いもんらがすることは、続いたりしやへん。」と口にしていたという。
清松さんは、武勇田がつくった初めてのお米を見届けることなく帰らぬ人となり、新米は仏前に供えられた。それから10年。今では地区のみんなが、武勇田の活動を喜んでいる。
「清松っつぁんは、田んぼの様子を見に行っては『できとる、できとる』と喜んでくれていたそうです。上の世代の人たちの頃は、今の我々のような関係性がつくれない時代だったのかもしれません。みなさんができなかったことを私たちができているのは、ありがたいことだと思っています。休耕田を出さずに耕作できる棚田は、棚田百選の中でもこれからどんどん減ってくると思うんです。武勇田のような取組を、次の世代が引き継いでくれたら。子どもたちにとって、自分たちの地区にたくさんの人が訪れることも、ここに生まれた誇りの一つになるはずですから。」と小林さんは話す。
「難しいことを伝えようとしなくても、楽しみながら取り組む姿を見せたらいい。子どもたちが大きくなった時、『父さんたちも、これが楽しかったんだ』とわかる時が来る。」という知人からの言葉を大切にしている田尻幸司さん。保育園児の頃から一緒に田んぼに通う中学2年生の長男は、田植えや稲刈りの手伝いにリーダーシップを発揮するようになったという。
「武勇伝は、この“おっさんたち”あってのもの。」と言い切る小林さん。
「このメンバーがいたら何だってできる。みんながいれば、怖いものなんてない。そんな集まりになっています。」と笑う田尻晃さん。困りごとができた時、SOSを発すれば即座に集まり、全員で解決に向かう武勇田。支えているのは一人ひとりの責任感と、互いの信頼関係、そして団結力だ。
「みんながおもしろおかしく酒を飲め、仲良くなれるのが一番。」と笑う田尻晃さん。
武勇田が守るのは、うへ山の棚田と貫田地区みんなの笑顔だ。

 

収穫後の記念写真
稲穂を手に、やり切った笑顔!

(取材日 令和3年10月10日)

3つの活動ポイント

  1. 「できる人が、できることを、できる時にやる」を活動の軸に据え、 誰でも気軽に参加できる仕組みをつくっている。
  2. 作業が終わればコミュニケーションの場を設け、 大人から子どもまで地区の住人たちが触れ合う時間を提供している。
  3. SNSによる発信を活用し、うへ山の棚田や武勇田米の認知度を高めている。

俺たちの武勇田の
ここが好き・いいところ

小林 良斉 (かずひと)さん

最初は、体力やモチベーションが続くだろうか、何年できるだろうと思っていました。懸念していた活動費は、農林水産省の「中山間地域等直接支払制度(*)」を利用できるようになり、害獣対策や水路改修の資材購入費に充てることができて助かっています。

今、インスタグラムを「#うへ山の棚田」で検索すると、すごいんです! 棚田の素晴らしい風景写真が、たくさん上がっています。特に、田んぼに水を張ったシーズン中は、パッと田んぼを見上げると、20人ほどの人が畔に並んで写真を撮影されています。
時々「耕作人です、きれいな写真をありがとうございます。また来てくださいね。」とコメントを入れると、「ありがとうございます! みなさんの耕作のおかげです」と返事をいただくなど、SNSでコミュニケーションを楽しませてもらっています。

こうした観光客の人、手伝いに来てくださるボランティアの人、地区の子どもたちなど、ちょっとずつ、ちょっとずつ、いろんな人が関わって充実した活動になり、武勇田も棚田も貫田地区も発展していったらいいなと思います。いろんなことが、少しずつ進化していくのを楽しみたいと思っているんです。

田尻 幸司さん

うへ山の棚田の美しい景観を、このまま守りたい。それが、私の一番の参加理由です。私たちの世代が中心となって米づくりに携わることで、これから10年、20年と、守り続けてゆけたらと思っています。

私個人の目標として、まずは毎年収穫する米をしっかり販売すること。「うへ山の棚田」や「武勇田」といった名前が広まることで、米も地域も人も知名度が上がり、米の価値の高まりや地域の誇りにつながると思うんです。
そのためにも、今、武勇伝ブランドの米の販売サイトを開設するため、準備に取りかかっています。最近、メンバーの奥さんたちもすごく協力してくれるようになったので、インターネットが得意な人の力を借りて、少しずつ準備を進めています。

棚田の景観やおいしい米、子どもや奥さんたちの協力も自慢ですが、やっぱり武勇田といえば“おっさん”たちの団結力。「来週、草刈りするぞ!」
ってSNSで連絡が回ると、みんなが出てきてくれます。一番の自慢です。

田尻  晃 (ひかる)さん

父が亡くなった後、家の田んぼを放棄田にしてしまっては隣近所の迷惑になるため、見よう見まねで米づくりを始めて4年になります。武勇田に参加していなければ、自分でつくろうとは思いませんでした。令和元年には、たまたまコンテストに入賞しましたが、今も実感はあまりありません。

武勇田には、話が持ち上がった最初から参加しています。当時は、米なんてつくったこともないし、農業自体にプラスのイメージを抱いてはいませんでした。ただ、棚田を維持し、景観を保全することの必要性は感じていたんです。だから、話し合いの中で「みんなでやろう」という雰囲気が生まれ、その場にいた大部分の人が前向きでいると分かった時、私もみんなと一緒に米をつくることに決めました。実はイネ科アレルギーなので、ちょっと不安もあったんですが(笑)。今ではどっぷりと活動にはまっています。

武勇田メンバーは、一人ひとりの知識や技術が豊富です。どんなことも、みんなの知恵と技と力を合わせて何とかしてきました。みんなで楽しく米づくりができて、おいしいお酒が飲めたらいい。うへ山の棚田は、みんなが笑い合って暮らすための存在なのかもしれないと思っています。

*中山間地域等直接支払制度:農業の生産条件が不利な地域で農業生産活動を継続するため、「農業の有する多面的機能の発揮の促進に関する法律」に基づき、国や地方自治体が実施する支援制度。
農業生産活動が、洪水や土砂崩れを防ぐ、美しい風景や生き物のすみかを守るといった効果をもたらす重要性に着目して、国が費用の半分を負担し地方自治体を通じた支援を行っている。

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