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故郷を、子どもたちが帰れる場所に
故郷を、子どもたちが帰れる場所に
子どもの数が減り続けるまち――。全国で少子高齢化が進む中、神戸市北区淡河町もその一つだ。
「自分たちの地域を、自分たちの手でよくしよう。」 活動に取り組む若手たちの声に、地域の年長者たちが耳を傾け静かに後押しをする淡河ワッショイ。まちの未来を憂えた一人の想いは、地域みんなの想いでもあった。
【淡河の明日を考える会(通称:淡河ワッショイ)】
2011年、淡河町の有志たちが立ち上げたまちづくり団体。「淡河町地域振興推進協議会」に所属する専門部会の一つとして、淡河町自治協議会と連携しながら様々なまちづくり活動に携わっている。2017年に「淡河宿本陣跡」を改修して活動拠点化。映画ロケ撮影の誘致や各種イベントの開催などを通じ、交流人口の増加にも貢献。また、農村定住促進コーディネーター(*)事業を神戸市から受託。移住支援にも積極的に取り組んでいる。
*農村定住促進コーディネーター:移住希望者からの相談を受け、住居や農地の情報を提供。農村地域の空家や地域の人たちとのマッチングを行い、移住・定住を推進している
子育てがしたくなるまち、淡河を目指そう
「淡河ワッショイは、子どもたちの未来のために活動しています。」
代表を務める相良さんの言葉には、淀みがない。淡河のまちが、子どもたちが帰ってくる場所であり続けるための活動だと、メンバー全員で共有されていることが伝わってくる。
きっかけは、地域の集まりに参加した相良さんが、まちの将来の不安を父親仲間と話し合ったことだった。
「少子化が進む地域だけれど、まちの未来を子どもたちに残してやるために、何か行動しなくては。でも、どうしたらいい?」
相良さんの妻が、やりとりの経緯を同窓会で話すと賛同者が現れた。「想うだけではなく、形にしよう。」と、夜な夜な有志が集まっては地域課題を話し合ううち、少しずつ活動への道筋ができあがっていった。
「誰もがうすうす感じ、懸念していたんでしょう。」と相良さん。
想いを行動に移すための空気が地域に生まれ始める中、ワークショップを開催。活動のテーマを「お母さんたちが、子育ての地として選んでくれる地域にしよう。」と決めた。2011年12月のことだった。
学校に芝生を! まちに学習塾を!
「幼稚園や小学校に、緑が足りない!」
淡河ワッショイの最初の取り組みは、メンバーの発案で園庭や校庭の芝生化に決まった。「県民まちなみ緑化事業(*)」を申請して資金を確保。近隣のゴルフ場の協力のもと、保護者、子どもたち、幼稚園や小学校の関係者が一緒に汗を流し、緑豊かな幼稚園と小学校に生まれ変わらせた。
次に取り組んだのが、地域の学習環境の整備だった。当時、淡河町内には学習塾がなく、遠方への塾通いが送迎を担う母親たちの大きな負担になっていた。ちょうどその頃、淡河町へUターンしたばかりの武野辰雄さんが、隣町で学習塾を開いたばかりだった。
「子どもが産まれるタイミングで、故郷の淡河へ戻ってきたところでした。自分の故郷なので、何かできることがあればと思い、淡河町でも塾を開くことにしたんです。」
こうして、少しずつ実績を重ね始めた淡河ワッショイだったが、スタートにあたって心を砕いたのは、自分たちの存在を地域に受け入れてもらうことだった。
*県民まちなみ緑化事業:都市環境の改善や防災性の向上等を図るため、県民緑税を活用し、住民団体等が実施する植樹や芝生化などの緑化活動に対して支援を行う兵庫県の事業
風通しの良さこそ、淡河の力
「『若い者が勝手なことを始めた。』と、年長者を不安にさせてはいけない。」
そう考えた相良さんは、自治会をはじめ消防団や婦人会、農会、PTAなど、地域の主な諸団体で構成する新たな自治会組織「淡河町地域振興推進協議会」の創設を自治会長に依頼。淡河ワッショイが、その協議会に所属する専門部会として承認されるよう尽力。芝生化プロジェクトも、淡河ワッショイの独自活動ではなく、淡河町活性化のための自治会行事として行った。
「今、振り返ってみると、若い者にやらせてみようという年長者たちの寛容な包容力があったのだと感じます。世代や属性の垣根を超えた風通しのいい人間関係で、時代に合った活動を受け入れ変化できる。それが、淡河町の包容力です。」と相良さんは話す。
そうした地域の雰囲気は、2014年に西宮市から淡河町へ移住した鶴巻耕介さんも感じ取っていた。
「淡河町への移住前でしたが、まちづくりに携わりたいという夢があったので、2012年のワークショップに参加しました。その時、淡河町には素敵な人がたくさんいることを知り、この人たちと一緒なら、いい仕事が生まれるのではないか、自分も面白いことができるのではないかと思ったんです。」
その後、昔を懐かしむ夜市をはじめ、淡河町内の景観や伝統神事、飲食スポットを巡るイベントなど、積極的に活動をスタートさせた淡河ワッショイ。さらに2015年、活動を加速させるチャンスが訪れた。
まちのにぎわいづくりで、子どもたちを育もう
淡河ワッショイの活動拠点になっている「淡河宿本陣跡」。江戸時代には、参勤交代で利用されたという歴史的建造物だが、70年近く空き家のまま放置され、朽ち始めていた。淡河のランドマーク復活に向け、地元有志達の手で本陣跡を再生させることになったのだ。淡河ワッショイのメンバーをはじめ、地域の子どもから大人まで、住民総がかりで改修に参加し、2017年、復活させることに成功した。
この地域づくり拠点の誕生が、活性化事業を進める後押しになった。まずは淡河の知名度を高めようと、神戸フィルムオフィスを通じて映画誘致に取り組んだ結果、「るろうに剣心」(*)のロケ地として選ばれたのだ。
「東京や長崎、北海道からも『聖地巡礼』に来られます。まち自体に魅力を感じてくれる旅行者が、増えていると感じます。」と武野さんは話す。
にぎわいが生まれ始めた淡河だが、相良さんは経済効果や交流人口の増加といった、目に見える成果だけを求めているのではないと強調する。交流人口が増えることで、地域の子どもたちに他地域の住民とのコミュニケーション機会が生まれる。さらに、映画のロケ地になったことで、子どもたちが故郷を自慢できるようになったのだ。
「進学で淡河町を離れた時、『るろうに剣心』のロケ地出身だと胸を張れます。次の世代にとって、自分の生まれた故郷にスポットライトを浴びた輝きがあるということは、大きな誇りです。子どもたちに笑顔が生まれるきっかけを提供できたことが、一番うれしかった。」と相良さんは微笑む。
子どもたちの未来を想い、活動を続ける大人たち。その気持ちが、彼らにしっかり届いていることを実感する出来事があった。
*「るろうに剣心」:和月伸宏によるコミックを原作とした実写映画シリーズ。淡河宿本陣跡では「るろうに剣心 最終章 The Final / The Beginning(2021年上映)」のロケが行われた。監督/大友啓史、主演/佐藤健、製作・配給/ワーナー・ブラザース映画
中学生に響いた、地域づくりへの想い
「僕たちにできる地域活性化って何ですか?」
ある日、一人の中学生が相良さんに尋ねてきたという。
「そんなことを考えてくれているのかって、本当にうれしかった。『学生生活を、生き生き送ってくれること。それが、君たちの活性化活動だ。』と伝えました。」
そうした地域づくりへの意識は、大人たちにも生まれ始めていた。ある日、30代の若者たちが、「本陣跡のお堀を補修改良し、ホタルを飛ばしたい」と行動し始めたのだ。クラウドファンディングで人と資金を集め、お堀を修復してホタルの幼虫を放流。「ホタルを見ながらお酒をのむ会」を開催した。ホタル観賞に集まった子どもたちの笑顔が、本陣跡いっぱいにあふれたという。
「淡河ワッショイが幹だとすると、太い枝がたくさん出て来た感覚です。地域の若い人たちが、各々の枝葉を広げようと頑張ってくれているのは、うれしいこと。」と相良さん。鶴巻さんも「最近はそれぞれが得意な場所で、得意なことを担い、どんどん活動が派生しています。例えば、武野さんは本陣跡のカフェ運営や「淡河バンブープロジェクト(*)」の運営、僕は農業スクールや起業スクール活動というように、取り組みがそれぞれの方向に広がっています。」と話す。
その鶴巻さんは武野さんと共に、神戸市北区の農村定住促進コーディネーターとしても活動中。年に5~10世帯ほど、淡河も含めた北区への移住希望者に対応する。
そんな淡河は、鶴巻さんの言葉を借りれば「余白があると感じられるかどうか」。いろいろなことに挑戦できる場所だという。
*淡河バンブープロジェクト:淡河町に広がる放置竹林の解消を目指した活動。町内外の有志によるメンマづくりや竹細工づくりなどを通じ、竹林整備に取り組んでいる
みんなが帰れる「淡河の明日」をつくろう
「『カレー店を開きたい』『農業を始めたい』といった個性豊かな移住者たちの挑戦に刺激を受け、地元住民が新種の果樹栽培を始めるなど、影響を与え合うことで新しい何かが生まれるまちになっています。」と話す鶴巻さん。
体感している一人が、武野さんだ。
「私自身が、やってみたいことに挑戦させてもらっています。例えば、本陣跡のカフェ経営。ノウハウも経験も、人のつながりもなく、不安だらけで始めましたが『淡河ならなんとかなる』と思えました。そういう気持ちにさせられるまちなんです。」
「なんとかなる淡河」の実現に向け、今は土壌づくりの時期だと鶴巻さんは言う。
「例えば、農村地域にはこの景観を守るための様々な規制がありますが、少しずつ現代に沿う形で仕組みやルールを整えていけば、自分の子どもやその先の世代が、豊かに生活できる環境を淡河につくることができます。今は、そのための土を耕している感覚です。」
20年後、30年後、このまちの中心を担うのは淡河で育った子どもたち。「学生の頃から、帰る場所があることへの安心感がずっとありました。子どもたちが『自分たちの帰る場所は淡河だ』と、素直に思ってくれるまちをつくりたい。」と武野さん。
淡河ワッショイの挑戦は、まだまだ続く。
(取材日 令和5年12月25日)