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三木城下町まちづくり協議会

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2018/09/25
宮脇大和さん
(50)
兵庫県三木市
三木城下町まちづくり協議会

三木の町で、400年間培われた伝統的な製法を受け継ぐ包丁メーカー「三寿ゞ刃物製作所」の三代目。生まれ育った三木市で地場産業に携われることへの感謝の想いから「三木城下町まちづくり協議会」の事務局長に就任。活気にあふれる町を取り戻したいとの願いを込めて、旧市街地の約20の自治会とともに、様々な三木のまちづくり活動に取り組んでいる。中でも、毎回多くの観光客を誘致しているのが、古い町並みが残るナメラ商店街を舞台にしたイベントの数々。平成25年に始まった「レトロヂ」をはじめ、その翌年からは、商店街の入り口で手にした特産野菜を持ってエプロン姿で楽しく走る、一風変わったリレーマラソン「三木ナメラン」がスタート。アイデアと地元愛で地域を盛り上げ続けている。

 

リレーマラソン「三木ナメラン」で盛り上がる参加者たち。実力や成績ではなく“みんなが楽しめる”ことを大切にするイベントを企画している。

<リレーマラソン「三木ナメラン」で盛り上がる参加者たち。実力や成績ではなく“みんなが楽しめる”ことを大切にするイベントを企画している。>

承継したのは地元の誇り

「実は、無理矢理あとを継いだようなものなんです。」
ギャラリーのような古民家の空間にジャズが流れるモダンな店舗で、宮脇さんは承継当時を振り返った。
「三寿ゞ刃物製作所は家内の実家です。跡継ぎがいなかったので、自分から『継ぎたい』とお願いしたんです。当初、先代には反対されましたが、平成17年にサラリーマンを辞めてこの世界に入りました。」

 

三寿ゞ刃物製作所の三代目で包丁職人の宮脇さん

<三寿ゞ刃物製作所の三代目で包丁職人の宮脇さん>

 

そう話す宮脇さん自身も三木市に生まれ育ち、金物をごく身近に感じながら育ってきた。
「自分の町が、世界的シェアを持つ金物の道具を作っている有名な産地だということは、子どもの頃から知っていて、地場産業は地元の誇りだと思っていました。承継を決めた当時も、これからすごく大事になってくる仕事だと感じていたんです。」
やりかた次第で、まだまだこの仕事は伸びるのではないか。そう思いながら修行を始めた矢先、病床にあった先代が他界。宮脇さんが三代目を承継したちょうどその頃、金物の町としての三木も転機を迎えようとしていた。

 

ギャラリーの奥に工房がある。

<ギャラリーの奥に工房がある。>

地域ブランドが変えた三木の金物

三寿ゞ型と呼ばれる独特の形を持ち、軽くてよく切れるとほめられる三寿ゞ刃物製作所の包丁。より多くの人に良さを知ってもらおうと、宮脇さんは展示会や催事に積極的に出展し続けた。

 

独創的なデザインで、刃物鋼の両側をステンレスで包み込んだ「よく切れて錆びない包丁」を日本で初めて製造した三寿ゞ刃物製作所

<独創的なデザインで、刃物鋼の両側をステンレスで包み込んだ「よく切れて錆びない包丁」を日本で初めて製造した三寿ゞ刃物製作所>

 

「他の包丁メーカーも、問屋に任せていた販売を自ら出向いて商品説明をするという流れに少しずつ変え始めていた時期で、私もその中に加えていただきました。当時、三木の金物は包丁は包丁、のこぎりはのこぎりというように道具単位の存在でしかなく、豊岡鞄®のように産地としての総称がなかったんですが、事務局ではちょうど地域ブランドを申請している真っ最中とのこと。ブランドロゴやカラーを決めて地域ブランドの発展につなげましょうと提案したのをきっかけに、少しでもお役に立てるならと一生懸命関わらせていただくようになりました。」
その後、「三木金物」は地域団体商標として登録され、地域ブランドとして様々な力を発揮し始めた。包丁、かんな、のこぎり、のみなど道具単位の「点」でしかなかったメーカーや組合が、「三木金物」というブランドのおかげで、地域という「面」として力を合わせやすくなり、展示会出展やイベント主催を産地の活動として展開。「三木金物」の認知度も上がっていった。
「お客さんが来てくれるのは、産地としてのブランドがバックボーンにあるから。まず産地を一つにし、わかりやすくPRすることが重要でした。」
そのために宮脇さんが感じたのは、外の世界を見てきた職人の一人として、産地の中から変化を起こす必要性だった。

 

様々なイベントなどに出店し、地域ブランド「三木金物」のPRを積極的に展開

<様々なイベントなどに出店し、地域ブランド「三木金物」のPRを積極的に展開>

 

イベントで大人気の「包丁研ぎ」。メンテナンスの大切さを多くの方に知ってもらうのに重要な作業だ。

<イベントで大人気の「包丁研ぎ」。メンテナンスの大切さを多くの方に知ってもらうのに重要な作業だ。>

伝統産業を育むために外の世界を知ろう

「職人は、自分たちの作業は決してきれいな仕事ではないし、自慢できるものでもないと思っています。でも『こんなすごいことをしているの?』『こんな作業までしているの?』と、畑違いの世界から入った私には、感動することがたくさんありました。素人が道具の奥深さを知ると、人に教えたくてしょうがないんです。今でも私は楽しいです」と宮脇さんは笑う。
「地場産業が衰退していく大きな要因として、中の世界にいる人間が外の世界に知ってもらう機会を上手に作れなかったり、時代の変化に順応できないことがあると思うんです。もっと外の世界を見て、産地の中から変わっていかなくてはいけません。」
だから「外の世界から入った自分が、役に立てるのがうれしい」と、宮脇さんは様々な取り組みを行っている。例えば、自らの店舗に三木金物の紹介スポットを併設。自社製品だけでなく仲間の包丁も展示販売を行ったり、「ここいら辺の情報スポット ここいら」という看板を掲げ、近隣の観光スポットを紹介している。

 

「ここいら」がある建物は、国登録有形文化財に指定されている140年ほどの歴史がある。

<「ここいら」がある建物は、国登録有形文化財に指定されている140年ほどの歴史がある。>

 

ギャラリーは赤と黒に統一され、外観からは想像もできないお洒落な空間に。包丁以外にも播州エリアで作られる様々な道具が展示・販売されている。

<ギャラリーは赤と黒に統一され、外観からは想像もできないお洒落な空間に。包丁以外にも播州エリアで作られる様々な道具が展示・販売されている。>

 

また今年の夏には、一般社団法人 神戸親子遊び推進協会による「未来の匠Hyogo」プロジェクトに参加。「日本の包丁は世界一。本物を知り、手にする喜びを子どもたちに残し伝えたい」と、兵庫県に息づく伝統技術や地域資源を使った「本格こども包丁」の制作にメンバーとして携わった。
こうした様々な活動を通して、地場産業の価値を伝え続ける宮脇さん。
「三木が好きだから、町に活気があふれてほしい。そのためには地場産業の成長が必要だと思っています。みんなで考えて残していかなくてはという危機感もあります。」
宮脇さんを支える「三木が好きだ」という想い。それは地場産業にとどまらず、三木のまちづくり活動へと広がっていった。

 

実際に触ったり切ったりと体験を交えながら、包丁の魅力や製造工程をわかりやすく説明する宮脇さん。

<実際に触ったり切ったりと体験を交えながら、包丁の魅力や製造工程をわかりやすく説明する宮脇さん。>

 

こういった活動によって三寿ゞ刃物、三木金物の未来を支えるファンを1人、また1人と増やしていく。

<こういった活動によって三寿ゞ刃物、三木金物の未来を支えるファンを1人、また1人と増やしていく。>

あるものを活かせ! まちづくりへの挑戦

一つ一つの「点」として存在していた金物を、地域ブランドの「面」にすることでPRができたように、一軒一軒の店舗の「点」が商店街という「面」になることで、地域を盛り立てることができる。そんなまちづくりに宮脇さんが携わり始めたのは、「三木城下町まちづくり協議会」の一員になった10年以上前のこと。その後、事務局長となり活動の中心を担うようになったある時、目に留まったのがナメラ商店街だった。
「包丁を買いに来てくれた人が、『子どもの頃みたいで懐かしい』『おばあちゃんの家に来たみたい』と、人が歩いていない商店街や、古い木造の建物を見て喜んでくれるんです。市外から来た人は都会にはない景観だとほめてくれる。これをPRしたらいいんじゃないかと気づきました。」

 

看板が上がっていても廃業した店舗があり、昼間でも多くのシャッターが下りているナメラ商店街。

<看板が上がっていても廃業した店舗があり、昼間でも多くのシャッターが下りているナメラ商店街。>

 

そこで生まれたのが、昭和レトロをテーマにしたイベント「レトロヂ」だった。ミゼットやスバル360など昔の名車パレードや、昭和に流行った映画のポスター展示、「のど自慢」などのステージイベント、昭和を代表する芸能人の招へいなど、開催してみると昭和レトロが好きな人たちに大盛況。商店街をまっすぐ歩けないほどの観光客が押し寄せ、6回目になる今年も大いににぎわった。

 

コメディアンの大村崑氏も参加するなど、大勢の観光客でにぎわう「レトロヂ」。

<コメディアンの大村崑氏も参加するなど、大勢の観光客でにぎわう「レトロヂ」。>

 

この他、商店街を駆け抜けるリレーマラソン「三木ナメラン」や、歴史の町ならではの戦国時代をテーマにした歴史イベントも開催。その背景にあったのは「新しいことをするのではなく、もともと町にあった資源として生かせるものを見落としているのではないか。それを見つけて知ってもらうことが、まちづくりにつながるのではないか」という気付きだったという。
「自分のまちの歴史や地場産業を振り返った時に、ちょっと恥ずかしいとか、人には言いたくないとか、中にいると良さがわからないことが、角度を変えて見ればPRにつながることが意外とあるんですよ」と楽しそうに語る。
「金物にしても、油まみれになって決してキレイな仕事とは言えないかもしれませんが、ものづくりという意味では本物を作っているんだというPRになりますから。」
アイデアや人とのつながり、理屈抜きで地元が好きだという郷土愛を背景に、イベントを成功させていく宮脇さん。次の目標は「自ら考え、自分たちの町は自分たちで創るという意識を持った後継者を見つけること」だと語る。

 

レトロヂを企画・運営する三木城下町まちづくり協議会の役員や関係者の皆さん。

<レトロヂを企画・運営する三木城下町まちづくり協議会の役員や関係者の皆さん。>

ただ繰り返すことが伝統ではない

「次のアイデアや考えを持っている人が、その人のやり方で新しい町や産業を興していってほしい。」
同じことを繰り返すことが、伝統だとは思わないと言い切る宮脇さん。次を担う人の考え方や意識が生かされて初めて、伝統は継承されるものになると話す。
「時代に合わせて順応することも、時代に流されずに残していくことも大事だけれど、自ら考えてきたもので時代を作ることができれば一番いい。危険なのは、今までと同じだという理由だけで継続すること。時代からも本来のコンセプトからも、気づかないところでズレていきます。」
その時その時に、ちゃんと自分が考えて行動していることが大切だと言う。
「包丁づくりについて全くの素人なのをいいことに、作業を見せてほしいとなんの遠慮もなく頼む私を、産地の皆さんは特別に自分たちの工場に招き入れ、工程を見せてくださいました。現場でお話を聴かせていただくうちに、私が携わる作業に私自身が疑問を持たず、何のためにこの工程があるのかを考えないまま手を動かしている限り、産業としての成長はないと思ったんです。」
「形式だけのコピー&ペーストでは意味がない。」
その言葉の裏側には、ぶれることのない行動への想いがあった。

 

完成した包丁に刻印を行う宮脇さん

<完成した包丁に刻印を行う宮脇さん>

百聞は一見に如かず、百見は一行に如かず、百行は一果に如かず

「富士山がどんな山だったかは、行った人間にしか話せない。自分で足を運んで、自分の目で見てきたから言えることです。これは仕事もまちづくりも同じです。」
取材の2日前、富士登山に行ってきたばかりだという宮脇さんは、自分の登山体験になぞらえて想いを語った。
「百を聴くよりも、ひとつ見るほうが大事。百を見るよりも、ひとつ考えたほうがいい。百を考えるよりも、ひとつの行動が重要。つまり、百を聴くよりもひとつ行動をおこした方がいいし、百の行動を起こすより、一つ成果を残すことが大事だという意味です。」
何のために自分が動くのか、重要なのはそのピントがぶれないこと。
「見聞きするだけじゃなく行動しなくてはいけないし、行動を起こすなら目標を決め、達成するために動くこと。地場産業の育成もまちづくりも、ここにすべてが集約されていると信じています。」

 

(公開日:H30.09.25)

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