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NPO法人菜の花プロジェクトネットワーク

すごいすと
2016/07/25
岡田清隆さん
(71)
兵庫県洲本市
NPO法人菜の花プロジェクトネットワーク

淡路島は菜の花の島として地元の人々には馴染み深いことだろう。司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』の主人公としても描かれている高田屋嘉兵衛は、江戸時代にこの島の菜の花から生み出した菜種油を日本全国に知らしめた。21世紀となった今、この黄金の花から食用油を生産し、使用済みの油もバイオディーゼル燃料へと精製できる施設が、淡路島の洲本市にある。高田屋嘉兵衛の生誕の地でもあるこの地で、現在、菜の花を軸としたエコプロジェクトを推進しているのが岡田清隆さんだ。

NPO法人菜の花プロジェクトネットワーク 理事長 熊谷清隆さん (兵庫県洲本市)

再生

淡路島の洲本市にあるウェルネスパーク五色。到着すると、大きな機械でまさに菜種油の搾油が行なわれている最中だった。焙煎された菜種がマイスターの手によって搾られていく。菜の花の種子の中身は、常温でも液体状態の「油脂油」。この油をできるだけ劣化させないよう種子で保存し、出荷の3日前に搾る。このような鮮度にこだわった方法で出荷しているのは全国でもここだけで、全国からも菜種の種子がここへ届けられ、倉庫で保管されている。ストックヤードでこうして搾られるのを待つ菜種油たちを見ながら「搾りたてをみなさんに、という大きな目的のもとにこの施設は建てられているし、菜種を栽培している第一次生産者である農家さんが持続可能な栽培法を探っている施設でもありますよ」と、岡田さんは、菜種油の搾油方法から丁寧に教えてくれる。


菜種を「焙煎→圧搾→湯洗い→ろ過」という手順を経て菜種油にする。

圧搾後の菜種油。香ばしい良い匂いがあたりにたちこめる。

岡田さんは「あわじ菜の花エコプロジェクト」の会長を務めている。これは持続可能な資源循環型社会を目指す、2002年にスタートしたプロジェクトだ。漁稲の国としての歴史を活かし、これからの時代をサバイバルできる島としてあり続ける淡路島の構想は、そもそも岡田さんのなかでは1998年頃からスタートしていた。淡路島の柳中学・高等学校で理科教員として勤めた岡田さんは、この1年前、本業と並行して環境省認定の環境カウンセラーの認定を受け、自らの生態系への意識や理科系の知識を活かした形で、淡路の水を守るための勉強会から実践的な体験のプログラムまで多くを実施してきた。

「里山・里海・里地が目に見える形で近くにあるのがこの淡路の地。島の人々が日常の生活をしているなかで、何が子孫に伝えていける宝物なのかを考えることのきっかけを作れればと思い、教師業の傍ら環境カウンセラーとしてそういった市民講座を始めていきました。けれど、私が環境カウンセラーになった当時、まだ『環境課』すらなく、こういった水の課題などは『公害課』が担当だったんですよね。」

家庭から出る廃食用油も、当時は新聞紙にしみこませて棄てるような存在だった。けれども、化学の知識を活かしこれは石鹸にできるということを証明。リサイクル石けんの活動をまずは90年代後半からスタートしていた。
実践活動につなげてもらうためのきっかけは、この1997年当時の市民講座から始まり、以降、淡路でたったの2分別だったゴミ分別は、洲本エリアにおいては現在18分別まで分けられるに至っている。

BDFとの出会い

これだけ油が集まってくるようになれば、廃食用油は石けんにするだけでなくもっと使い道があるのではと考えた岡田さんは、石けんの活動の延長として、バイオディーゼル燃料に出会う。これが、今の菜の花プロジェクトにつながる大きな一歩である。ドイツでは植物の油を燃料にしているらしい、ということを岡田さんは当時の勉強会で知った。化石燃料に代わる、これからの燃料であるバイオディーゼル燃料(BDF)。それを生み出すのが菜の花。その『燃料作物』としての菜の花を農家に栽培させ、全量買い上げをする仕組みをドイツは作っていた。目指すべきは『カーボンニュートラル』の世界だ。

しかし岡田さんははたと気づく。日本人には天ぷら文化がある。つまり、家庭で油をかなり使用しているのだ。せっかくならば一度使った後の油を、燃料に変えたい。しかしそのための装置は、当時まだ存在しなかった。バージンオイルをそのまま使っていたドイツの手法とは異なる、天ぷらなど使用済みのオリの入った油をBDFとさせるには、どうしたらよいか、岡田さんはここから本格的にバイオディーゼル燃料の研究に打ち込んでいくことになる。

その活動のなかでまず出会ったのが滋賀県立大学の山根浩二教授だった。世界のなかでも5本の指に入るという、BDF精製装置をメイドインジャパンで開発した人物。そして、もうひとり、バイオディーゼルの先進国であるドイツからこの研究の第一人者もお呼びして勉強しなくてはということで出会ったのが、ゲッティンゲン大学の女性研究者、マリアンネ・カルペンシュタイン氏だった。彼女はまさにこの燃料作物の研究をリードしてきた人物。非常に心強い存在との出会いを経て、岡田さんの菜の花エコプロジェクトの活動は勢いをつけた。

菜の花革命は日本中へ

当時、この燃料作物としての菜の花を育てる活動は、日本各地の農家でも徐々に始まっていた。これは「イエローレボリューション」すなわち「菜の花革命」と呼ばれ、2000年代初頭から徐々に始まった動きだ。菜の花プロジェクトの全国ネットワークも立ち上がっていった。そうして15年以上経った今、日本中に菜の花が咲いている。

休耕田を菜の花畑に切り替えていくため、まずは放置された田畑に伸びきったセイタカアワダチソウを取り去った。この菜の花栽培に関わる各所の連携のため「全国菜の花サミット」が開催されており、2005年には、岡田さんの本拠地である淡路島のウェルネスパーク五色でも開催するに至った。集まった人の数は1000名にものぼった。熱い想いを持った人たちが集まってくれた、と岡田さんは振り返る。
「ちなみに現在日本一の菜の花作付けを誇るのは青森県横浜町で158ha。あの土地では男爵と長芋をそれぞれ育てているが、それだけだと連作障害が出てしまうので、障害防止目的で菜種を蒔いていたんだそうです。その話を聞く限り、淡路島の場合はまだまだ休耕田もあるし、フィールド的な意味での可能性をまだまだ十分に感じますよ。」
緑と、里山里地を守る地として、菜の花栽培を成り立たせ安定した生業作りにつなげることは、すなわち持続可能な島作りにもつながると岡田さんは語る。

菜種を収穫する様子

菜の花栽培の持続可能性と広がりは、特区認定を受けている淡路島の「環境未来島構想」と直結している。実は、淡路島はすでに再生可能エネルギーだけで島の電気をまかなえる状態になっている。すでに自分たちだけでも生き残れる島になっているものの、さらにそれを加速し、豊かな島にすることが岡田さんの目下のテーマだ。
「2050年には島の人口は70000人前後になるとみられています。そうなったときの課題は、食とエネルギーの自立。それらベースとなるのは『農』です。島の子どもたちが、我々のやってきたことを引き継いでくれるよう、この施設で学習もできるよう、まさにやっているところです」
「菜種を作る大変さ、そして販売する大変さを第一次生産者から取り除き、農家さんがやってよかったな、と感じられるようにするのが淡路島方式の目標です。持続可能な島づくりにわずかでも自分も貢献できてると実感してもらえるようなものにシフトしていかないと。」

農家が安心して来年の種子を確保するために注力すること、そして連作障害を取り除くにはどうしたらよいか、などの勉強会も、この施設に隣接する「夢工房」で開催し、バックフォローに余念がない。第一次生産者がギブアップしないための情報交換をする場所があることに重点を置くのは、さすがひとを育ててきた教師としての岡田さんならではの視点といえるだろう。淡路エリアの県民局には菜の花担当官も置かれている。

岡田さんと丹波市「循環型まちづくりをすすめる会」の方々。休耕田や放棄田を中心に本格的な菜種栽培を検討するための視察団が訪れた。

原動力は人との出会い

「2011年3月11日の東日本大震災と原発事故を目の当たりにして、今こそ自然エネルギーの時だと確信しました。そして『1.17』を経験した自分たちに何ができるかといえば…東北の人たちがギブアップしないように元気づけられることは何でもしよう、と思いましたよね」と岡田さんはこの5年を振り返る。
また、2011年10月にドイツのエネルギー自立村を視察できたことも大きい。驚くほどのスピードでエネルギー自立の村がドイツ国内で増えている実情を見た。

「エネルギー自立を実践して、生業もつくってやっているのを見て、これは淡路でもできると確信しました」と話す岡田さん
2011年当時、ドイツではすでに68もの村がエネルギー100%自立していた。時を同じくして北海道の音威子府村もエネルギー自立すると宣言。資源のある淡路なら絶対できるはず、と考えた。
前述のマリアンネ・カルペンシュタイン氏を、淡路島へと招き、県民局の人々にも2014年に彼女の講演をセッティングした。
「ドイツがバイオエネルギーへのシフトをあまりにも着実に進めている様は、みんなとても衝撃を受けたのではないかと思います」

菜種採取のためのコンバインもBDFで動くものの開発にも成功。そして刈り取りしたものを搾るのも地元でできるようになった。このようにバイオエネルギー村ができれば、地元のなかでお金がまわるようになる。
こうした壮大なバイオエネルギーにまつわる淡路での取り組みに貢献してきたこれまでの岡田さんの行動の原動力は、すべて人との出会いだ。

岡田さんが関わってきたプロジェクトの数々は、人との出会いによって支えられてきた。

TAKE ACTION

そんな岡田さんの信条は“TAKE ACTION”。自分が何かしらの行動を起こしていることで、目覚めて行動してくれるひとを育てる、あるいはそういった人に出会うことが自身の喜びに直結してきた人生だ。

「地元のお世話をすると、コミュニティのなかのたくさんのことがわかり、それを行政とともにお世話していくというサイクルを自分はずっとやってきた。儲けにも何もならない。でも何かしらは役立つことをする人がいないと、コミュニティはすぐに崩壊してしまう。自分自身も、環境カウンセラーとして給料をもらっているわけでもないからこそ、いろんなことを言うわけで」
そんな身近なコミュニティを維持していく人を育成していく必要性を岡田さんは今ひしひしと感じている。

身近なところで起こっている変化に気付き、大量生産・大量消費・大量廃棄といわれてきた世の中からシフトさせていく。廃棄を徹底的に減らし、リペアして使い尽くせるようなライフスタイルをつくる。そうして少ないエネルギーで生活できるライフスタイルを地域のなかでつくり、実践できる人を育てていくために、エコスクールを地域につくること。毎日触れるもののなかで環境の循環に触れられれば、百の説法を聞くよりも、体験できる学校をつくるほうがよい、ということを岡田さんは提案し続けている。地域のなかで環境を見据えながらチームプレイをやってくれる人材育成が、これからの岡田さんのテーマだ。

「教師を退官したこれからも、自分の一生を通じて教育と学習に携わっていきたい。全部繋がっている、若いときにたくさんの経験を積んでおくことがその人の後の生き方を変えるからこそ、自分の住んでいるところから少し外へ出てみなさい。出てみればさまざまなことが一発でわかるから、とよく話してます。」
旅をすれば得るものは多いよ、と常に若い人へ伝え続けている岡田さんは、根っからの“ひとを育てるひと”なのだ。

(公開日:H28.7.25)

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