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合唱指導者

すごいすと
2015/09/25
鈴木史朗さん
(85)
兵庫県相生市
合唱指導者
相生市は播磨灘から深く入り込んだ天然の良港、相生湾を中心に造船の町として繁栄した。その名残をとどめるペーロン競漕には毎夏多くの人が訪れる。また、10年前に全国で話題になったのが「ど根性大根 大ちゃん」。アスファルト舗装を突き破って頭を出した大根のたくましさは子どもたちにも愛され、絵本やCDも作られた。

工業大学出身の音楽教師、鈴木史朗さんは、今も歌い継がれる「新相生ペーロン音頭」やど根性大根讃歌「夢に向って」など120曲を作曲した。多感な時期に戦争を体験し、相生市をハーモニーの町にしようと85歳の今もピアノを弾いて、歌い、指揮をして、合唱指導に走り続けている。

合唱指導者 鈴木史朗さん(85) 兵庫県相生市

造船の町に生まれて

姫路工業大学(現兵庫県立大学)機械科卒業という希代の音楽教師、鈴木さんは、時計商の長男として生まれた。音楽との初めの出会いは3~4歳のころの「いたずら」。長姉が弾く足踏みオルガンに近づき、背伸びしても見えない鍵盤をたたこうと必死になった。「音にひきつけられたのか、じゃまをしたかっただけなのか。よく姉とけんかになりました」と笑う。

楽器や歌を習うことはなかったが、本物の音楽を聴く機会には恵まれた。播磨造船所(現(株)IHI)が開催したコンサートには当時一流のアーティストがしばしば招かれ、町の子どもたちも気軽に入ることができたのだ。ゴザ敷きの観客席でじっとしていられず、舞台にかぶりつきになっては叱られた。進水式ではブラスバンドのさっそうとした光景に胸が躍った。造船の町で鈴木さんは、生活の中にある音楽を、釣りやベーゴマで遊ぶのと同じように楽しんでいた。

海と山と平野に囲まれた相生市。鈴木さんが幼いころは自然の象徴カブトガニと遊んだという。

海と山と平野に囲まれた相生市。鈴木さんが幼いころは自然の象徴カブトガニと遊んだという。

せきを切った音楽への思い

少年時代は戦争によって暗転した。「13~15歳頃は死ぬことを覚悟した」という鈴木さんは思い出すのも辛いと声を落とす。学徒動員で姫路の工場にいる時に空襲があった。絶望する家族のもとへ、焼夷弾が降り注ぐ焼け野原を歩き、口々に唱える念仏を耳にしながら、鈴木さんは生還した。

終戦直後、抑えられていた思いが音楽に向けられた。友人5、6人で軽音楽バンドをつくり、鈴木さんはアコーディオンを借りて我流で弾き、ブリキ缶のラッパやギターと合わせた。ただただ音を楽しんだ。「アメリカの雑誌か何かに『早くも焼け跡から平和の音楽が』というような記事で、姫路城の大手門をバックに戦闘帽にゲートルをまいた私たちの写真が載ったんです」と鈴木さん。人々の目には平和の象徴のように映っていた。

高校の音楽室でピアノの練習をする鈴木さん。まだ校歌のなかった新制高校で「全校生が一緒に歌える曲を」と依頼され宣揚歌を独学で作曲した。

高校の音楽室でピアノの練習をする鈴木さん。
まだ校歌のなかった新制高校で「全校生が一緒に歌える曲を」と依頼され宣揚歌を独学で作曲した。

 その後鈴木さんは病に伏して、新制高校に切り替わったばかりの市立姫路高等学校に1年遅れて入ることになる。年下の同級生を率いて音楽部の合唱班と吹奏楽班を創部し、初代部長となった。姫路市公会堂(現市民会館)で指揮者デビューも果たし、初めての作曲をしたのもこのころだ。

高校卒業後は武蔵野音大を受けようとこっそり上京したが、親に見つかり連れ戻された。鈴木さんが「おやじは、男が歌ったりアコーディオンを弾くのを快く思わなかった」という。それは終戦直後の工業都市の風潮でもあった。音楽とは程遠い姫路工大に進んだ後は、反発心も手伝って、グリークラブを発足するなどますます音楽に熱をそそいだ。

SL関連の工場に就職を決めたが、男性の音楽教師を探していた兵庫県の指導主事から声がかかる。しかし、再び父に猛反対された。説得し続けて1カ月たったころ、部屋にピアノが置いてあった。抽選でないと買えない時代だ。

鈴木さんの目に涙があふれ、「やったる」と心に火がついた。後の生涯、行くところ行くところで合唱団・部の創部や創設に砕身することになる、鈴木さんを支えた出来事だった。

家庭、学校、社会をハーモニーで結ぶ

音楽教諭の免許はなかったが、太子町の石海中学校に赴任し、数学も教えながら免許取得に励んだ。寝台車で12時間かけて東京の音大まで何十回も往復、通信教育も受けながら約5年で免許を手に入れた。「結婚したばかりの妻にもずいぶん助けられた」という。

その後、相生市内の中学校に赴任。いずれの学校でも音楽と数学の二足のわらじに加え、合唱部・吹奏楽部の指導と野球部の監督も務めた。なかには暴力で新聞を賑わした学校もあったが、「やんちゃな生徒を野球部に誘い、しばらくして合唱コンクールに出場させた」という。暑い中で野球の練習をしても平気な生徒が、コンクールの舞台で貧血になったことがある。

「それほど緊張するということを知りましたなあ」と鈴木さん。幼いころ、造船の町で本物の音楽に触れた自身の経験から、あえて生徒を大舞台に連れて行き、他校の優れた合唱を聴く機会を大切にしたと語る。校内音楽会では生徒・職員・PTAの発表の後、プロやセミプロの音楽を聴く構成にした。

「新相生ペーロン音頭」の歌碑

長崎出身の造船所従業員によって大正11年に始まったペーロン競漕。
祭の観覧席にもなるポート公園には鈴木さんが作曲した「新相生ペーロン音頭」の歌碑がある。

 また、市立3中学校合同のブラスバンドを結成して、ペーロン祭などの行事に参加。さらに児童合唱団、PTAや市立幼稚園職員によるコーラスグループなどの創成に関わり、指導した数は両手に余る。革新的な行動に対して時には批判も受けたが「工大出身の音楽教師」という経歴をポジティブにとらえて型にはめずにまい進し、頼まれるままに地域の音頭や県内外の校歌、園歌などの作曲も手掛けてきた。多忙な中で120曲も作曲してきたのは、「市民や生徒たちが喜んで楽しそうに歌う姿に感激したから」。中でも「新相生ペーロン音頭」は、長年市民に親しまれ、相生を代表する曲になっている。

鈴木さんは、学校を核に、家庭、社会へ「ハーモニーの和を広げる」信念と願いを貫いて、教職員生活を全うした。

あおば幼稚園の夏祭りでシデ棒を手に新相生ペーロン音頭を踊る園児たち

あおば幼稚園の夏祭りでシデ棒を手に新相生ペーロン音頭を踊る園児たち。
市内では盆踊りなど行事があるごとに歌い踊られる。

心身の健康を願って

現在、学校での教え子や保護者の多くが、鈴木さんと「高齢者仲間」となり合唱を楽しんでいる。「病院、居酒屋、市内のどこに行っても会ってしまうので困る」と、鈴木さんはうれしそうに話す。

来年創立35年を迎えるコーラスサークル「ステラコール」は、毎月2回、西部公民館で鈴木さんの合唱指導を受ける。男女約40名、平均年齢70歳弱。那波中学校コーラス部出身の内海加代子さん(65)は、「迷っていましたが、鈴木先生がいらっしゃるので」と、今春入会を決心し、「中学時代を思い出す」と鈴木さんの弾くピアノに声を合わす。

3年ほど前ステラコールは、大雨被害に遭った佐用町立幕山小学校を慰問し、鈴木さんが作曲した校歌を合唱した。犠牲になった当時1年生の児童の祖父の涙に鈴木さんの胸も熱くなった。

ステラコール代表の本田早苗さん

時には厳しく、時には「入れ歯と虫歯が見えないように」と笑わせ、
合唱祭を前に指導をする鈴木さん。ステラコール代表の本田早苗さんは「娘時代にもどれる時間」という。

ステラコールの最高齢86歳の竹内弘憲さん(前列右から2番め)

ステラコールの最高齢86歳の竹内弘憲さん(前列右から2番め)は定年後に合唱を始めた。
約10人の男性陣も低音を響かせる。

 鈴木さんはこのほか、高齢者大学や施設でのボランティアも継続している。特別養護老人施設グリーンハウスには20年間、毎月A3用紙3枚に約20曲の歌詞を手書きして持参する。歌わずに座って聴いているだけの人もいるが、よく見ると足でリズムをとっていたり、涙ぐんでいたりする。近くの施設の知的障害のある人も参加しており「気持ちがおだやかになる」「直後の昼食はふだんより食が進む」と、職員も笑顔で話す。

特別養護老人ホーム「グリーンハウス」

特別養護老人ホーム「グリーンハウス」では毎月1時間半、手書きの歌詞を見ながら、
鈴木さんのピアノ演奏に合わせて歌を楽しむ。近くの施設からも集まり多い時で100人近くになる。

音楽を生涯の友として

施設でのボランティアを持ちかけられた当初、多くの指導先を掛け持ちしていた。鈴木さんは断ることも考えたが、見学に行ったときに「人が音楽で変化する」様子を見て、「これや」と改めて気づいたという。

「童謡には知恵はいっぱい詰まっている。懐かしさが高齢者の脳を刺激する」と、「童謡・唱歌を歌い継ごう会」も新たにつくり、世代を問わず広めている。以前は各所へ原付バイクで通っていたが、杖を持ち、送迎の車にお世話になる鈴木さん。だが指導に入ると30分立ち通しで指揮をする。行く先で共に楽しむことで鈴木さんも元気になるという。

教え子から送られてくるCDや活躍を知り「これが一番うれしい」という。しばらくやめていた作曲活動も「一つ頼まれているのがあって」と、再び楽譜に向かう鈴木さん。音楽とともに、これからも人々に元気を届けていく。

65年の音楽生活を支えた妻 良子さん

65年の音楽生活を支えた妻 良子さん。教師時代の鈴木さんは土日も留守のため
3人の子どもは反発していたというが、全員教員になった。

音楽を生涯の友として

(公開日:H27.9.25)

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