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120年続く淡路島の「吊り玉」文化を守れ!
淡路島で約120年続く「吊り玉」。高齢化や機械化により衰退しつつある「吊り玉」の文化にもう一度触れ直すため、玉ねぎのつるをひもでくくるスピードを競う「吊り玉祭」を開催することに。
南あわじ市の地域おこし協力隊員と連携。吊り玉ねぎの文化の保守と技術の継承をめざし、イベントへの参加を呼びかけた。
[写真は説明会の様子]
名乗りを上げた協賛企業4社が淡路島産玉ねぎのPRに尽力。地元淡路島のサッカークラブチームの選手たちが競技の盛り上げに協力を申し出、イベントに参加した。
イベントの目的の一つは、学生と地域、企業をつなぎ、新規就農者の参入を促すこと。島内の大学で農業を学ぶ学生たちにボランティアを呼びかけ、約50名が運営スタッフとして加わった。
世界一速く、玉ねぎをくくるのは誰だ!?
競技参加者60人を含め、当日の来場者は約400人! ベテラン農家から新規就農者、取材に訪れたアナウンサーや大学生まで、徳島や神戸など島外からも多くの人が訪れた。
20メートルの畑のうねに並んだ500個の玉ねぎを、ひもを使って10数個ずつの束にまとめながら、ゴールするまでの速さを競う個人競技。60人が一斉にスタートし、優勝を目指した。
「じいちゃん、がんばれ!」「ばあちゃん、がんばれ!」応援に来ている孫たちの声援が後押しに。いつも畑で働く人たちが、ヒーロー、ヒロインになった一日だった。
優勝は、吊り玉に携わって40年というベテラン農家の女性。賞金は「息子の結婚祝いと旅行代」。南あわじ市が発刊する広報紙の表紙にも登場し、地道な農作業にスポットが当たるきっかけになった。
玉ねぎの力で、学生たちを地域とつなぎたい!
吊り玉祭開催の約1年前から集まった学生ボランティアたち。競技のルール作りに始まり、コース設定や備品の用意など、裏方仕事に徹しながら力を合わせてイベントを形にしていった。
イベント当日は、レース結果を記録するタイムキーパーや、結束の具合をチェックする審判役、参加者へのアンケート調査などを担当。「吊り玉の技術や知識の勉強になった」と語る一方、「失敗できないと思うと、めちゃくちゃ緊張した」と振り返る。
運営スタッフの学生は、駐車場の準備から見学者の交通整理、近隣の田畑所有者への気配りまで、ゼロからイベントを作り上げる苦労を体験。「一つひとつの出来事が、これから社会に出る上で、貴重な学びになった」と語った。
地元農家にとっては日常の農作業のひとつでしかない「吊り玉」に400人もの人が集まり、様々なコミュニケーションが生まれることに驚いた学生たち。
「淡路島の一体感を感じた!」
淡路島の誰かの笑顔のために、活動は続く
令和2年6月に予定されていた「第2回吊り玉祭」はコロナ禍により中止。1回目の終了後、「来年は娘と出るねん!」と言った農家の男性に中止の連絡をするのが辛かった。祭りに代わり、地域のためにできることを模索した。
吊り玉祭に代え、公園に行くことさえも制限された子どもたちのために絵本作りを企画。玉ねぎ嫌いな少女が、農家のおじさんと一緒に玉ねぎを育てる中で大切なことを学んでいくというストーリー。児童館や小学校などに寄付する予定だ。
[写真は井川さんが描いた絵の一枚]
絵本の完成後は、読み聞かせ動画を作成予定。メンバー全員で朗読大会を開催し、朗読王を決定する。子どもたちを楽しませるためにも、自分たちが楽しむことを忘れない。
実行委員会の活動テーマは「淡路島の誰かの笑顔のために」。みんなで一緒に頭をひねり、失敗もしながら、あらゆる事業に取り組み続けてゆく。
グループ紹介
屋根と骨組みだけのシンプルな小屋が、あちこちの田んぼの片隅にたたずんでいる。毎年夏を迎える頃、その小屋にたくさんの玉ねぎが吊り下げられた様子は、淡路島のランドスケープのひとつだ。
「吊り玉とは、小屋に吊るした玉ねぎのこと。つるを束ねてひもでくくった玉ねぎを、自然乾燥によって完熟させる技術であると同時に、淡路島の文化でもあります。でも平均年齢が約70歳という淡路島の農業従事者にとって、玉ねぎ小屋に玉ねぎを吊るす作業は重労働。負担が少ないコンテナでの冷蔵保存が増え、吊り玉は衰退しています。」と話す井川さん。もう一度、文化に触れ直す機会を作ろうと、吊り玉を使ったイベントの開催を思いついた。玉ねぎの収穫シーズンになると、どこからか流れてくる噂がきっかけだった。
「『あのおばちゃん、玉ねぎをくくるのがすごく早いねん』って農家の間から聞こえてくるんです。このくくり方が早いとか、吊った時に玉ねぎが落ちにくいとか、それぞれの農家に受け継がれている結束方法を共有できれば、作業スピードも上がりますし、みんなで一つの畑に入ってわいわい楽しむのもおもしろい。誰が早いのか競ってみようと思いました。」
平成30年4月、「吊り玉祭」と名付けたイベント開催を目指し、実行委員会を設立。玉ねぎをひもでくくりながらゴールに到達するまでの速さを競う競技を行うことにした。吊り玉文化の保守と技術の継承に加え、淡路島産玉ねぎのPR、さらに学生と地域や地元企業をつなぎ就農者を増やしたいという目標もあった。
「大学で農業を学んでも、就農する学生が少ないことがもったいなくて、僕たちと一緒に農業に携わる人を発掘したかったんです。」
井川さんは地元の吉備国際大学でボランティアスタッフを募集。農学部地域創生農学科の学生たちを中心にメンバーが次々に集まった。「委員会に入ると吊り玉を調べる機会が増え、知識の幅が広がった。」と言うのは2回生の松本拓未さん。2回生の佐野真唯さんは「農業就農者の高齢化といった問題解決の力になりたかった。吊り玉の伝統が島外の人に注目されることで淡路の玉ねぎが広まり、地域創生につながるのでは。」と話す。また、4回生の佐瀬崇哉さんは「小規模農家が取り組む吊り玉に付加価値をつけ、玉ねぎの単価アップに貢献したい」と言う。
令和元年6月2日のイベント当日は、競技参加者60名を含め約400名が来場。佐野さんは「吊り玉という一つの作業に対して『参加しよう』『応援しなくちゃ』という気持ちになれる、淡路島の一体感を感じました。メディアの取材や島外から訪れた人もあり、想像以上の多さにびっくりしました。」と驚いた。
優勝は、幼い頃から40年間吊り玉に携わっている農家の女性だった。
「新聞に掲載されたり、地元広報誌の表紙を飾ったりしたことで、知人からたくさん声がかかったそうです。一般的に知られていない地道な農家の日常にスポットが当たり、イベントによって世界が変わりました。僕たちがやりたいことは、農業を身近なものとして興味づけること。淡路島の吊り玉文化の発信が多くの人に届き、よかったです。」
このイベントがきっかけになり、井川さんの玉ねぎづくりの職場にも2名が入社。アルバイトも1名加わり、新規就農者を増やしたいという目標は着実に前進している。
「弊社がこの地で仕事ができるのは、田畑を貸し、技術も教えてくださる地域の方の助けがあるから。こうしたイベントで農業従事者を増やしたり、地域の方のおかげで得たお金を地域のために使うことで、地元に還元したい。」
2回目の吊り玉祭は、新型コロナウイルス感染拡大防止のため中止に。実行委員会では地域のためにできることをやろうと、玉ねぎをテーマにした絵本作りに取り組んでいる。完成した絵本は子どもたちが集まる島内の施設へ寄付をし、さらには読み聞かせの動画作りにも挑戦する予定だ。
「コロナ禍で人との距離が遠くなっていますが、本当は体温を感じられるほどの近さで支え合っていると伝えたくて、手描きで表現しています。玉ねぎも手作りですから、そうしたぬくもりを感じる体験を重ねて学んでほしいんです。」
実行委員会のテーマは「淡路島の誰かの笑顔のために」。この想いだけは忘れないように活動したいと話す井川さん。
「たくさんの学生たちと一緒に頭をひねり、失敗もしながら、地域に貢献できる活動を続けたい。最終的には、淡路島のみんなの笑顔を見たいです。」
南あわじ市市吊り玉祭実行委員会 会長 井川翼(いかわつばさ)さん(淡路島希望食品有限会社勤務)
出身地である神戸市から、淡路島にIターンをしたのは平成27年。学生時代にアルバイトをしていたラーメン店の、店長との約束を果たすためでした。店長がラーメン店の本社から出資を受け、淡路島に農業の会社を設立し、玉ねぎづくりを始めたんです。アルバイト時代から「独立したら呼んでください」と私が言っていたので合流しましたが、まさか農業を始めるとは思ってもいませんでした。
私自身は大学を卒業後、自動車の営業職に就いていたので玉ねぎづくりはゼロからのスタート。最初の頃は、畑を歩くだけで筋肉痛になっていました。当時の会社は社長と私の二人だけ。農業って朝から晩まで山ほど仕事があるんです。仕事を終えて家で夕飯を食べ、入浴を済ませたら再び出社して、社長と二人で朝まで作業をする……。そんな働き方を1ヶ月続けたら体が動かなくなり、1週間寝込んだこともあります。そんな日々でも、わいわい楽しく働くことができていました。今は農業でよかったと思っています。
農業には正解がありません。自由度が高いことが多く、どれひとつとっても農家の判断次第です。自分たちにあった作業を見つけていくことや、人によって異なるおいしさが存在する中で自らの「おいしい」を目指すことが、追求心や探究心を駆り立てます。そんな終わりのない作業がいいなと思っています。もう一つは、お客さんの反応です。私が作った玉ねぎが「好き」って言ってもらえたら嬉しいですね。
一緒に活動する学生たちには、普段の学生生活では見られない景色を少しだけでもみせていくことが、私の役目かなと思っています。例えば、どうやって会議を進めたらみんなが楽しくなるんだろう、地域の人とどんな関わり方をすればいいんだろう、その事業を行うことで誰が喜ぶんだろうなど、自分たちが行うことに対して何らかの結果が生まれ、誰かが喜んでくれることを知ってほしい。自分たちの取組が、地域の視野を広げるひとつになっていればいいなと思います。近くにいなくてもできることはあります。この実行委員会を、島外でもどこにいてもつながれ、参加できるようなプラットフォームにしたいと思います。
そんな活動の先では、新しいこと、誰かのためになること、淡路島の地域のためになることをしていたいんです。就農者が少なくなり、農地が管理されないままになっていくのを目の当たりにしているので、私個人だけでなく弊社も企業として大きくなり、地域の役に立てるような活動や仕事を続けたいと思っています。
佐瀬崇哉(させたかや)さん(吉備国際大学4回生)
農家でのアルバイトで、吊り玉ねぎの作業にも携わっています。特に新規就農者の少ない小規模農家が生産者の多くを占めているので、吊り玉ねぎに新たな付加価値をつけたいと思っていました。吊り玉祭に参加したいと思ったのも、吊り玉ねぎのPR活動になり貢献できると思ったからです。
祭りでは、自分が実行委員会に入った目的を、もっと実現できるように活動できたらよかったなと、ちょっと悔いが残っています。卒業後は島外で就職するので寂しいです。この実行委員会は、誰もがフラットに話ができる団体なので、たくさんの学生に参加してもらって吊り玉祭を継続し、もっと盛り上げてほしいと思っています。
松本拓未(まつもとたくみ)さん(吉備国際大学2回生)
「ボランティア活動に取り組むことが好きで、農業に関わりたいと思っていたこともあり、すぐ実行委員会に参加しました。島外の出身ですが、淡路島には日頃から遊びに行ったり、家族が玉ねぎを持って帰ってきたりと、何かと縁がありました。
玉ねぎは美味しくいただくだけで、あまり気にかけていませんでしたが、委員会に入ったことで吊り玉ねぎについて調べる機会が増え、知識の幅が広がったと感じます。吊り玉祭の再開に向けて、新しい企画資料の作成にも取り組んでいます。
佐野真唯(さのまゆ)さん(吉備国際大学2回生)
先輩に誘っていただいて、ボランティアメンバーに加わりました。今回のイベントで玉ねぎ農家に関わらせていただいたことで、吊り玉ねぎについて具体的に知ることができ、この伝統を広めていくべきだと思いました。私は地域創生に興味があり、就農者の高齢化などの問題をどうすればいいか考えていました。吊り玉祭が島外の方に注目され、地域創生につながってゆけば、私も力になれるのではないかと思っています。また絵本づくりでは、一つの物事に取り組む際には様々な過程を経ることが必要だと学びました。目の前の物事にとらわれるのではなく、いろいろなことに挑戦したり、様々な人の意見を取り入れることを、社会に出ても役立てたいと思います。