兵庫県のほぼ真ん中に位置するという多可町。田畑が山々にぐるりと囲まれ、昔話のような風景が広がる。自然のありのままの姿というよりは、生活の営みが感じられ、人によって守られてきたこの風景。失われると取り戻せないものが数多くある中で、そもそも「守る」とはどういうことなのだろう。この地で5年前に農業法人を立ち上げた藤岡啓志郎さんに話を聞いた。
構成:松本理恵
敵であるカメムシも、生きるのに必死
あざやかな緑がまぶしい夏の田んぼでは、あちらこちらで赤とんぼが舞っている。稲の穂が顔を出すという出穂(しゅっすい)直前のタイミングでは、雑草取りと害虫の調査が主な作業になるという。
──これ、カメムシじゃないですか?
あ、そうです。穂が出た時に汁を吸うのですが、暖冬の影響もあって最近かなり被害が出ています。見つけたら「いややなぁ」とは思いますが、カメムシも生きるのに必死なんですよね。
この山田錦の田んぼでは、農薬の量を半分以下に抑えた特別栽培をしている。山田錦発祥の地である多可町は、粘土質の土壌が特徴で、背の高い山田錦の稲穂をしっかりと支えられるため栽培に適しているという。「雑草は除草機を使えば対処できるけれど、病害虫を防ぐのは本当に難しい」と藤岡さん。特に厳しい基準を満たす必要がある有機JAS認定の圃場では、一切化学農薬を使用できないため「虫を見ても、病気まみれでも、ただ耐えるしかない」という。当然収穫量は下がり、全滅のリスクもある。
「安全・安心なお米」であることは大切ではあるけれど、生産者である以上は「米の収穫量」の確保も欠かせない。その中で自然と対峙し、有機栽培の拡大に向けて「できること」を模索し続けるのはなぜだろう。
──ものすごい数の赤とんぼが飛んでいますね。
これでも減っているんです。私が子どもの頃は溝で魚とりもできたけれど、今は魚も減っています。この土地で農業をさせてもらう限りは、環境にやさしいということに重きを置いていきたいと思うんです。
田畑に赤とんぼが飛んでいるということは、農薬をあまり使っていない、もしくは無農薬栽培の証だという。「農薬を使うにしても、例えばカメムシを一気に駆除できる最適なタイミングを狙うなど工夫することで散布回数は減らせる」と藤岡さん。米や黒枝豆がすくすくと育ち、赤とんぼが舞う田畑には、人の利益だけではない、自然への配慮があることに気づかされる。
目先の収穫だけじゃない。農業には可能性がある
先祖代々農家で父親も兼業農家ではあるけれど、自身は製薬会社に就職しようと大学院で生命科学を学んでいたという藤岡さん。
環境医学の授業で「日本人は、緑茶でカテキン(ポリフェノール)を摂っているから長生きできる」と聞いて、ふと「“食”ってやっぱり大事やな」と気づいたんです。
その時、思い浮かんだのが子どもの頃から農業に触れてきた多可町だったという。あっさりと大学院を中退し、アメリカでの最先端の農業・経営に関する研修を経て、農業法人を立ち上げた。
──農業を始めるのにいきなり法人化、ですか?
多可町は中山間地でアクセスが悪い上に、獣害が多く、生産性も低い。農業で稼ごうと思えば絶対に選ばない土地です。でも高齢化が進み、耕作放棄地が増えると地域の景観も損なわれる。法人としてある程度の規模で農地を守っていきたいという想いがありました。
時間をかけてビジョンや事業計画を立て、父親から受け継いだ酒米などの栽培以外に本格的に始めたのが農薬・化学肥料不使用のニンニク栽培だった。刺激が強いニンニクは獣害に強いため、耕作放棄地での栽培に向いていると判断。役場に相談し、不耕作地を1か所繋いでもらうと、次々と地域から「藤岡くん、頼むわ」と声が掛かった。今では管理する22ヘクタールのうち、9割5分が委託された農地だという。
「若い子ががんばってるんやったら」と地域のニンニク農家さんが、一緒に営業に回ってくれました。いわばライバルなのですが、「みんなでがんばって、売り先のパイを広げたらええやないか」って。
多可町では2012年頃から「ニンニクを特産に」と栽培が行われているが、農業従事者の高齢化や販路の問題でなかなか広がらないという。藤岡さんも苦労しながら地域の方からの支援も受けて、有機農産物を扱う宅配事業者や生協などの販路を確保。今後は自身が新規就農者と一緒に特産化に向けた環境を作り上げていきたいと考えている。
──40歳までに50ヘクタールという大規模な無農薬栽培を目指しているそうですね。
実は「無茶に(耕作放棄地を)受けてやるもんじゃない」と言われ続けてきました。農薬を使わない栽培がベストだといっても、ニンニクがほぼ全滅した年もあります。でもある程度耐えながら、課題を1つずつクリアすれば、地域としてもいい方向に進むんじゃないか。今はそうやって行けるところまで行こうと思っています。
農薬不使用で栽培したニンニクは、4年かけて開発した独自の製法で「熟成黒にんにく」に加工し、手軽に食べられて、より栄養価の高い状態で消費者に提供している。当初の想いである「人の健康を守るためのアプローチ」も忘れてはいない。
農地、地域の農産物、人の健康、そして環境。何か1つを守ることすら容易でないにも関わらず、藤岡さんはニンニク栽培を通じて多くのものを守ろうとしていることに驚く。「自分は本当に人に恵まれてきた」と笑顔で話すが、地域の現状や課題に細やかに目を向け、策を練り、行動する姿に地域の人々が惹きつけられるのだろう。
栽培方法をすべてオープンにすると
「納豆+キビ糖+豆乳」を自家培養したものを液肥に混ぜて、農薬の代わりに散布することで、ニンニクの生育を阻害する病気予防になるという。「納豆菌の培養は大学時代に学んだ生理学の知識が活きている」と藤岡さん。他にも雑草抑制のために畑の畝を覆う黒い農業用(マルチ)シートを天然素材である「もみ殻」で代用したり、効率的に機械除草できるように畝間を広めにとったり、独自でさまざまな栽培方法などを生み出してきた。それらを全てオープンにしているという。農業の専門誌にも度々寄稿し、既にブランド化しているニンニク農家から「教えてほしい」と頼まれることもある。
「もみ殻」を敷き詰めるにしても、タイミングやその量を試行錯誤し、失敗した年は1日中草引きに追われたこともあったという。改良を重ね、苦労して得た方法をライバルに簡単に教えてもいいものかとつい思ってしまう。
例えば、無農薬栽培ならではの悩みに対処法を伝えることで「雑草まみれの中で収穫しなくてもよくなった」とか「病気にかからず収穫を迎えられた」などすごく喜ばれます。自分も他の農家さんから教わることが多々あって、ライバルというよりは仲間ができていく感覚です。
同じことに向き合っていると、悩みを分かち合えることがよくある。「農業は個人プレーだと思われがちだけど、実は助け合いで成り立っている」と藤岡さんはいう。栽培方法を教えるということは、地域の農業者というチームの力を上げたり、仲間を広げたりすることにもつながっているのだろう。
人はどうしても自分にベクトルが向きがちですが、本来お金を稼ぐということは、必要とされることや人から感謝されることに価値が生まれるものだと思っています。
学生時代には「仕事はお金を稼ぐための手段でしかないと思っていた」という藤岡さん。アメリカでの農業研修では、陽気なメキシコ人スタッフと作業する中で素直な感情表現に触れ、人との関わりを心から楽しむように。質素な生活をしている彼らから別れ際にささやかなプレゼントをもらった時、味わったことのないような感謝の気持ちが芽生えた。「経済を回す上でも、人が絶対に大事なんだ」という当時の上司の言葉からも「まず人としてどうあるべきか」を考え、それが経営ビジョンにも反映されているという。藤岡さんの意識のベクトルは常に他者、地域に向けられている。
必要なのは「大きな一手」ではない
この日、取材場所へ到着した私たちに、藤岡さんは真っ先にこう言った。
30分後に雷の雨雲が来そうなんで、先に田畑を見られますか?
「あ、そうですね」と眩しい夏空の下で田んぼや畑を見学し、屋根のある作業場でインタビューを始める頃には、空全体が黒い雲で覆われていた。ほどなく大粒の雨が降り出し、地響きがするような雷の音と、うす暗い山の向こうには絵に描いたようなイナズマが光る。
あまりにも激しい天気の変容に驚きながら、取材進行への配慮にお礼を言うと、「農業は自然や天候と共にある職業なので」と藤岡さんは笑った。
例えば「農地を守る」と聞いて、具体的なイメージが浮かばないのは、「守る」ことが1つの大きなアクションではなく、細かな心配りの積み重ねだからかもしれない。小さなことにも注意を向け、できるように工夫し、自分の持つスキルを惜しみなく提供する。相手の立場になって考え行動することなど、大切だとわかっていても、なかなかできないことも多い。藤岡さんが農業を通して多くのものを「守る」ことができるのは、そういった心配りを多方面に積み重ねているからではないだろうか。
──今はできないかもしれないけど、いつか実現したい夢は?
農業に関わっていない人も一緒になって、農地や地域の農業をサポートしていく仕組みをつくりたいですね。このきれいな田園風景を守っていくには、もう地域ぐるみの協力が不可欠だと思っています。
日々積み上げていったことが、気づけば大きく物事を動かしていることがある。「畑にぶわっと一斉に芽が出ている瞬間がこの上なく好き」という藤岡さん。「少々つらいことがあっても極力笑顔で」というポジティブなエネルギーは人を惹きつける。これからの多可町には地域を想う人たちの細やかなサポートの輪が広がっていくだろう。