「負」もすべて「動く力」に。酒造りも経営も、しなやかに走り続ける

すごいすと
2026/02/13
川石光佐さん
(47)
兵庫県姫路市
姫路灘菊酒造株式会社 代表取締役社長 兼 杜氏

AGAIN すごいすとふたたび

個人紹介

東京農業大学 農学部醸造科学科で酒造りを学んだ後、家業である灘菊酒造(当時)に戻る。南部杜氏の鎌田勝平さんの下で3年間酒造りの修業を積み、鎌田さんの退職を機に杜氏になる。2010年南部杜氏の試験に合格し、西日本初の女性南部杜氏に。2020年には父の後を継ぎ、四代目代表取締役社長に就任。2025年に社名を「姫路灘菊酒造」に変更した。

10年の間で増えたもの

社長自らSNSにも出演する

かつて、「西日本初の女性南部杜氏が誕生」と注目を集めた人は、その10年後、経営面でもトップに立った。1910(明治43)年創業、「灘菊」の名で親しまれる姫路灘菊酒造株式会社の川石光佐さんだ。2010年に南部杜氏の資格を取得後、2020年に四代目社長に就任。2025年には社名を「姫路灘菊酒造株式会社」に変更。酒造りの最高責任者である杜氏と経営者。どちらか一方でも重責だが、川石さんはどんな決意でその道を選択し、どんな10年を送ってきたのだろうか。前回取材時より約10年ぶりにお話を伺った(「すごいすと」2014年12月25日掲載)。
今回の取材中、川石さんが何度か口にした言葉がある。
「何事も人間万事塞翁が馬。確かに大変なこともありますが、振り返るとどれもいい経験だったな、と思えちゃう。プラス方向に捉えてしまうんですよね」
杜氏兼社長として、酒蔵と姫路市内の飲食店4店舗を率いている強い覚悟のような言葉が出てくると思いきや変な気負いはなく、「良いも悪いも、結局いい経験」と軽やかに話す柔軟さに意表を突かれた。

父の先進モデルを引き継ぐも……

明治時代の木造酒蔵をリニューアルし、酒造りの工程を解説したパネルや昔使われていた道具の展示などをしている

川石さんは三姉妹の三女。姉たちは酒造りにも家業にも関わっていない。先代の父から想いを託されたり、経営者としてのイロハを叩き込まれたりしたのかと聞くと、そういった記憶はないと言う。
「ただ、父がつくったビジネスモデルは引き継ぎました。父の代で灘菊のお酒は小仕込み(こじこみ)に。大量生産ではなく、小さなタンクで少量を丁寧に仕込み、姫路に来て味わってもらう酒蔵です」
先代は日本酒の敷居を下げようと、1995年頃から当時珍しかった観光蔵「酒蔵ツーリズム」のビジネスモデルを構築した。使用していない古い酒蔵をリノベーションして、酒蔵の歴史や文化を学べるミュージアムやレストランを開設。近隣の人々だけではなくツアー客も多く訪れ、姫路の観光名所の一つにもなった。
しかし、その先代から大事にしてきたビジネスモデルの弱点をついた事態が起こる。川石さんが2020年に社長就任した直後に発生したコロナ禍だ。

良くも悪くもコロナが転換点

敷地内に併設されているレストランもコロナ禍は休業を余儀なくされた

外出自粛で酒蔵を訪れる団体ツアーは軒並みキャンセル。観光客で賑わっていた酒蔵からは人が消え、全飲食店の営業は縮小を余儀なくされた。酒造りの量も減らした。売り上げは半分ほどまで落ち、川石さんは毎日数字の悩みが尽きなかったと振り返る。
「店を営業するのか休業するのか。休業したら従業員はどうなるのか……などと、正解が分からないままいろいろな判断をし続けるのがしんどかった。資金がどんどん減っていくのも恐怖でした」
普段は公認会計士である夫に経営の相談をすることはあまりないものの、このときばかりは悩みを吐露した。仕事上、様々な企業を見てきた夫はこう答えた。
「今は小さく丸まっておくしかない。余計なことに手を出してもお金がかかるだけ。焦ったらあかんで」
この言葉に励まされ、川石さんは新たなビジネスに手を出すのではなく、「待ちの勝負」に出た。
「酒造りを減らしたんです。今思えばその判断が良かった。普通に考えると、売り上げは激減、負債は増え、会社にとっては大ダメージです。でも私にとっては、杜氏の仕事が減って時間の余裕ができ、経営面に目を向けることができた。杜氏と社長の仕事のバランスがつかめたんです、やっぱり塞翁が馬やなって思います」
マイナスをプラスに捉え、自分の力にした。

閑話~off-topic~
大きな暖簾と父との想い出

「直売所をもっと入りやすい雰囲気にしようと2023年にリニューアル。入り口に大きな暖簾を掲げました。参考になりそうな店舗や施設を全国見て回ったんです。父もそうしていたように。父は幼い私をいろんな飲食店や施設に連れて行きました。そのおかげか、実際に足を運んで自分の目で見ることの大切さが自然と身についていたのかな」

さらに深掘り-Q&A-

──杜氏と社長業、なぜ「二刀流」を選んだのでしょうか。

毎日直売所に出て、お客様や商品、スタッフの動きを確認するのも社長として大事な仕事

両立は難しいと思って外部から杜氏を雇うことを考えたこともありました。でも、誰かに指示をしてお酒を造ってもらう体制では、自分が本当にやりたい酒造りができなくなる気がして。蔵には信頼できる蔵人もいますし、新たに人を入れなくても酒造りはできると思いました。なにより私自身、職人としてプレイヤーでい続けたかった。
ただ、自分はビジネスあっての職人だと思っています。最近はとにかくお米の値段が上がっていて、酒米もびっくりするくらい高い。商品価格にすべて転嫁するわけにもいかないし、かといって無理に高い酒米を買うこともできない。なので、お客様に求められている商品に力を入れ、そうではないものは縮小していくしかない。職人が造りたい酒を造るという発想ではなく、そこは割と躊躇なくばっさりといきます。

──商売人でもありプレイヤーでもあり続ける。その考え方は誰かに教わったものなのでしょうか?

酒蔵ミュージアムに展示されている、かつて灘菊で使用していたタンク

目標にしている方はいます。栃木県の「井上清吉商店」の井上裕史さんです。東京農業大学で酒造りを学んでいたときの実習先でした。蔵元の井上さんは、当時にしては珍しく、20代後半で杜氏と社長を兼任されていて、私と年齢も近かった。その姿を見て勇気づけられたんです。それに井上さんは、私を学生だから、女性だからと特別扱いしませんでした。あるとき、高さ2、3メートルはある大きなタンクに古びた木製ハシゴをかけて20kgほどの麹を入れる、といった重要な仕事を命じられたんです。怖かったですよ、麹をこぼしたらその日の仕込みはできなくなるわけですから。後から聞いた話では、私が蔵元の娘であることもご存知で、ゆくゆく家業で苦労しないように少しきつい仕事もさせておかないと、という親心もあったようです。家業で杜氏としてやっていく覚悟を持てるようになったのは井上さんのおかげです。

──南部杜氏になった頃、「女性」と冠がついて注目を集める機会も多かったのでは?

あちこちで取り上げていただいてありがたかったです。と同時に感じたのは「女性だから」「川石さんの娘だから」というだけでは酒は買ってもらえないということ。男も女も関係なく、ちゃんとしたものを造らなければならない。「女性だから杜氏の仕事は大変」というよりも、男でも女でもやれる人はやれるし、できない人はできないと思うんです。一方で、「女性杜氏が造った酒」と言うと、女性は特に親近感を持ってくださるのはうれしいですね。

──経営視点を持てるようになったきっかけは?

かつて手作業で行っていた酒造りについて、酒蔵ミュージアムで学ぶことができる

2014年頃、中小企業診断士の資格を持つ酒販店経営者の方と出会ったことかな。補助金の活用方法を知り、設備投資に取り組むようになりました。たとえば、それまでは常温の環境下で3日かけてもろみを搾っていましたが、最新の搾り機などを買えばもっと効率化を図れると分かっていても、職人視点だけでは「補助金を使って設備投資をする」という発想にまでたどり着けなくて。資金調達の壁を越えられなかったんです。
また、補助金申請のために事業計画書を書くうちに、「会社の未来をどう描くか」という経営者としての思考回路も鍛えられていきました。徐々に「いずれ自分が社長になる」という経営者意識が強くなっていったように思います。

──「二刀流」を選択して良かったことは何ですか?

2019年に全国新酒鑑評会で初めて金賞を受賞したときの会場にて(写真左)。表彰状は酒蔵ミュージアム内に展示している(同右)

出稼ぎ杜氏だと、補助金申請をして設備投資をするという判断はなかなかできません。私は毎日酒造りの現場に出ているので、職人が困っているからこの機械を導入しようなどと、小さなことからちょこちょこと着手できるんです。また、設備投資によって酒の質が向上し、2019年には全国新酒鑑評会で金賞を受賞しました。ずっと目指していた賞でしたがなかなか取れず、周りの同業者が先に受賞していく中で自分だけが遅れているとコンプレックスを感じていました。だから本当に嬉しかったですね。補助金で設備投資を行うという経営判断が、結果として酒の評価や売り上げにつながった。この成功体験は、杜氏と社長を両立していくうえでの自信にもなりました。
もしどちらか一方だけだったら、どこかのタイミングで行き詰っていたかもしれません。私の場合、ストイックにやりすぎると続かないから。ときには力を抜いて、常に両方の視点でバランスをとりながらやれているのが丁度いいのかも。

──コロナ禍が明けてからは客足が戻り、売り上げも回復したとか。

英語のできるスタッフがいない場合でも、外国人のお客様が困らないよう、試飲マシンも商品説明カードなどもすべて英語を併記している

一般のお客様が入りやすいよう2023年に直売所をリニューアルしたことも良かった。試飲スペースをつくったことも功を奏してか、海外からのお客様も増えました。ここ最近、特に海外のお客様は事前にしっかり調べて来るリピーターや日本通の方が増えました。そういったお客様をがっかりさせたくない。わざわざ調べて来てくださるということは、灘菊への期待値も大きいということですから、全力で応えられるおもてなしをしたい。そう考えて、各国や地域ごとに接客スタイルを変えています。
英語対応ができるスタッフを中心に接客内容を共有しています。 例えば、ヨーロッパの方は食事とお酒のペアリングが定着していて、自分の好みに合うお酒かどうかを重視します。オーストラリアの方は検疫が厳しく持ち帰れるお酒の量に限りがあるため、お土産の購入よりもその場での体験を楽しむ傾向があります。そうした情報をもとに、接客の内容を少しずつ変えているんです。マニュアル通りではなく、目の前のお客様に合わせた「おもてなし」こそが、灘菊の強みです。

──2025年に社名変更し、「姫路」を入れたのもそうしたインバウンドや地域への意識からでしょうか。

姫路の酒文化の発展に一層貢献したいという想いも込め、2025年5月1日に「姫路」を加えた社名に変更

そうですね。灘菊の「灘」は、播磨灘のことを指しているのですが、神戸の「灘五郷(なだごごう)」のイメージが強く、神戸の酒蔵だと勘違いされることが多かったんです。2024年12月に大阪の百貨店で行われた日本酒のイベントに参加したときも、何度も「神戸の酒ね」と言われ、その都度「姫路です」と……。うちは生産量の7割が直売所やレストラン経由で購入いただいている。つまり、お客様に姫路へ来ていただきたい蔵なのに、場所が伝わらないのはあまりにももったいない、社名を変えるタイミングだと決断しました。
それに、「姫路」には世界遺産の姫路城があり、新幹線も停まる。「Himeji」と言えば、海外の方にも「あぁ、お城のあるところね」と伝わりやすい。
何よりここまで灘菊が成長できたのは、姫路という土地と、播磨の酒米があったからこそ。だから、「姫路」を社名に加えたのは、地元のおかげで100年以上もやってこられた原点回帰の気持ちと、今後ますます姫路に恩返し、地域貢献していきたいという想いもあってのことです。

──「姫路」の名を背負った灘菊が今後目指す姿とは?

直売所には、看板商品「灘菊」シリーズのほか、季節限定品やゆず酒など多彩な品ぞろえ。悩んだときはピンク色の法被を着たスタッフに気軽に相談できる

昨今はアルコール離れが進み、「日本酒は難しそう」と感じる方も多いです。だからこそ、小難しい話は置いといて、日本酒の世界へ優しく「誘(いざな)う」存在でありたい。
日本酒に慣れていない方にいきなり「純米大吟醸は、大吟醸は……」と知識を披露するようなことはしません。甘酒やゆず酒など飲みやすいものからおすすめすることもあります。そうしていたら、「気づいたら日本酒も好きになってた」という方もいらっしゃるんです。
職人のこだわりを押し付けたりもしたくない。甘口と思って造ったお酒でも、お客様が「辛い」と感じるのであれば、それでいい。お客様の味覚に沿ったご案内をします。

日本酒は苦手でもこの酒粕はリピートする人もいるという。酒粕詰め放題イベントや蔵人体験、酒造りを実際に見ることのできる「プレミアム見学会」など、人気イベントを多数開催。SNSを要確認。

コロナ禍を機にSNSでの発信や直売所での様々なイベントにも力を入れています。日本酒そのものは苦手だけど、「なんか楽しそう」「お酒は弱いけど面白そう」「麹には興味がある」など、いろんな切り口で興味を持ってもらえたらと。明るい雰囲気になるピンク色の法被を着て接客するのも、しかり。いろんな工夫で「誘う」接客を心掛けて、灘菊の日本酒を楽しんでもらいたいと思っています。

──川石さんご自身の未来についても聞かせてください。

川石さんの名前「光佐(みさ)」にちなんだ無濾過・生酒の「MISA」シリーズ。フレッシュでジューシーな味わいで日本酒初心者でも飲みやすい

60歳くらいまでは今のスタイルで走り切りたいですね。私には子どもがいませんが、それが逆に良かったな、とも思うんです。会社にとって自由な選択肢が広がるので。「絶対に後継者を見つけなければ」と、思い悩んでもいません。それよりも、お客様の中に灘菊の味や空間が思い出として残れば、十分。お酒って、お祝いや記念なんかのときに贈ったりもらったり。そういう場所のおともになっていたりすると思うから。
個人的な将来についてぼんやり考えているのは、「おばあちゃん」が造った日本酒。南部杜氏になった記念も兼ねて、若い方や女性にも飲みやすいものをと、自分の名前を入れた日本酒「MISA」シリーズを2011年に出しました。これから歳を重ねて、このお酒のブランディングを変化させていくのも面白いかなって。まだ妄想段階ですけどね。

柔らかな覚悟が導く、灘菊の未来

大きさや長さにこだわった、ひときわ目を引く暖簾。「暖簾をかけたことで中に入りやすくなったと評判です。インパクトのあるサイズと、中の様子が見えるか見えないかの絶妙な長さも気に入っています」と川石さん

「大きくモノゴトを変えるのは苦手。酒造りも経営判断も、良い方向を目指して少しずつ変えていくのが好き。だから続けてこられた」
困難も前向きに捉えて糧に変えつつ、自分なりの杜氏兼社長としての立ち回り方を整えてきたこの10年。職人としての誇りと経営者としての責任、その両方を手放さずに進もうとする姿に、変な気負いはない。
「しんどいときは力を抜いてもいい、辞めなければいいんです」と朗らかに笑う。一方で、職人としての強い矜持がある。
「酒造りは生き物(麹)を相手にしています。この日のこの時間に、この作業をしないと間に合わない、というタイミングがあるんです。基本的に楽観主義ですが、酒造りに限らず、絶対に外してはいけない『ここだけは!』に向けた努力は欠かしません」
きっとこれから先も、何かしらの困難があるだろう。「結局どうにかなる」と考える一方で、「未来へのあらゆる可能性に対応できるよう、今は自分のすべてを灘菊に注ぎたい」と、堅実な一面ものぞかせる。

100年以上続く看板を背負い、これからも杜氏と社長という二足のわらじを履いて姫路と酒蔵に多くの人を誘っていく。

閑話~off-topic~
細くでも、とにかく続ける

「2014年の『すごいすと』取材でも大事にしていると話した「継続は力なり」という言葉。それは今も変わらず心の支えです。ただ、常に100%の力でやる、というわけじゃなくて。しんどいときは力を抜いて30%くらいの力でも続けていればOK。とりあえず続いているから良しとしておこうみたいな。辞めさえしなければいいんです。辞めたときが最後ですから」

「姫路城しかない」、ではない

「姫路城が改築や修理を経てきれいな状態で残っているのは、地元の人々の想いがあったからこそ。あれだけのものを数百年も守り続けるって、決して当たり前じゃない。だから『姫路って姫路城しかないよ』じゃなくて、『立派な姫路城があるんだよ』と胸を張って言うことにしています。

姫路城の写真を撮るなら、やっぱり間近で撮るのが好き。入城して上り終わった後、城を出てすぐの『備前丸の広場』で見上げる姫路城がいいんです。塀や木など遮るものがないので、外からでは味わえない迫力があるんですよ」。

川石さんのライフチャート

「良いことも悪いことも糧にしてきたからこそ、私の人生には「絶頂」や「どん底」という明確な波はありません。常に課題=負荷があるのが当たり前で、負荷があってこそ自分を高める挑戦が生まれるから。課題に向き合い、時に楽しむ人生を歩んできました」

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