神戸市西区出身。大学を卒業し印刷会社で7年間働いた後、起業家に憧れて輸入CDの販売で起業。事業が不振に陥ると、次にCDや洋服のネットオークション販売事業などに挑戦。その傍ら、友人が代表を務めるリサイクルショップの経営に参画。2009年42歳のときに人事施策の一環として有機農業を始めたことをきっかけに、2010年に専業農家の道へ進む。現在は自身の農園「ナチュラリズムファーム」を拠点に、有機農家グループ「Bio creators」や里山公園管理・マルシェ運営などを担う「一般社団法人農サイド」の代表としても活躍。さらに農村定住促進コーディネーターとして新しいライフスタイルを提案するなど、多彩なプロジェクトを手掛けている。また、有機農法を広めるべく、講演会への登壇やコーディネーター、県や市の協議会委員なども担う。
目次
農家になる気はなかった。あるのは成功への欲だけ

一発当てたい、儲けたい。野心の塊で生きてきた。
今では神戸の有機野菜農家として名の知れた大皿さん。実家は西区で代々続く農家で、大皿さんはその7代目。しかし家業を継いだわけではなく、むしろ「農業をする」と告げた時には、両親から全力で反対されたという。自身さえ、中学生の頃に米づくりを手伝ったことがある程度で、農家になるつもりは毛頭なかった。
当時ブームだった起業家に憧れて、7年間営業職として勤めた印刷会社を退職。輸入CD販売会社を起業した。どうすれば儲かるのか、頭の中はそればかり。事業が不振に陥ると、CDの手売りにネットオークション、古着リメイクにと、あれこれ手を出した。大赤字も出したし、商売仲間との揉め事もあった。うまくいったと思えばすぐに競合にさらされて潰れ、何をやっても続かない。自分探しをしているような時代だったかもしれない。
根っこから人を育てるには?その問いが農家転身のきっかけに

転機は、岡山のリサイクルショップで訪れた。小学校の同級生が経営する会社で、大皿さんは実質ナンバー2のポジション。ビジネスは波に乗っていたし、担当していた人事もやりがいがあり、一生の仕事になるだろうと考えていた。
しかし一つ、大きな課題があった。それは、遅刻や欠勤、トラブルを繰り返すスタッフの勤務態度。なんとかしなければ。店の特性上、スタッフはサブカル好きで、趣味以外のことには興味を示さない若いアルバイトばかり。加えて、この先、社会人としての基本的なマナーを備えた人材が入社する見込みも全くなかった。それなら、今いるスタッフを戦力として育てる以外に道はない。
彼らをよく観察してみて分かったのが、食べ物がかなり偏っていること。人は食べた物でできているのだから、これを正してみたらどうだろうか。
「思えば自分も外食ばかりで不摂生でした。安全安心な食べ物とは何かを改めて考え、行き着いたのが有機野菜。それから有機農業の本を読んで勉強し始めたんです。ファストフード店で朝食を食べながら(笑)」。
齢42。ここで有機農家への道が拓かれた。考えてみれば実家は農家だ。知識や経験はないが、農地はある。
農業で何かを変えることは、自分にしかできない

どうすれば有機農業ができるのだろうか。キホンのキすら知らない大皿さんに、周りの農家や相談に訪れた行政の反応は「そんなに甘くない」「よく考えろ」とネガティブだった。しかし運よく、県から紹介された西区の有機農業の第一人者に弟子入りできた。週末のたび神戸に帰っては農業に精を出した。仮説を立てて検証して改善し、また仮説を立てて検証する。試行錯誤の末に収穫した野菜を調理してスタッフに食べさせてみると、会話も増えて職場に明るい変化が見えた。いいぞ、この方向で進めていこう、と手応えを感じた矢先……。
「店の売り上げが悪化したから、もう農業はそのへんでやめて本業に専念しろ、と同級生である社長に言われたんです。いや、せっかくここまでやったのに……と、ふと考えたんです。店長や人事の代わりはいるやろうけど、農業で何かを変えるのは自分にしかできひんのちゃうか、と」
有機農業を学び、実践してみて、環境問題にも課題を感じはじめていた大皿さん。一念発起、会社を辞めて神戸に戻り、専業有機農家になる決心をする。しかし、華麗な転身とはいかなかった。
閑話~off-topic~
憧れの人は「白洲次郎」「終戦後のGHQとの交渉でマッカーサー案にノーを突きつけた男です。国会に参考人として呼ばれ、政策のあり方を問われた時には、「それは一国民の私が答えることではない。国会議員が自分たちで考えることだ」と話した逸話も残っています。自分の意見をはっきり言えるところがかっこええなと。僕もオーガニック野菜の提言で国を動かしてみたいですね(笑)」
さらに深掘り-Q&A-
──専業農家になった当初は、収入が減り苦しんだそうですね。

農家は天職や!と思っていたけど、やっぱり勘違いやったんか……とへこみました。最初のうちは直売所に出してもほとんどが売れ残って、蓄えも底を尽きかけました。
風向きが変わったのが神戸・三宮の東遊園地で始まった「EAT LOCAL KOBE(ELK)」。2015年に立ち上げメンバーとしてファーマーズマーケットに出店したんです。そうしたら、僕らの野菜を買うために列ができて、お客さんがチヤホヤしてくれるんですよ。直売所では全然売れなかったのに、急に。それが楽しくて毎週行くうちに、飲食店のシェフから声がかかったりして、少しずつ販路が広がっていきました。
今取り組んでいるCSAも、この時に出会った外国のお客さんから聞いた話がきっかけです。
──CSAとはなんですか?

Community Supported Agriculture(地域支援型農業)の略で、契約したお客さんから事前にシーズンごと~1年分の代金をいただいて作付け費用に充て、野菜を収穫したら定期的にお客さんにお渡しする仕組み。野菜は地域に設けたピックアップステーションで受け取ってもらうので、お客さんはみんな地域の人。頻繁に顔を合わせて言葉を交わしていると、「仲間」のような存在になっていくんです。
この仕組みのおかげで、農家は安定的な生産を実現できるし、お客さんはCSA会員限定の農業体験や味噌づくりなどのワークショップに参加できる。天候などの影響で不作や突発的な余剰が発生しても、みな理解があって協力的です。

ELKでCSAのことを聞いてすぐ、農業を始めた頃から描いていた構想と結びつきました。それは、「お客さんと顔の見える関係性を作る」こと。そして、ただのお客さんではなく「仲間になる」こと。
というのも、有機野菜を買い続けてもらうには、有機農業が環境にどう良くて地球温暖化にどう貢献するのか、僕たちが大事にしている想いに共感してもらうことが一番だから。CSAのように消費者と生産者が一緒に地域の農業を支えていくことが、有機農業を広げることにつながります。
今、日本の有機農業は全体のわずか0.5%に過ぎません。1970年代に「有機農業」という言葉が使われるようになって50年以上が経つのに。それを僕たち有機農家が変えていかないといけないし、そのためには一緒にアクションを起こしてくれる仲間を増やす仕組みが必要なんです。
──有機農業を広めるためにCSAに取り組んでいるのですね。現在、どれくらいの方が利用されているのですか?


西区で「Bio creators」という有機農家グループを作って仲間と一緒に取り組んでいるのですが、西区近隣のお客さんが約50人、そのほか県庁や企業でもそれぞれ70〜80人ほどが取り入れてくれ、毎回地域のピックアップステーションやオフィスの一角でお客さんと会話しながら受け渡しをしています。何年も続けていると顔見知りがたくさんできて、そのうちにイベントに参加してくれたり有機農業を学んで小さな畑を始めてくれたり、アクションを起こしてくれるようになります。こんなこと、通常の店舗販売ではなしえないでしょう? 時間はかかるけれど、広がりには力強さがあります。
この仕組みのいいところは、有機農業を広めるだけではなく、農家にとってもメリットが大きいところ。安定収入になるので、農業で自立しやすくなります。新規就農者や若手農家こそ、CSAに取り組んで欲しいですね。
──新規就農者や若手農家が有機農家として自立するのは難しいのでしょうか?


今の日本の仕組みでは、なかなか簡単にはいきません。有機農業は特に、土づくりに時間がかかるものなんです。補助金を活用して新規就農しても、決められた期間内にうまく結果を出せず辞めてしまう人も多い。しかし、今恐ろしいほどの勢いで農家が減っていることを考えれば、想いを持って農業に挑む人が安心して続けられる仕組みを国が作らないといけない。農業をいかに支えるか、本気で考える時期に来ていると思います。
うちの農園では、そういった追い込まれた新規就農者や若手農家がうまく離陸できるよう、研修生として受け入れています。Bio creatorsで有機農業スクールを開いていることも若手サポートの一環。ここ最近は、若手の育成や、僕が今やっている活動を次世代に受け継ぐための仕組みづくりが自分の役割なんかなとも思っています。
──「儲けたい!」という意識が大きく変化したのですね。

農業を始めてから変わりましたね。土に触れる暮らしは、経済的な物差しで見れば評価は高くないけれど、僕の中では価値がめちゃくちゃ高い。お客さんやボランティアで作業に来てくれる人と会話をしたり、いろんな人から「ありがとう」と言われたり、そういうお金では測れないものに価値を感じるようになりました。「足るを知る」というのか……。今は自分だけが儲かりたいという気持ちはないですね。
大切にしているのは、農園の理念でもある「有機農業で生産する」ことと「有機農業を広める」の二つ。この理念に沿うこと以外はやっていません。
──有機農業を広めるために、最近力を入れている取り組みは?

「有機にんじん丸ごとプロジェクト」です。規格サイズは神戸市の学校給食や小売店に、変形したものや傷ついたものは加工品に、葉っぱは大学や民間企業とサプリなどの商品化に。公民連携でにんじんを丸ごと活用して買ってもらう仕組みです。
とくに神戸市の学校給食は11万食、一食270円で計算しても一日あたり3億円ですよ。そのうち野菜の値段がどれくらいか計算をしてみたら、給食というマーケットはかなり大きいと分かる。それでKOBEオーガニック推進協議会の会長として今、神戸市に補助金をつけてくれないかお願いしたり、農協を通じてスーパーの売り場に並べてもらえるように提案したりしているんですが、皆さんとても共感してくれますね。
このプロジェクトが軌道に乗れば、新規就農した人はまずにんじんを栽培すれば食べていけるようになります。
──神戸市の農村定住促進コーディネーターやあいな里山公園の管理もしているんですよね。活動の幅が農家の域を超えています。

自分で開拓しているわけではないんです。農村定住促進コーディネーターも神戸市に頼まれて。新規就農した人が一人で農地を手配したり空き家を探したりするのは大変なので、そういう仲間のために始めました。公園の管理も、神戸市造園協力会からの受託です。西区の農家が中心となって作った「一般社団法人 農サイド」というグループで受託しているのですが、まだ農業一本で自立ができていない新規就農者や若手農家にとってはいい副業になるんです。今は農サイドの仲間と一緒に、地域の休耕田を引き取って米の栽培面積を倍に増やし、新しい機械も買って、地域の農業を盛り上げようとしているところです。
こんなことができるのは、やっぱり地域のコミュニティや仲間との連携があるから。僕一人だったら何もできないですよ。仲間が集まって一つの組織になると、できることが一気に増えていきます。
──新しい取り組みは、どのようなきっかけや理由で始めているのですか?

地域や行政の方から「やりませんか」とよく話をもらって、おもしろそう!と思えばのっかっちゃう。ただ、面白ければ何でもOKというわけでもなくて、やっぱり農園の二つの理念に沿っていることは大前提。加えて、自分がワクワクするかどうかですね。どんな活動をするにもその先にはワクワクがなければ。

新規就農者や若手農家の皆さんにも、生産だけではなく、広い視点で農業に向き合ってもらいたい。私が地域で農に関するマルシェや講座なんかを企画・運営したりするのを見て、「農家なのにイベントなんて……」と言う人もいますが、まずはこの仕事でしっかり食べていけるんだ、という姿を見せたい。じゃないと、「農家をやろう」、「農家に協力してほしい」と声高に言ったって説得力がないし、地域の共感も得られない。地域を巻き込んでいくためにも、新規就農者の方々には作ることだけにとらわれず、いろんなことにチャレンジしてほしいと思っています。
矢印は「自分」から「地域」へ。そして、後進へ

「儲けたい」一心だった大皿さんが有機農業をスタートしてから、その野心が向かう先は自分自身から地域や人、そして地球環境へと大きく変化した。しかし今も、「野心家」であることに変わりはない。それは若かりし頃のぎらついたものではなく、まさに大地に張る根のように深く、長く、じわりじわりと静かに攻め入っているように感じる。
目的を果たすために周りを観察し、多くの本を読み、実践し、失敗を乗り越えて活動を広げる。そんな大皿さんが歩いた跡には、次々に新しい取り組みが生まれていく。
「ゼロイチでものを作るのが得意なんですよ」
かつて「どうすれば儲かるか」「どうすれば改善するか」を常に考え、行動し続けた農業家が実践する活動は、未知数で面白い。きっとこれからも、有機農業を面白くする仕掛けを生み出すのだろう。そしてきっと、今育てている次世代たちがそれをつなぎ、さらに広げてくれるはずだ。
閑話~off-topic~
仕事の必需品「ずん切り」「土に溝を切る「ずん切り」は手放せない道具。他の道具でも代用できるものの、私のずん切りは先端が細くて安定感が抜群です。弟子入りした親方が使っているのを見て欲しくなり市販品を探しましたが、どこにもない。聞くと、鍛冶屋さんで作ってもらった特注の道具だというので、私も親方の道具を借りて農機具の製作所に行き「これと同じものを!」と、わざわざ作ってもらいました」
大皿さんのライフチャート
「有機農業と出会ったことで、経済的な価値以上のものを得られました。最近は、自分が関わった、たとえば若手就農者が活躍しているのを見るのもうれしい。70、80歳になっても、地域の農業や農地管理などの仕事、やってたいなって思ってます」
取材・文:山本佳奈

