「おみやげにどうぞ!」土をまとった引いたばかりの大根を、笑顔で差し出す福井佑実子さん。「目の前で収穫した野菜を持ち帰ってもらう……。これがしたかったんですよね~。」と、オーガニックの暮らしを満喫中だ。「オーガニック」と聞くと、食物や農法を連想しがちだが、実はそうではない。もっとグローバルな優しい世界であることを、福井さんが教えてくれた。
山も人も、畑も動物も、「用の美(*1)」でつながっている
菓子を盛った丹波立杭焼の大皿を前に、福井さんは陶芸も「オーガニック」と言えると話してくれた。
「もともと陶芸家は器を焼くため、村の人たちと共に山へ入って土を取り、薪を調達したりしてきました。薪は台所やお風呂でも使い、使い終われば炭や灰として、あるいは自然釉(しぜんゆう*2)として、また山や畑へ還元されます。資源が循環する。そんな巡りの中では、人も生態系の一部として深く関わり合っています。この循環そのものがオーガニック。オーガニックとは“暮らし”なんです。」
オーガニック事業の推進のため、世界を舞台に多忙な日々を送る福井さん。始まりは、小学生時代の体験にあった。
*1「用の美」:柳宗悦(美術評論家・思想家)が民芸運動の中で、実用品としての工芸品の美しさを「用のみが美を生む」と伝えた
*2自然釉:焼成時に、燃料になる薪の灰が素地に降りかかり釉となったもの
障害が生む不平等に覚えた違和感
福井さんが通っていたのは、障害のある児童も同じクラスで学ぶ小学校だった。
「例えば、階段を上がるのに困っていたら、その時そばにいる友だちが階段の上まで手を貸します。上がり切ったら、別の友だちが手伝うというように、誰もが少しだけ手を差し伸べていました。自分にできることをみんなでつなぐ大切さを、子どもたちは自然と学んでいたんです。」
児童の中に、発達障害の同級生がいた。教科書一冊を暗記してしまうほどの記憶力を持っていたが、社会人になって出会った彼は、その特性を活かせる仕事には就いていなかった。家族も世話のため、大きな負担を背負っていることを知った。福井さんは「障害を理由に本来の力を活かす場がなく、みんなで負担を分かち合えない未成熟な社会を不健全だと感じたことが、今につながっているのかもしれません。」と振り返る。
国立大学の産学連携組織に勤めていた福井さんは、ある時、障害者が社員として働くカフェの存在を知った。
「障害のある人が適材適所で能力を発揮できれば、一般的なビジネスとして働く場づくりができることに目から鱗が落ちました。このスタイルなら『私もやりたい!』と思いました。」
名刺の作成や統計データの入力など、大学での業務の一部を障害者施設へアウトソーシングし始める中、障害者が社会へ参画する機会が少ないことを実感した福井さん。大学勤務を続けながら、障害者の仕事の創出に関わる取り組みを徐々にスタートすることを決めた。
福祉も「オーガニック」だから
まず取り組んだのは、厚生労働省の研究受託事業として、障害者施設とのタイアップによる障害特性と合理的配慮の関係を、有機野菜を使った弁当の製造と宅配の実業の上で整理をすることだった。
規格外農作物のフードロスという課題を抱えていた有機農家と、社会への参画機会が少ない主に発達障害者、生活習慣病などで食事制限のある消費者の、それぞれの困りごとを解決しようという挑戦だった。
スタートから2年後、同僚と共に株式会社プラスリジョンを設立すると同時に、有機玉ねぎをペーストに加工した商品づくりに事業を転換。製造現場を「ショールーム」にしたことで、障害者が特性を活かして働くことへの理解が進み、上場企業を中心とした障害者雇用の実現に貢献した。
こうした事業を通じて有機農業に深く関わるうちに、福井さんは、障害者が働く場をつくることも「オーガニック」のフィールドなのだと実感した。
「ヨーロッパのオーガニック農場などでは、多くの障害者や社会的弱者と呼ばれる人たちが働いています。多様な人が公正(フェア)に事業に関わるビジネスは、オーガニックです。オーガニックの中に福祉も含まれると捉えることが、自然なのだと思うようになりました。」
こうして福井さんは、国際的な水準によるオーガニックの実践、6次産業化支援に貢献したいという気持ちを強くしていった。
人間らしさが楽しい! 古民家暮らし
関わったプロジェクトの中に、宮城県南三陸町でササニシキを復活させる事業があった。上場企業との協働により、化学肥料や農薬の代わりに水位の管理によって水稲を育てる取り組みだ。自動計測した水位を遠隔から確認するシステムにより、高齢化が進む農家の負担を減らすことに成功。田んぼに自動的に水を入れる技術も実現できたにもかかわらず、最後に人が水位を調整するようにしたのは、自分の目と手と感覚で農作業がしたい高齢農家の想いを汲んだ取り組みだった。
こうした有機農家と会話を重ねて事業を積み上げたことで、エネルギーの自給や農作物の物々交換といった豊かな循環の中に、自身も身を置きたいと思うようになった福井さんは、2020年、丹波市に拠点を持つことになる。梅林を借り受けて畑を耕し、来訪者に梅の実や野菜のお裾分けをする。築100年の古民家では、井戸水を汲み上げ、太陽光の熱源で湯を沸かす。都市部と農村部の人が食卓を囲み、会話が生まれる。
憧れてきた暮らしの中で目指すのは、畑から食卓まで、多様な人が参画できるオーガニックな世界の実現だ。
食いしん坊が地球を救う⁉
オーガニックな世界の実現には、みんなが小さな一歩を踏み出すこと。その一歩を踏み出すためには、「自分にとって、幸せとは何かを考えることが大切。私にとっての幸せは、オーガニックに生きること。自分の幸せを追い求めることは、自分のためだけではないとわかるからです。」と話す福井さん。
活動を続ける理由を「めっちゃ食いしん坊だからかも。」と、笑って教えてくれた。
「おいしいものを貪欲に食べていたら、有機農業にたどりつきました。つくる人がいて、届ける人がいて、食べる人がいて成り立つサイクル。食いしん坊を真剣に追求するのも、持続可能な社会につながっているのかもしれませんね。いや、まじめにそう思うんですよ。」
おいしいと感じられるものを食べる。誰がつくってくれたのか、自分の手元にくるまでどんな人が関わっているのか、時には、食べたものの原料にも想いを馳せてみる。そんな小さな一歩をつなぐことで、持続可能な地球は守られる。
障害のある同級生に差し伸べた小さな手と優しさをつなぎ、みんなで一緒に笑い合った小学生の福井さんたち。子どもたちにできたことだ。きっと私たち大人にも、できるはずだ。