おばあかふぇ
菓子や饅頭などの地域の特産品を製造する株式会社但馬寿を母体とするカフェ。同社の栃やきもち・黒豆茶の販売、地域の伝統食の伝承などを目的に2009年10月にオープンし、同社の工場で長年働いていた女性たちが定年退職後に再雇用されて「おばあ」として働いている。湯村温泉の観光名所としてファンも多数。地域の人々の憩いの場としても愛されている。
冬は積雪で陸の孤島に。
湯村の過酷な冬が生んだ伝統食を残すために
人生100年時代と言われる今、あなたは何歳まで働くイメージを持っているだろうか?歳を重ねて働くことに不安を感じる人もいるかもしれないが、兵庫北部にある湯村温泉にはそんな不安をカラッと吹き飛ばしてくれるような人たちがいる。それが温泉街の“かふぇ”で働く80歳近い「おばあ」たちだ。
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湯村温泉は今から約1,200年前に開湯されたと伝えられる長い歴史を持つ温泉地。やわらかな泉質を求めて昔から湯治に訪れる人も多く、98度で湧き出る源泉を利用した茹で料理も人気だ。一方で冬には3-4mの積雪に見舞われ、昭和後期に国道9号線に通じるトンネルができるまでは冬場は「陸の孤島」となる土地だった。さらに冬になると集落の男性が但馬杜氏として出稼ぎに出てしまうため、女性が家を守らなければいけない。そんな土地で女性たちの知恵が生み出したのが、干し大根やするめなど日持ちのする食材を使った「伝統料理」だった。


トンネルが開通したことで冬でも手軽に食材が手に入るようになり、各家庭で守られてきた「伝統料理」が少しずつ姿を消している――そんな状況に危機感を抱いたのが、地元の食品製造会社で働いていた久村さんだ。

「私たちは地元に根ざした食品製造会社として、湯村の伝統料理も大切にしたいという強い思いがありました。そんな中、湯村温泉にある築130年の古民家が空くと聞いて、伝統料理を伝承するためのカフェをオープンする計画がスタート。ちょうど同時期に、工場で長年勤めてくれた女性たちが定年退職を迎えることになり『カフェで働いてみませんか』と10名ほどに声をかけたんです」。そして小洒落たカフェを目指して「遊月亭」が2009年にオープンした。――が、思い描いていたお店の理想像は、早々に打ち砕かれる。
「おばあ」を看板にすることで
マイナスをプラスに変えていく
思った以上に客足が伸びなかった。女性たちの個性も強く、「せっかく来てくれたお客さんをほったらかしにする、釣り銭を間違える、こうしてほしいと伝えても聞いてくれない」と久村さんは頭を抱えていた。ところがある日、一人の酔っ払い客が店に訪れ「なんや、おばあばっかりか」と言い残して去って行った。これだ!と閃いた。小洒落たカフェから、おばあが働くおもしろいカフェへと舵を切った。「おばあかふぇ」が誕生した瞬間だ。
「おばあたちは当時60代になったばかりで、『まだおばあと呼ばれる年齢ではない』と反発もあったのですが、実際におばあかふぇという看板になってみるとお客さんから『あれ?みなさんお若いじゃないですか』と言われてまんざらでもない感じで(笑)。それに“おばあ”が看板になることで、おばあの不慣れな接客や失敗も“おもしろい”と思ってもらえるようになり、逆にお店の魅力になったんです」

この店で働くには久村さんが定めたおばあの条件を満たす必要がある。それが「人の話を聞かない」「我道を行く」「ぼろくそに言われてもへこたれない」の3つだ。まさに、雪に閉ざされる湯村温泉の厳しい冬が鍛え上げた女性のしなやかな“強さ”。それがおばあかふぇの屋台骨になったのだ。
「こういう生き方もあるんやなぁ」
おばあの“脱力”が、誰かの生きる力になる
店内の壁には所狭しと、おばあの名言(迷言?)が書かれた色紙が掲示されている。「都合が悪いこと聞いていないことにするのがおばあ」「失敗しても笑っとけ!あとはなんとかなる!」「反省しないことが元気の秘訣!」など悩みを悩みとして捉えず、軽く吹き飛ばしてしまうようなあっけらかんとした言葉が並ぶ。これらは久村さんが考えたものではなく、すべて実際のエピソードから生まれた言葉だそうだ。

「色紙は、おばあが同じ失敗をしないように“戒め”メモとして壁に貼っていたのが始まりです。どんどん増えていくうち、お客さんが楽しみにしてくれるようになって。例えば『釣り銭間違えて走るばあ!つぎはより慎重にしよう』は、実際にお客さんにお渡しする釣り銭を間違えたときに生まれたもの。この日は膝が痛いから早退して通院すると聞いていたんですが、釣り銭を間違えたと気づくやいなやお客さんを走って追いかけて行って。『膝は大丈夫なん?』と聞くと『あ、夢中になって忘れてた』と(笑)」。ようやく軌道に乗り始めたかふぇは、いつしかおばあにとっても張り合いを感じる場所になっていた。と同時に、おばあだけでなくお客さんの元気にもつながっていったと久村さんは語る。
そう思えたきっかけが、数年前に大阪からやってきた一人のお客さんだ。仕事がうまくいかず退職して命を断とうと湯村に訪れたが、偶然おばあかふぇの前を通りかかりふらりと立ち寄ったそうだ。色紙を見て「これで良いんだ。もう一度がんばってみようと思います」と少しやわらかな表情になって帰って行った。誰かの失敗が、誰かを救う力になるのだと実感した。安泰な黒字経営とまでは言えないけれど「この店を続ける意味があると思えた」と当時を振り返る。



誰でも半分は欠点。
大切なのはもう半分の“長所”をどう活かすか
今ではおばあたちの失敗を好機と捉え、何かが起こるのを楽しみに待ち構えている久村さんだが、オープン当初はおばあたちの失敗を正そうと必死になり、怒ってぶつかって……の繰り返しだったという。
「厳しくしすぎると“おばあ一揆”が起こりますし(笑)、逆に何も言わなければ店の運営がままならない。そういえば、工場の責任者を務めていた時代に従業員の指導で悩み、創業者の本社社長に相談したことがありました。『久村くん。人はな、半分欠点、半分長所がある。強みである長所をどう活かすかが大切なんちゃうかな』と言われたのを思い出しました。確かに私はおばあに接客も料理もとすべてを求めて、一人ひとりの強みを見られていなかったと気づいたんです」
料理にこだわりがあるおばあ、やさしい人当たりで接客がうまいおばあ、職人顔負けのパッチワークをつくれるおばあなど、それぞれの得意なことが活かせるように役割分担や環境を整えた。すると、おばあも肩の力を抜いて(ときどき失敗しながら)仕事ができるようになった。「私は失敗があると色紙のネタができてハッピー。お客さんは色紙を見られてハッピー。おばあたちも『失敗したら怒られる』と気にせずのびのび働けてハッピー。皆がハッピーですよね」
働くおばあたちにも話を聞いてみた。

(やえこおばあ)

(あけみおばあ)

(きょうこおばあ)

(さだこおばあ)
伝えていくのは、料理だけじゃない。
文化も、先人へのリスペクトも、次世代へ
おばあたちと同じように工場を定年退職しておばあかふぇで働いている西脇さんは、“人の話を聞いてしまう”がゆえにおばあには認定されなかったが、今は久村さんとおばあたちの架け橋として欠かせない存在になっている。地元で生まれ育った西脇さんは、よその土地から湯村に嫁ぎ強く生きてきたおばあたちを「すごい人たちだ」と尊敬する。

「私は工場の総務部門で働いていて帰宅が遅くなりがちだったので、よく母親が料理をつくってくれてね。母がつくる伝統食は私も娘も大好きで。その家によって少しずつ味や作り方は違うのですが、ここにいるおばあたちも嫁ぎ先のお姑さんからしっかりバトンを受け取って、大切に守ってきたわけです。私自身は料理が苦手で母から受け継げなかったので、おばあたちが伝承してくれてとても嬉しいし、尊敬しています。本当にみなさん料理がお上手なんですよ。レシピはもちろん、この料理は冠婚葬祭で集まった際の最高のおもてなしだったといった文化的背景や先人から受け継がれた食材の下処理方法などもちゃんと伝えてくれています」と西脇さんは話す。

お店では地元で採れる「栃の実」を使った料理やコーヒーもいただける。栃の実は栗に似ているが、そのままではアクが強いため食べられないそう。しかし茹でる・乾かす・茹でる・皮を剥く・茹でる・灰を入れて3日間つけ込む、という手間をかけることで漢方薬にも使われる滋養のある食材に。下処理だけで半月かかるそうだが、こういった昔ながらの下処理の方法も、伝承していかないと途絶えてしまう。
我が道を、マイペースに突き進む。そして、その日その日を大切に生きる。そんなおばあたちがつくる、いい意味で肩の力の抜けたお店の空気――それはかつて湯治で長期的に滞在する人を「よその人」として歓待するのではなく、「地元の一員」として自然体で接していた湯村温泉の文化にも通ずるものがある。お客さんと一緒にのんびりお茶を飲んでおしゃべりする気安さ。“根性焼き”を焼く眼差しの真剣さ。失敗を指摘されても「私のことじゃない」と開き直るしたたかさ。一癖も二癖もあるおばあたちの姿は、今日も誰かが人生の重荷を下ろすためのきっかけになっている。