芦屋市出身。歌手、舞台プロデューサー。高校卒業と同時にロンドンへ渡り、10代後半から海外クリエイターとの楽曲制作やライブ活動を重ねる。帰国後、コロムビアミュージックエンタテインメントよりメジャーデビュー。2013年より、レストランを舞台に音楽・ダンス・舞台演出を総合的にプロデュースするエンターテインメントショー「MAINDISH」を公演。音楽の枠にとどまらない表現を追求してきた。2016年に地元芦屋へ拠点を戻す。2021年には文化・芸術と食を掛け合わせたカフェ「MAINDISH DELICATESSEN」をクラウドファンディングで205人からの支援を得て開業。現在は5人のママスタッフとともに運営しながら、地域のアーティストをつなぐ活動やイベント、ワークショップを開催。芦屋と丹波地方をつなぐ取り組みにも挑戦している。
野良には野良なりの面白さ

とあるJR芦屋駅近くのカフェ。昼下がり、夜の営業に向けた料理の仕込みが続くなか、ある人はイベントの相談をし、ある人はリニューアルしたメニューの撮影に訪れる。
コロナ禍、人が集まること自体が難しくなり、エンターテインメントの場は一気に失われた。その渦中、歌手や舞台プロデュースなどアーティストとして活動してきたレマさんは、仲間とともに働ける場として、2021年、芦屋にカフェ「MAINDISH DELICATESSEN」を開いた。

「ミュージシャンやダンサーって、多くがフリーランスで社会保障も乏しい。まるで野良犬、野良猫みたいな存在。コロナ禍で世の中が混乱状態になったときも真っ先に影響を受けた。だからこそ、社会を変えていこうと『自分たちで何かやろう』って言い出したんです。そんなパワーと自由がある。野良には野良なりの面白さがあると思っています」
「本気で世の中を良くしようと思っている」と話すレマさん。クラウドファンディングを行い、205人もの賛同者から募った資金をもとにこの店は生まれた。飲食のほか、イベントやワークショップ、コンサートなども開催している。
母であり、アーティストであり

10代から歌手として活動してきたレマさん。ロンドンやニューヨークなど海外での楽曲制作やライブ活動を重ね、メジャーデビューも果たした。しかし、競争にさらされる世界に身を置くなかで次第に疲弊し、2016年、生まれ育った芦屋へ戻る。その後は芦屋・神戸を中心にライブやプロデュース活動を続けてきた。
2018年には一人娘が生まれ、母としての役割も持つことになった。現在お店のメインスタッフは5人。全員がママで、レマさんを含め、子どもを連れて出勤することもある。
「お母さんであることと、アーティストであることは、自分のなかでは分けていない。私という個体のなかにある要素なので。お店がオープンした時、娘は2歳。子どもを連れて働ける成功事例を作りたかったんですよね」
お店という場も、そこでの働き方も。レマさんの関心は、個人と社会(地域)がどう関係を結ぶかという問いへ向かっていく。
まちの可動域を広げる

レマさんは、芦屋を「エネルギーが高いまち」と表現する。
「東京や海外でグローバルに仕事している人もいる。あと、神戸に比べると圧倒的にまちの規模が小さくて、一声かければ集まってくるようなサイズ感。お店を通して、これまでつながっていなかった方たちの知恵や経験がつながることで、実現できることが増えていく。それはまちの可動域を広げることになると思っています」。
行政や制度が主導するのではない。じわりじわりと、草の根のようにまちに浸透していく小さな動きが生まれている。「組織にするよりも、個人が集まって『やらへん?』『やろやろ』『できちゃうやん』とやっていく。そうやって、自分たちでできるところまでやることで、行政と共生しながら、結果としてまちがより良くなると思っています」。
「野良である」という意識と「本気で世の中を良くしよう」という思いを持つレマさん。アーティストという立ち位置から、地域とどう関わろうとしているのか。
閑話~off-topic~
「MAINDISH」が、ステージとお店をつないだ。レマさんがトータルプロデュースしたCD「MAINDISH」のジャケットと、現在のお店の壁に飾られたネオンサイン。 20代の頃、ふと「MAINDISH」という言葉が浮かんで。当時、楽曲もカバーデザインもすべて自分でプロデュースするCDアルバムを作ってみたかったんです。そこで、レストランでフルコースを食べるようなコンセプトのMAINDISHというアルバムを制作しました。そこから、レストランを舞台にしたステージショーができあがったんです。まさか、本当にカフェを開業することになるとは思ってもみなかったですね。
さらに深掘り-Q&A-
――芸能の世界で生きてきたことは、レマさんにどんな影響を与えていますか?

結果がすべてで、評価が目に見える世界。「売れる」ためには自分らしい表現よりも、求められる音楽を選ぶ場面も多かった。常に競争のなかにいる感覚がありました。でも、そんな世界で振り切ってがむしゃらにやったからこそ、「どうすれば自分が満足するか」「どれくらいが自分の幸せか」というのがわかるようになりました。
夫はダンサーでもあるのですが、ダンスを踊っていれば自分を満たせる。私は歌っていれば自分を満たせる。みんなが自分で自分を満たすことができたら、人のことも考えられると思うんです。それが世の中をよくすることにもつながると思っています。
――「アーティスト」と、いわゆる「普通の人」では違うように思いますが?

もちろん職業的にアーティストかそうでないかという違いはありますが、私はみんなアーティストだと思っているんです。思い描いていたことを体現するとか、何か作り出すとか。言葉にならないエネルギーをどう動かすかだと思っています。近所のママさんたちがうちのお店で働くのもそう。中には、「扶養の範囲内だから……」と言って力をセーブしたり、「自分にできるかな」と自信なさそうに来る方もいるんです。でも、全力でやってみようと伝えるんです、見える景色が変わるからって。しばらく一緒に働いているうちに、みんながむしゃらになってくる。自信のなかった人も表情が明るく元気になってくる。
誰かに評価されなくてもいいし、小さなことでいい。精一杯やって自分の満足する範囲がわかってきたら、それまで持っていた固定観念が外れていく。一人ひとりが自分の枠を安心して外せるようになったら、世の中もっと良くなるんじゃないかってホンキで思っているんです。
――お店をすることでどんな変化がまちに生まれていますか?


うちの店を、「令和版のスナックみたいだ」というお客さんもいて。アーティストもいれば、経営者もいるし、学校の先生、会社員、大学生もいる。ビールを飲みながら、しんどかったことも吐き出して、みんなで「じゃあ、どうしたらいいんだろう」って話している。
そんな様子を見ているうちに、「私には何ができるんでしょう」って不安そうに言っていたスタッフたちも、自分の好きなことを見つけて生き方を変えていく人も出てきた。都心部のマンションを売って、畑つきの郊外の家を選んだスタッフもいます。ここで出会ったパパたちで「パパ同士のつながりを作ろう」ってイベントを始めた人もいます。世の中良くするには教育も必要。公に任すんじゃなくて、自分たちで何かできないかと、大学生を集めて、経営者やアーティスト、アスリートから生き方や考え方を話してもらう、ということもしました。
芦屋というまちはまだまだ昔ながらの価値観も強いので、それぞれのコミュニティの中で葛藤している人も多い。会社の跡取りになることが決まっているとか、学校の先生が教育現場で限界を感じているとか。でも、選択肢はひとつじゃない。これしかないって思わなくていい。この店には、そういったことを、伝えられる空気感があるのかな。うちをホームベースとして人が集う。そこから生まれる変化を、さらにまちに広げていきたい。
――2026年からメンバーシップ制を導入予定にしていたり、夜営業を予約制にしたりと活動の焦点を絞ろうとしてされているように見えますが、それはなぜですか?

私たちはクラウドファンディングでスタートしたので、支援者の方たちはすでにメンバーシップのような思いで応援してくれていると思っています。今からやろうとしていることは、日本の第一次産業を底上げすること。そのために、より活動を集中させていきたい。
飲食店を始めてみて、第一次産業の方たちが置かれている状況を知ることになりました。お米の値段が高くなったと言っても、まだまだ安い値段で出荷しているケースも多い。コンサートやショーを見にいく時間もない。土地利用や生産作物についての制約もある。日本全体で見ても食糧自給率の低さという問題がある。高齢化や担い手不足など、ギリギリのところでされています。
そんな状況を知って、なんとかしたいと思うようになった。まずはできることからはじめようと、とある農家さんのブランディングやデザインのお手伝いをして、お店で販売しています。
――具体的にはどんなことを始めようとされていますか?

夏までには芦屋と丹波地方の二拠点生活を開始しようと古民家を探しています。ショーを見にいくことができない農家さんのために私たちが現地に行って興行する「農キャバレー」や、生産の場を経験するためにお客さんたちが泊まりにきて農業ができるような場所、住民同士で助け合いながら暮らしていけるような「文化村」をやっていきたい。そうやって、まちと農をクロスオーバーさせていけたら。
それが何になるか、どんな費用対効果を生むか、それはわからない。動くことでわかることがあると思っています。それが、いつか誰かがやりたいと思った時のモデルケースになっていく。制度や方法ありきじゃない。そんな動き方が私の役割なんだと思っています。
近づきすぎず、離れすぎず。


改めて店内を見渡すと、昭和の純喫茶を思わせるガラスの照明に、キャバレーのようなミラーボール。個性的な手縫いの帽子や、南米のイラストが描かれたお皿が並んでいる。服やアクセサリーのギャラリーコーナーもあれば、丹波のお米も販売されている。「どこを切り取っても大好きと思えるもの」とレマさんは話す。

「社会のなかで生きているけれど、一人ひとりが「個人」に戻る時間が大事」とレマさん。それは、ただ、自分の「好き」だけで生きるということではない。規則や常識、役割にとらわれず、一人ひとりが自分自身を満たす感覚を持つ。それが社会をよくするパワーにつながると、レマさん自らが体感してきたからこその言葉だ。

「野良」というのは、制度の外に出ることではない。ただ従うのでもなく、敵対するのでもなく、自分の立ち位置から動き続けること。レマさんは、違和感を覚えたらまず動いてみる。自らがモデルケースとなることで、周囲に波及していく。その繰り返しで、まちを少しずつ変えていこうとしている。近づきすぎず、離れすぎず。がむしゃらに、自由に。その姿勢こそが、レマさんの言う「野良」であり、アーティストというあり方なのかもしれない。
閑話~off-topic~
丹波のお米に、西宮の平飼い卵丹波や西宮など、お店を通して、農家さんたちとのつながりも増えている。 娘が農業体験させてもらった丹波の農家さんのお米を店頭で販売しています。ランチで提供しているだし巻き卵は、西宮・山口町のムギマルファームさんの平飼いの卵を使用。「こんな方がいるよ」と、別の農家さん伝えで教えてもらってご縁ができました。食を大事にしたいので、微力だけど、少しでも近隣農家さんの力になれたらと思っています。
REMAHさんのライフチャート
「18歳でメジャーデビューしたんですが、自分のやりたい音楽との違いに葛藤していました。一念発起してニューヨークなどへ。バイトしながら歌いたいときにクラブとかで歌わせてもらったりして。ごちゃまぜ文化の自由な雰囲気が自分に合っていました。でも22歳のとき、飲酒運転の車にひかれて九死に一生の大けがを負って帰国。東京で舞台演出をしたり、ライブで歌ったり……自分のやりたいことをやろう!を続けています」
取材・文:渡邉しのぶ


