人が出会い、つながる播磨町へ!
自分たちのまちは、自分たちでつくろう

すごいすと
2023/02/05
佐伯亮太さん
(34)
兵庫県播磨町
播磨町まちづくりアドバイザー
合同会社Roof  共同代表

個人紹介

佐伯亮太(さえきりょうた)34歳。昭和63年、豊岡市日高町生まれ。15歳で明石工業高等専門学校(以下、明石高専)建築学科へ進学後、山口大学工学部感性デザイン工学科、横浜国立大学大学院建築都市スクール“Y-GSA”を経て、平成25年、明石高専の特命助教(*)に就任。播磨町へ移住し、団地再生プロジェクトに取り組む。平成28年、まちづくりのシンクタンク、合同会社Roofを創業。地域組織のアドバイザーとして兵庫県域でまちづくりに携わり始め、令和2年に播磨町まちづくりアドバイザーに。協働のまちづくりの実現を目指し、行政と連携しながら活動に取り組んでいる。

*特命助教:新たに設けたプロジェクトや講座などで、学生の指導などにあたる任期付き教員

「『兵庫県で一番小さなまち、播磨町(*)です』と、いろいろなところで営業部長のように『播磨町』の名前を口にしています。」
そう言って笑う佐伯亮太さん。播磨町まちづくりアドバイザーとして、播磨町のまちづくりに携わり、3年が過ぎようとしています。15歳で学び始めた建築から都市計画、更には現在のような地縁組織への関わりや市民活動まで、その都度、自分自身が経験したことを活動の転機として活かしながら、兵庫県内各地のまちづくりに関わり続けています。まちづくりに必要なことは、「自分たちのまちは、自分たちでつくるというまちの空気。」だと話す佐伯さん。播磨町に新しい空気を生むための取組や、まちの変化についてお話をうかがいました。

*播磨町:町の面積は9.13平方キロメートルと兵庫県内の市町で最も小さく、その3割が海を埋め立てた人工島(播磨町ホームページより)

建物から都市計画、生活者としてのまちづくりへ

「人生が変わった」と佐伯さんが感じたのは、15歳の春。中学卒業後、明石高専へ進学するため、親元を離れ日高町から明石市へ移り住んだことでした。「もし、あのまま地元にいたら、今のような活動はしていなかっただろう。」と振り返ります。
母が自宅で経営していた学習塾で、高校生たちが学んでいる内容に触れた時、「中学の学習の延長のように思え、興味が持てなかった。」という佐伯さん。専門的な学びを求め、選んだ進学先が明石高専建築学科でした。勉強に加え、好きな音楽を活かしたクラブDJとしての活動にも、熱心に取り組んだ5年間を過ごし、平成20年、山口大学工学部3年次に編入学。そこで佐伯さんは、まちへの関心が芽生えるきっかけに出会いました。

「私が学んでいた研究室は、大学内ではなく、まちの中心にある商店街の空き店舗にありました。当時、土曜日の昼間でも店舗のシャッターが下り、閑散としている商店街を見ていると、仮に建物が100年間持ちこたえたとしても、まちが100年間も持たないと思いました。建築単体のデザインを学ぶより、まちをなんとかしなくてはいけないと、気づき始めたんです。」
建築と都市計画についてもっと学びたくなり、横浜国立大学の大学院に進んだ佐伯さんは、大学近くにある商店街の活性化プロジェクトに関わることになりました。ある商店主から物件改修のアイデアを求められ、プレゼンテーションを行った時のこと。商店主から「内容は良さそうだけれど、言葉の意味がほとんど分からなかった。」と告げられ、大学での研究と一般的な生活感に大きな隔たりを感じ、衝撃を受けました。
「もっと生活者の目線に立ち、暮らしに寄り添ったことをしなくてはいけないと感じました。この体験が、今の活動のいちばんの根っこになっています。」と話します。
活動を続けていたある日、明石高専が地域連携プロジェクトの立ち上げを行う特命助教を募集していることを知り、すぐに応募。採用が決まり、兵庫県へUターンすることになりました。

公園のイベントでDJを担当する佐伯さん

団地で暮らし、カードゲームをつくって学んだ地域づくりの基本

明石高専で地域連携コーディネーターを務めることになった佐伯さんは、すぐに周辺の企業や行政を回り、学生が一緒に取り組める地域活動を探し始めました。その時、出会ったのが、播磨町にある団地、コーポラスはりまでした。
佐伯さんが大学院で研究してきたのは「地域社会圏」というテーマ。まだシェアハウスが一般化していなかった当時、家族を超えた暮らしには、何を共有し、どんな生活になれば、お互いが支え合う暮らしになるのかという内容でした。
播磨町に移住し、自ら団地の住人になった佐伯さん。明石高専の学生たちと一緒に、住人や団地周辺の住民がつながるための、様々な取組を行うなかで、その後のまちづくりにつながる、大切なことに気づきました。住人たちと常にコミュニケーションを取りながら進めること、そして、どんなときも、そこに住む人たちが中心にいなければならないことでした。

団地での生活が3年を過ぎた平成28年、佐伯さんは合同会社Roofを設立。明石高専の特命助教を退職し、播磨町をはじめ兵庫県内の様々な地域活動や地域組織に、アドバイザーとして関わることとなりました。例えば、地域活動の整理や見直し、空き家対策事業、地域の特産品を利用した商品開発などの地域活動支援や、廃園になった幼稚園の跡地を活用しようとする協議会の立ち上げ、空き家の治安維持や倒壊予防のための見守りを始めたい自治会のような地域組織支援などです。
その中の一つが、播磨町の「ハリマ・トゥ・ザ・フューチャー」の作成です。尼崎市で開発されていた「Amagasaki to the Future」に倣い、「おなやみカード」に書かれた地域の困りごとに対し、「おたからカード」に書かれた地域資源(地域のお宝)を組み合わせて課題の解決方法を考える、まちづくり体験型カードゲーム。月に1度、播磨町の住民で集まり、約半年かけて作成しました。
「作成の過程が楽しくて、『このまちのお宝ってなんだろう』『どんなことに困っているだろう』と、遊びながら考えることで、参加者が自分たちのまちの魅力に気づいたり、魅力をどう活かせば暮らしやすくなるのかを考えたりすることにつながりました。作ってみると、最初は興味がなさそうに見えた人も、どんどん前のめりに参加するようになっていったんです。面白いと思えたら、どんどん広がるんだなと感じました。」と佐伯さん。

最近では、中学校などでも活用され、住民たちが地域活動に参加するきっかけづくりとして、取り入れられています。 そうした様々な活動を続けていた令和2年4月、佐伯さんは播磨町まちづくりアドバイザーに就任しました。

「Amagasaki to the Future」の開発メンバー若狭健作さんをアドバイザーに招き、「ハリマ・トゥ・ザ・フューチャー」を作成
住民が播磨町の課題や魅力を話し合いながら作成した「ハリマ・トゥ・ザ・フューチャー」
播磨町の職員研修会でも「ハリマ・トゥ・ザ・フューチャー」が活用されている

播磨町を「人がつながるまち」に育みたい

播磨町まちづくりアドバイザーとして、役場に席を置き活動する佐伯さん。播磨町で感じた一番の課題は、「まちが小さいので、人がつながっていると思っていたけれど、意外と、人と人、活動同士がつながってないこと」でした。そこでまず、出会う場所やつながる機能づくりを始めました。
その一例が、播磨町で活動に取り組みたい人を見つけるための、「石ヶ池公園プロジェクト」です。播磨町は、子ども連れの家族が利用しやすい公園が多く、まちの魅力の一つになっています。そんな公園をもっと使ってもらおうと、令和2年10月、町内の有志たちが公園内のパークセンター2階に、日替わりカフェをオープン。ワークショップやイベントも定期的に開催しています。
また、播磨町内の若手経営者たちの飲食店グループや、町の住民が出店する朝市を、「パークマーケット」と名付け、毎月第2土曜日に定期開催化。こうした取組により、公園全体の利用者が倍以上に増え、人々がつながる場に育っています。

数々の取組の中でも、佐伯さんが一番印象深いと語るのは、令和4年5月、町制施行60周年をきっかけに行った、播磨町「協働のまちづくり宣言」です。「自分たちのまちを、みんなでつくる」「誰もがまちに興味をもち、楽しく地域活動に参加する」「誰もが情報に触れやすく、まちの動きがわかる」「ひとりひとりが手を取り合い、地域コミュニティに根ざす」を4つの目標として、まちづくりを進めようという宣言です。
「コミュニティづくりは、行政だけ、住民だけではやりきることができないもの。播磨町に関わる全ての人が、一緒に考える方が必ず良いものになります。だからまず、行政として協働のまちづくりに取り組む意思を明らかにしたかったんです。住民から行政関係者まで、たくさんの人に参加していただき、一年がかりで作成しました。」
この宣言後、佐伯さんは、住民たちがまちに関わる意識を持ち始めたと感じています。まちなかで「協働」という言葉を耳にする機会が、以前より増えたからです。更に、まちへの関わり方として、「第三の自分」が持つ得意技を活かしてほしいと話します。

石ヶ池公園で開催された親子イベントで、のびのびと楽しむ子どもたち
ライブやワークショップも開催される「パークマーケット」をきっかけに公園を楽しむ人が増えている
播磨町町制施行60周年記念式典では、町長と4つの小学校の代表児童が「協働のまちづくり宣言」を行った

自分たちのまちは、自分たちでつくる!

「最近は、家庭と職場(学校)以外の、第三の場所(サードプレイス)の重要性が語られますが、『場所』ではなく、家庭での自分、職場での自分、そしてそれら以外での『第三の自分』、すなわち、職場や家庭での役割とは、異なる役割を持つことが必要だと思っています。これからのまちづくりは、自分の得意技や専門的な経験や知識、技術を、少しずつまちにシェアして活かすことが大切だと思います。」と佐伯さんは言います。
「これまでのまちづくりは、花壇の植替えや公園の清掃のように、誰でもできるボランティア活動として見られていました。一方で、コンサルティングや都市計画など、専門的なことは、専門家が職業として取り組むもので、住民は関われないものと考えられていました。今は、例えばファシリテーション(*)や防災活動など、仕事や趣味などで培った専門的なスキルを、住民の誰もが教育や防災などに役立てたり、PTA活動や日々の活動に活用したりするようになりつつあります。しかし、ほとんどの場合は、自分の持つスキルを明言せず、『能ある鷹が爪を隠した』状態です。スキルを持っていると言えば、義務として関わらなくてはいけなくなるからです。」
得意技をまちに役立てるためには、自分にとって都合よく、面白がって参加できることが大切だと言う佐伯さん。

例えば、令和2年5月に創刊した、播磨町内の情報を発信する「ニュー☆ハリマ」は、佐伯さんが中心となり、「文化的な遊び」として発行している地域情報誌。編集に携わっているのは、全員が播磨町の有志の皆さんです。「楽しいから」「面白いから」という理由で集まった、職業も年齢も性別も様々な人たちです。
「まちづくりは、すぐに課題解決を求められますが、『まちづくりをしよう!』って人はいなくて、まずは、『面白いかもしれない』とか、『ちょっと気になる』みたいなことから始まると思います。それが進むと、自分たちの地域は自分たちでつくるんだという空気が出てくるかなと。やりたいことをやっていれば、いつかどこかで、誰かの課題解決になっているんです。」
こうしたアドバイザーとして、播磨町と向き合い続けて約3年。佐伯さんは、最近まちに変化を感じるようになりました。
「まちなかで、会いたかった人にたまたま出会う機会が増えた気がすると、喜ぶ人が増えています。それは播磨町内に、人が出会える場所、つながる機会が増えたということかなと。場所があることでつながったり、私以外の人がつないでくれたりしているんです。これからは、何もないまちだと言い続けてきた人に、播磨町は面白いと思ってほしいし、気づいてほしい。どうすれば暮らしやすいまちになるのか、まちに誇りを持てるようになるのかという疑問の答えは、そのまちに暮らす人の中にしかありません。その時、その場にいる人が、誰かに言われてではなく、自らが考えて行動した結果です。自分たちで話し合うことができ、どうすればいいのか決められる住民が一人でも多く増える播磨町になってほしい。期待していますし、信頼しているんです。」
蒔いてきた種が芽を出し始めた手ごたえを、佐伯さんは今しっかり受け取っています。

*ファシリテーション:会議の場で話合いが生産的に進むよう、参加者の発言を促したり話の流れを整理したりすることで、円滑な進行をサポートすること

播磨町駅から歩いてすぐ、空き店舗を改装した「ニュー☆ハリマ図書室」
播磨町の有志たちで制作している地域情報誌「ニュー☆ハリマ」
「ニュー☆ハリマ図書室」では様々なイベントを随時開催している

POWER WORD

まちづくりは、きっかけづくり。

「私は、わりと適当なアイデアを話すだけで、これといって何もしていないんです。でも、それでいいと思っています。そうしたアイデアに集う人が、どんどんつながっていくことが面白いです。」と笑う佐伯さん。まちが持つポテンシャルを引き出すために、佐伯さんがまちづくりアドバイザーとして大切にしている役割について、お話しいただきました。

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この記事を書いた⼈
内橋麻衣子