都市を「消費の場所」で終わらせないために
地域に踏み込む「すきま」をつくりたい

すごいすと
2022/07/25
若狭健作さん
(44)
兵庫県尼崎市
株式会社地域環境計画研究所

個人紹介

若狭健作(わかさ けんさく)44歳。昭和52(1977)年生まれ
大阪市城東区出身。平成13(2001)年、関西学院大学総合政策学部卒業。大学生のとき、研究の一環として尼崎市でフィールドワークをしたことをきっかけに、株式会社地域環境計画研究所に就職。尼崎公害訴訟の和解金を活用して平成13(2001)年に設立された「尼崎南部再生研究室」のスタッフとして、地域の情報を掲載したフリーペーパー『南部再生』の発行を20年以上続けている。平成23(2011)年、地域環境計画研究所の代表取締役に就任。地域プランナーとして調査研究や公園管理事業などをおこない、住民と行政の橋渡しをする。尼崎にさまざまな楽しい仕掛けをする、まちのお兄さん的存在。

兵庫県の最東端、尼崎市。大阪にほど近いこのまちで、縦横無尽に駆け回る若狭健作さん。学生時代の出会いをきっかけに尼崎に根を下ろし、地域のブランディングや情報発信など、さまざまな事業を手がけます。「二号店」「泥団子づくりワークショップ」「公園でスプーンカービング」など、名前を聞くだけで楽しそうなものばかり。若狭さんはどんなふうにおもしろい企画を考え、どんな思いで尼崎のまちづくりに取り組んでいるのでしょうか。尼崎市南部の杭瀬(くいせ)中市場にある、若狭さんが手がけた台湾料理店「好吃(ハオチー)食堂」にて、お話をうかがいました。

人生もまちの景色も、全部なりゆき任せ!?

商店街でいろんな人に声をかけられ、冗談をとばす。ここで生まれ育ったような若狭さんですが、出身は大阪市城東区です。尼崎に関わったきっかけは、大学の研究でした。若狭さんが所属していた都市計画の研究室に、尼崎市役所から調査の依頼が持ち込まれたのです。

「ちょうど西暦2000年だったので、次の100年に残したい尼崎の『ミレニアム遺産』を市民から募集して選定しようという事業があって。寄せられた遺産候補に足を運び、取材や撮影を担当しました。市役所の人はとてもよくしてくれたし、地元の人も、僕たちの活動を応援してくれた。それで、尼崎を『ええまちやな』と思ったんです」
大学4年生で、進路を考える時期だった若狭さん。「せっかく尼崎でいい体験ができたんやから、このつながりを続けたいな」と思い、研究室の先生に尼崎で就職できないか相談したところ、現在代表を務める地域環境計画研究所を紹介され、就職することになりました。

地域環境計画研究所のみなさん

「学生の多くは、大学時代に経験した活動とまったく異なるフィールドで就職するでしょう。それはもったいないと思ったんです」と若狭さん。
「ほんまに、なりゆきで生きてます」
「なりゆき」という言葉はネガティブにとらえられることもありますが、若狭さんから聞く「なりゆき」には、流れに身をゆだねるゆとりと、巡り合わせやご縁に感謝する温かみが感じられるのです。

このインタビューをおこなった「好吃(ハオチー)食堂」は、ルーローハンなどが食べられる台湾料理店。女将の赤代(しゃくしろ)祥子さんはコミュニティナース(*)で、店頭に血圧計を置き「健康診断、ちゃんと受けてる?」などとお客さんに声をかけます。 看護師の赤代さんは、コミュニティナースという看護師のあり方に共感し、活動場所を模索していたところ、知人の紹介で若狭さんと出会いました。そのとき好吃食堂は、ちょうど新しい店長をさがしていたタイミングで、料理が得意な赤代さんに、お店をしながらコミュニティナースをやってみないかと若狭さんが勧めたのです。

「これもなりゆきですよね。自分の人生もキャリアも、まちで起こることも、計画されたことじゃないんですよ。事務所の名前は『地域環境計画研究所』だけど、計画してないんです(笑)」
次は、どんなことが起こるかわからない。そのワクワクを、若狭さんはめいっぱい楽しんでいるようです。「なりゆき」で今に至るとはいえ、子どものころになりたかった職業はなかったんでしょうか?

「とくになかったんですけど、しいて挙げるなら……子どものころに見た教育番組『たんけんぼくのまち(*)』の主人公、チョーさんかなぁ」 チョーさん!! 若狭さん、まさに「尼崎のチョーさん」そのものじゃないですか!

*コミュニティナース:病院ではなく、地域で暮らす人を対象に活動する看護師。住民が日ごろから健康意識を高めるアプローチや、病院への橋渡しなどをおこなう
https://www.pref.nara.jp/secure/178073/What_is_CommunityNurse.pdf

*たんけんぼくのまち:NHK教育テレビで昭和59(1984)年から平成3(1991)年度まで続いた番組。まちの食料品店で働く「チョーさん」が、自転車で配達をしながらまちを調べ、手描きのイラスト地図にまとめるスタイルが人気だった
https://www2.nhk.or.jp/archives/search/special/detail/?d=youth015

買い物だけでなく市民のふれあいの場でもある杭瀬中市場
杭瀬中市場で仕入れた食材を活かした台湾料理の店「好吃(ハオチー)食堂」
店の外からも調理の様子がうかがえる

出店者も店番も、みんながちょっとずつ出し合う「二号店」

尼崎で若狭さんが携わるプロジェクトはたくさんありますが、軸になるのが、フリーペーパー『南部再生』です。杭瀬中市場も尼崎市の南部にあたりますが、南部を「再生」するとは、どういうことでしょうか。

工業地帯である尼崎市の沿岸部は、高度経済成長期に大気汚染公害が発生しました。平成13(2001)年に公害訴訟が和解し、和解金で尼崎南部地域の再生に取り組むことになったのです。その一つとして、住民がもっと地元を楽しめるようにと始まったのが『南部再生』の刊行でした。
「選挙のことから草野球の話まで、知ってると地元の人の暮らしがちょっと楽しくなるような話題を取り上げ、平成13(2001)年から続けています。おかげさまで認知度も高まり『読んでるよ』とよく言ってもらえます。これはもう、ライフワークですね」

鮮やかなデザインとタイトルが目を引くフリーペーパー『南部再生』

そして今、県内外から熱い注目を集めるのが、令和3(2021)年にオープンした「二号店」です。え、ただ「二号店」といわれても……。何の二号店なんですか?

「複数の古本屋さんの二号店なんです」と若狭さん。伊丹市で古書店を営む知人に「市場で二号店をやりたい」と相談されたのがきっかけで、5軒の古書店が少しずつ本を持ち寄り、バラエティに富んだ古書店ができ上がりました。本棚は、近くの材木店が提供してくれた木材で、みんなでDIYしたものです。

そしてこの二号店、ユニークなのが店番制度です。「続く仕組みを作ることが大切」と考える若狭さんは、ボランティア制ではなく、その日の売り上げの2割を店番に支給することにしました。
この仕組みをつくると、家での子育てに気が詰まりがちだった母親や、在宅で作業をするイラストレーターなど、さまざまな人が名乗り出てくれました。「そうした人たちが、自分の『二号店』にもしてもらえれば」と、若狭さんは話します。

二号店のトレードマークとなっているのが、店の前に揺れるロッキングチェアー。市場のお米屋さんが「古本屋やるんやったら、これ持っていき」と譲ってくれたものです。そこで、店番に参加してくれる人たちを「ロッキンチェアーズ」と名づけました。普段はLINEグループでつながっていますが、2~3ヵ月に一度は集まって情報交換。そのとき食べるものは市場で調達し、子どもたちは市場を走り回る……。市場を舞台にした、新たな循環が生まれています。

「二号店」トレードマークのロッキングチェアー
「二号店」の店番に参加してくれている「ロッキンチェアーズ」のみなさん
二号店の店先にイベント出店した「怪談売買所」は、100円で怖い話を売買できるシステム。
若狭さんがSNSで発信すると大きな話題を呼んだ。

地域活動に人を巻き込むポイントは?

若狭さんは他にも、公園の芝生化や泥団子ワークショップ、市民が自分の得意分野で“先生”になれる「サマーセミナー」など、さまざまなプロジェクトを仕掛けます。

杭瀬中市場の近くにある杭瀬公園では、砂場を芝生化。すると、そこでお弁当を食べる人がいたり、近くの材木店から提供された端材を使った工作教室をしたりと、これまでになかった人の流れが生まれました。

杭瀬公園の砂場を芝生にするための整備
芝生が完成。合言葉は「OUR PARK(私たちの公園)」

また尼崎市役所の隣にある橘公園では、砂場の砂が、泥団子づくりに適していることに注目。泥団子名人が泥と砂のブレンドを教えるイベントを開催したところ、長蛇の列ができるほど大人気。あまりの反響ぶりに、毎週土曜日に公園で泥を提供する「泥団子ステーション」が作られることになりました。

どうやったら、こんなふうにおもしろい企画を作れるのでしょう? ポイントを聞いてみました。

「やはり、自分がおもしろいと思えることです。妻がけっこうシビアで、興味のないものは『私はそれは行かない』とはっきり言うんです(笑)。遠くの誰かよりも自分や自分に近い人が参加したいかどうかを意識して企画すれば、大きい輪になるんじゃないでしょうか」
いかに人を巻き込めるかについても、「人をその気にさせる前に、まず自分が責任を持ってできるかどうか」だと語ります。やはり起点となるのは「自分」なんですね。

若狭さんは最近、本屋の配達を始めたそうです。尼崎市立花町に、小さなまちの本屋「小林書店」があります。本やドキュメンタリー映画にもなった名物書店ですが、店主の小林由美子さんの足の具合が悪くなり、配達が難しくなってきたといいます。
事務所の近い若狭さんが配達を手伝ってみたところ、歩いていくことで運動にもなるし、本を届けると「ありがとう」と喜ばれ、とても気持ちよかったそうです。そこで、あるアイデアを思いつきました。
「年配の方って、健康のためにめちゃくちゃウォーキングしてるんです。このエネルギーと、本の配達が結びつくんちゃうかと思いました」と周りの人に声をかけ、今は6人の配達メンバーがいるそうです。

自分がやってよかったことは、周りにも声をかけてみる。自分を起点に、自然に人を巻き込んでいますね。
「二号店もそうですが、みんながちょっとずつ自分の時間を出し合うことで、守られるものがあると思うんです。かつては喫茶店やスナックが、地域の憩いの場だった。それがなくなると税金を投入してコミュニティスペースを作ったりするけど、そうなる前に、今あるものを残せないかと動いています」

見方を変えて発想をスイッチ(転換)すれば、いつもの公園がもっと楽しい場所になるかも!?という思いから名付けられた「コーエンスイッチ!」
初回は泥団子に挑戦!
大人も子どもも夢中になる最強の泥団子作り

「都市で暮らす」をもっと豊かに

市場や公園、本屋さん。まちの身近な場所で、たくさんの仕掛けをする若狭さんは「こういう楽しみ方ができるのが、都市で暮らす魅力」と言います。そして「多くの人は、都市を単なる消費の場所として終わらせてしまっている」とも。言われてみれば、その通りです。
若狭さんを見ていると、都市(地域)と関わりながら暮らす豊かさを感じます。ただ、自分から地域に踏み込んでいくのは、少し勇気がいりそうです。そんなときは「自分と家族・友達だけでできる、それでいて開かれた会をやってみたらいい」とのこと。

「たとえば『公園でお昼ご飯を食べよう』だけでもいいんです。その周りにゴミが落ちていれば気持ちよくないから、ちょっと拾う。誰かが手伝おうとしたら『一緒にやりましょう』と言えばOKです」

自分よりも、ちょっとだけ周りのことをやってみる。これが、暮らしを豊かにするコツなのかもしれませんね。最後に、若狭さんは何のために、尼崎での活動を続けるのか聞いてみました。

「同じまちに暮らす人が、今までに知らなかったまちの楽しみ方を見つけるためだと思います。そうすれば、その人はきっと、そのまちに住み続けてくれる。僕がしてることは、皆さんが地域に踏み込むための『すきま』を、いろんなところに作ることなんでしょうね。尼崎には、そうした『すきま』がたくさんあります。そこに飛び込んでくれさえすれば、あとは『沼』なので、まちの魅力にはまれるはずです」

若狭さんのお話を聞いて、「個人商店で買い物をしてみようかな」「ちょっと近所の人に声をかけてみようかな」と、地域に一歩、踏み込んでみたい気持ちがわいてきました。

杭瀬の材木屋さんと結成したスプーンクラブの活動
カービングナイフで木材を削り、自分好みのスプーンを製作できる
あまがさきキューズモールで開催された「尼大新歓!」
尼崎でさまざまな活動をしている人たちが、自身の活動を紹介したり体験できるワークショップを開いた。

(文/合楽仁美 動画/三好幸一 )

POWER WORD

尼のプロ

尼崎での活動歴が20年を超える若狭さんは、関わる人たちから「尼のプロやなぁ」とよく言われるそうです。「尼崎のことをよく知っている」という意味でそう呼ばれますが、この言葉を別の角度からとらえると、別の意味が隠れていることに気づいたそうです。それがとても気に入っているという若狭さん。「尼のプロ」に宿る、もう一つの意味とは?

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