「家内の母の葬儀中のことでした。読経が流れる中、突然、家内が唱歌を歌い始めたんです。歌を教えてくれた母親への家内流のお別れの儀式だったのだと思っています。」
認知症の人も心は生きていると、吉田正巳さんが実感した出来事でした。
「絶望しかなかった」という妻への認知症宣告。進行への不安、認知症に対する自らの知識・情報のなさ、周囲の誤解や偏見。様々な苦境や葛藤を乗り越え、今では妻と過ごす時間がしあわせだと微笑む吉田さん。紹介や口コミを中心につながった120人の会員と、明るく和やかに家族会の活動に取り組んでいます。認知症になっても安心して笑顔で暮らせるまちをつくる! そんな夢に向かう吉田さんに、お話をうかがいました。
立ち上げのきっかけは、吉田さんの妻に起こった小さな異変でした。
「生まれたばかりの孫の世話に電車で出かけた時、普通電車と間違えて特急電車に乗ってしまい、降りる駅を乗り過ごしてしまったんです。帰りには、ハンドバッグを構内のトイレに置き忘れ、探し回るという出来事がありました。」
そうした小さな違和感が少しずつ増えていった2年後、妻に下された診断は若年性認知症(*)でした。
「最初は、まさか家内が…と頭の中が真っ白になりました。誤診じゃないのかと思ったくらい本当にショックでした。」
認知症も、認知症になった人の心がどうなっているのかも、当時は全くわかりませんでした。
「進行を止めたい気持ちが先走り、イライラして大きな声を上げたり、家内にあたってばかりいました。」
何一つ知らない認知症について勉強しようと吉田さんが決心した理由は、もう一つありました。周囲の誤解と偏見です。
「家内と一緒に散歩をしていると、『私が誰がわかる?』と知人が声をかけてくるんです。家内が『〇〇さんやろ』と答えると、『なんや、ようわかってるやん。認知症と違うんちゃう?』と言われて……。何もかも忘れ、何もできなくなるのが認知症だという間違った認識を強く感じました。」
その後、吉田さんはある講演で認知症の家族会があることを知り、妻と共に出かけましたが、そこに妻の居場所はありませんでした。
「家内は耳に入る言葉の整理ができないために混乱し、家族会が開かれている1時間半の間、立ったり座ったりじっとしていられませんでした。その家族会には、認知症の本人をサポートする体制がなかったんです。」
本人に寄り添い、不安を抱えている家族の精神的な負担を和らげる家族会をつくりたい。悩みを打ち明けて終わる会ではなく、そこから一歩前に進んでいける会を。
そう思った吉田さんを、加古川市内で社会福祉法人を営む幼友だちが後押ししてくれました。家族会設立の計画を法人の機関誌に掲載したところ、「参加したい」「勉強したい」「悩みを聞いてほしい」という電話が相次いだと言います。
こうして平成22年4月、認知症の本人と家族、地域包括支援センター(*)や通所介護施設の職員など約40人が集まり、「加古川認知症家族の会」(現「加古川認知症の人と家族、サポーターの会」)がスタートしました。
*若年性認知症:65歳未満で発症する認知症。仕事、家事、子育てのキーパーソンとなる年代に発症するため、就労支援など高齢者とは異なる支援が必要となる場合がある。
*地域包括支援センター:保健師、社会福祉士、主任ケアマネージャーなどの専門職が配置され、その専門知識や技能を互いに活かしながら高齢者の暮らしを支援する総合相談窓口。
吉田さん夫妻
笑顔で寄り添う吉田さん
お孫さんと一緒に近所を散歩
元気会の活動の中心は、認知症について学ぶ勉強会と集いです。
認知症の本人や家族をはじめ介護に携わる様々な人たちが、学習会や講演会などを通じ医療や介護の知識を学びます。
勉強の後は、自分たちの想いや生活を語り合い、支え合うための茶話会を開催します。
「みんな自分が一番苦しいと思っています。でも会合に来て他の人の話を聴くと、自分よりもっとつらい思いをしている人がいて、自分だけじゃなかったと気づきます。終わる頃には、いい笑顔になっているんです。」と話す会員や、
「入会して仲間ができ前向きになれたことで、今の自分の幸せに気づけました。仲間にめぐり合い、幸せに気づくきっかけになってくれた認知症の夫に、ありがとうと言いたい。」と、手記を寄せた会員もいます。
「元気会に来た日は、お父さんにやさしくなれる」
「解かる解かるって聞いてくれる、一緒に泣いてくれる、心がほっとする」
「胸を張って、前を向いて頑張れるのも、元気会の支えがあるから」
(いずれも5周年記念文集「共生」より抜粋)
こうした活動を続ける中で会員自身が、その必要性を感じて主体的に運営する取組が多岐に広がっていきました。
認知症初期の人と家族のための「つどい場 楽(らく)」では、認知症の診断を受けたばかりの人たちに必要な情報や勉強の機会を、元気会のメンバーが中心となって提供しています。
若年性認知症の人と家族に特化した茶話会「たんぽぽの会」では、失業による経済的な問題や子どもの養育のこと、家族の戸惑いなどの、高齢者とは異なる固有の課題を抱えた人たちに向けたサポートを行っています。
「私たちの会の特長は、認知症の本人が参加できること」と言う吉田さん。認知症サポーター養成講座(*)を受けたボランティアメンバーたちと交流する茶話会「サロン楽遂(らくすい)」や、社交ダンスをベースに体を動かす「音楽体操クラブ」なども行っています。
一方、地域づくりにつながる取組も行っています。地域の人たちと気軽に集い合う青空カフェ「コミュニティカフェ ノット」や、野菜づくりを通じて交流を図る「菜園カフェ ひまわり」、認知症関連の図書やビデオなどを貸し出す「オレンジ文庫」です。
これらの活動を通じ元気会が大切にしているのは、認知症の人や家族、支援者や地域の人たちが認知症についての正しい知識を得ること、そして本人の心の揺れに寄り添うことだと吉田さんは言います。
「認知症のせいだと思っていた症状が介護の仕方を間違えていたためだったと、勉強することで気付きました。症状を理解し、大きな声で怒らないなど接し方を変えれば、本人も家族も救われます。認知症になっていちばん不安なのは本人です。加古川元気会の『寄り添う』とは、待つこと。本人を患者ではなく一人の人間として尊重し、存在そのものを大切にする姿勢です。そのためには、まわりにいる私たちが勉強して誤解や偏見をなくし、本人の居場所を地域の中から取り上げないことが大切です。」
そんな地域づくりを目指し、吉田さんは様々な工夫をしています。
*認知症サポーター養成講座:市町が住民や学校向けに開催する、約90分の講座。講座を受講した認知症サポーターには「オレンジリング」が渡される。このリングは、介護者が少し手伝ってほしいと思う時に声をかけやすいような目印になる。
元気会の活動の中心、認知症について学ぶ勉強会と集い。勉強会後に行う茶話会では、自分たちの想いや生活を語り合う
認知症初期の人と家族のための「つどい場 楽(らく)」
社交ダンスをベースに体を動かす「音楽体操クラブ」
現在は新型コロナウイルス対策を行いながら開催している
元気会の活動は、加古川市外の人の参加も受け入れています。また、元気会の会員が講師になり、中学校で講座を開催することもあります。
参加した中学生たちが学んだ内容を家庭で話し、取組が地域の人たちに知られるようになりました。最近では吉田さんが散歩をしていると、登下校中の学生が声をかけてくれます。
また、道路に面した門も塀もない吉田家の庭に、みんなが集まる青空カフェ「コミュニティカフェ ノット」では、オープンすると「何をやっているんだろう、面白そうだな、何か聴こえてくる、いい匂いがしてくる、おばあちゃんがいる。」というように、周りに様子が伝わります。特別養護老人ホームやケアハウスなど施設の利用者が、家族や施設の担当者と一緒にコミュニティカフェを利用することもあります。地域の人と一緒に食事をすることで、認知症の本人や家族、地域の人たちに繋がりが生まれました。
さらに地域の施設とは、行事の際にテントやパラソルの備品を貸し借りするなど連携し、その後も交流を続けています。
一方、活動をオープンにするためには、乗り越えなくてはならない壁もありました。認知症の本人を人前に出すことを躊躇(ちゅうちょ)する家族が多かったのです。
「本人やその家族が、ためらうことなく地域へ出て行くには、どうすればいいんだろう。」
考え抜いた吉田さんは、写真展を開催することに決めました。
家族写真を公表することが、人前に出るきっかけになると考えたのです。平成27年1月、「心は生きている」をテーマとした「写心展」では、パラグライダーに挑戦する様子や、孫と一緒に遊ぶ写真、病院のベッドで微笑む一枚など、認知症の方とその家族の思い出の写真が会場を飾りました。
「私のお父さん、こんなんやで。」「うちの嫁はん、かわいいやろ。」
写真を通して家族を自慢したり、いつもは元気会に参加しない孫や友だちを連れてくる人たちの様子に、吉田さんは会員たちの心の変化を感じました。忘れられない思い出の一つだと振り返ります。
さらに新型コロナウイルスの感染が拡大した今年は、新たな工夫も始めました。
勉強会や集いが中止になり、会員同士が会えなくなった中、FAXやSNSを活用してコミュニケーションを取り合うようになりました。
SNSで会のグループを立ち上げ、面会禁止の入所施設や利用自粛のディサービスなどの情報を共有し、外出自粛を呼びかけました。
また、家族が抱える悩みや不安などの発信に対し、アドバイスや共感、励ましの返信が集まり、集いと同じような活動を行うことができました。
「これを機会に今後も活用を続け、会の中だけでなく外部のいろいろな人ともつながるきっかけにしたい」と吉田さんは言います。
こうした地道な活動を積み重ねた10年間に、地域にも変化が生まれていました。
地域の人たちと気軽に集い合う青空カフェ「コミュニティカフェ ノット」
認知症関連の図書やビデオなどを貸し出す「オレンジ文庫」
平成27年1月、「心は生きている」をテーマとした「写心展」を開催
「一緒に散歩できて、しあわせそうやな。」「雨が降ってきたからビニール傘をどうぞ。」
吉田さんは、偏見を感じていた当初に比べ、かけられる言葉がやさしくなったと言います。特に印象深い思い出は、地元での盆踊りでした。
「やぐらを右へ回りながら踊るところを、家内は左へ回り始めたんです。すると周りにいた参加者の方々が、間違いを指摘することなく、家内に合わせて一緒に左回りで踊ってくれたんです。」
見張られていたよそよそしさから、見守られている温かさへと、周囲の変化を吉田さんは肌で感じていました。
「地域における認知症支援とは、本人だけを特別にケアすることではなく、地域の一員として他の住民と同様に活動に参加できるよう、地域全体をより明るく住みやすくすることだ。」と、町内会長に受け止められたことが感慨深かったと言います。
「認知症であっても、地域活動に参加することが大切です。例えば『今日は介護で時間のない吉田さんがゴミ当番だから、掃除を手伝ってあげよう』というように、自然に助け合えることが本当の認知症支援であり、地域づくりだと思うんです。『認知症になってしまった』と、誰もがためらいなく口にできる安心な社会をつくりたい。そのためには私自身も含め、受け入れる側が認知症を学び、認知症の人も心が生きていることを理解すること。それが明日の共生社会につながると信じています。」と言葉に力を込めます。
認知症になっても笑顔で幸せに暮らせる、やさしいまちを目指し、吉田さんはこれからも、妻の手を取り共に歩み続けます。
散歩中に近所の方と桜をバックに撮影
加古川市内で開講されている高齢者大学で講義を行う吉田さん
「元気会」の特徴は、認知症の本人が参加できること
この日は認知症の本人が講師として登壇後、完成した「元気会」のテーマソングの発表も行われた