「お母さん。」お店で働く在日アジア人女性たちを、黒田尚子さんはやさしくそう呼びます。言葉も生活文化も異なる異国の地は、お母さんたちから夢も自信も奪おうとしていました。そんな女性たちに、母国料理をつくることで自立を促す食堂を開業。タイ、台湾、モルドバ、フィリピン出身のお母さんたちが、日替わりで母国料理を提供しています。活動の原点となったのは、学生時代に一緒に挑戦したイベントで、お母さんたちは黒田さんたちから、黒田さんたちはお母さんたちから、“お互い” がもらい合った大きな自信。Empowerment of All people(エンパワーメント・オブ・オール・ピープル)、「互いの価値を認め合い、夢を持って生き生きと暮らせる社会」の実現という大きな目標に向かう黒田さんに、お話をうかがいました。
それは大学1年生の時のこと。身近な社会問題を学ぶフィールドワークで、国際結婚などをきっかけに日本で暮らすアジア人女性たちと出会った黒田さん。そこで初めて、女性たちが日本の生活に溶け込めず、生きづらさを抱えていることを知りました。
「文字が読めないため電車を利用できず、徒歩圏内でしか生活ができない。言葉がわからなくても、尋ねる友だちも相談できる人もいない。社会問題として取り上げられないような小さな問題を、お母さんたちはたくさん抱えていました。自国でできていたことが、環境が変わっただけでできなくなるなんて、自信を無くしてしまうだろうなと感じたんです。」
そんなお母さんたちに、驚かされることがありました。「困っていることは何?」と黒田さんが尋ねても、続かなかった会話。しかし、自分たちが作ってきた母国料理のお弁当の話題になると、お母さんたちは料理のことや国のことを楽しそうに話してくれたのです。
「母国の料理を誰かにふるまったのは、私たちが初めてだったんです。お母さんたちのことを、私はこんなにも知らないのだと気付きました。こうして出会わない限り、この問題は誰にも気付かれないまま見過ごされていってしまう。そんな社会に暮らしたくないと思いました。」
黒田さんは、お母さんたちが作る母国料理を屋台で販売するイベントを計画。1カ月以上の時間をかけて準備を重ね、当日は用意した料理が完売するなど大成功。これを機に、数えきれないほどのイベントに出店したり、時にはカフェを間借りして営業を行うなどの支援活動を続けるうち、卒業後はお母さんたちと一緒に母国の家庭料理を提供する飲食店を開きたいと思い始めた黒田さん。しかし、待ち受けていたのはビジネスマンであった父の猛反対でした。
活動の原点となった大学時代のイベント
今は良き経営パートナーのお父さんと
「もし集客ができなかった時、どうやって続けていくんだ。お母さんたちの人生を、元に戻してしまうことへの責任を考えたことはあるかと言われ、言い返すことができなかったんです。」
集客できる力をつけたい。そう思った黒田さんは、お母さんたちに「3年待ってほしい」と伝え、飲食店広告の企画営業を手がける企業に就職。何十店もの店舗を担当し、開業に向けた知識と情報を得て3年後に退職。さらに1年の準備期間を経た平成28年7月、SALAをオープンしました。
「父に反対される前から、なんとなく気づいていたんです。当時のお客様は、社会貢献活動に取り組む学生や困っているお母さんたちを、応援したいから来店してくれる人がほとんどでした。でも、社会を変えたくて取り組む私たちが本当に知ってもらわなくてはいけないのは、この社会問題に関心のない人たちです。私たちの想いを知らない不特定多数の人が、どんどん来てくれる店であって初めて、伝えたいことが届くんだと。」
そのために今、黒田さんが大切にしているのは、料理を来店のきっかけにすること。料理に惹かれたお客様が店に通ううち、自然にSALAのコンセプトに気づき、つながりが深まっていくことが多いと言います。
「まだ関心のない人たちに、社会を変えたい、お母さんたちの存在に気づいて欲しいと、自分たちの想いだけを訴えようとしても届きません。でも、料理や店には興味を持ってもらうことができます。店内のいろいろなところに雑貨を飾ったり、SNSで料理を中心に発信しているのは、興味を惹くきっかけを散りばめたいから。まずは、『エスニック料理が食べたい』『おいしいから通いたい』という人に、来店していただくことが目標です。私たちの想いを伝えるのは、その後からです。」
こうして料理のファンが育ったことが、オープン3年目に訪れた存続の危機を乗り越える支えの一つになりました。
スタッフとして働くお母さんたちと黒田さん
神戸アジアン食堂バルSALAで提供されている料理
「あと2カ月、耐えられるかな。」
オープンからちょうど3年を迎える頃、SALAは存続の危機と闘っていました。客足が伸びず、黒田さんは「無理かもしれない」と覚悟したと言います。転機になったのは、クラウドファンディングへの挑戦でした。
「お母さんたちが自立するため、タイの屋台をつくりチャレンジショップを開きたい!」
目指す未来とSALAのコンセプトを訴えると、共感の輪が一気に広がり、来店者もどんどん増えていきました。自分たちの技術を活かして欲しいというデザイナーやIT関係者など、たくさんの応援団も現れました。
さらに、コロナ禍に見舞われた令和2年4月、初めての緊急事態宣言が発令された時にも、2回目のクラウドファンディングで400人もの支援が集まり、危機を乗り切ったのです。
「自分の力だけではできないことばかりで、お店をつぶしてしまいそうになりました。そんな時、想いを伝えて助けを求めたことで、多くの人の力が集まり乗り越えることができたんです。自分の想いがみんなの想いに変わり、力が合わさることで、できなかったことができるようになることを、これからも信じていきたいと思います。」
変化はシェフやホールスタッフとして働くお母さんたちにも現れました。黒田さんに背中を押され、恐る恐る動き出すお母さんたちが、働き始めるとすぐに次の「やりたいこと」を見つけ、「店を出したい」「畑で農業がしたい」と、夢まで語れるようになると言います。
「アルバイトの学生たちが、頑張って店の告知に取り組んでいる姿を目にしたことで、お母さんたちも『負けていられない』と、定休日にSALAでイベントを開いたり、チャレンジショップに挑戦するようになりました。そんな様子にお客様まで『私も何か始めたい』と感化されたり、その広まり方が早くて広くて……。」
誰かが頑張っている姿を見たことで、その様子を目にした人も「頑張りたい」と希望を持ち実行する――。まさに、黒田さんがかなえたいと願うエンパワーメントの連鎖が、そこにありました。
アルバイトの学生たち、お店の広報にも積極的に取り組んでいる
チャンレンジショップにも積極的に挑戦!
黒田さんの目標は「Empowerment of All people」の社会を実現すること。
「それはつまり、自分が困った時に、誰かが手を差し伸べてくれる社会だと思うんです。私はSALAを通して、自分たちのチャレンジを後押ししてくれる人や、苦しい時に助けてくれる人、利害に関係なく手を貸してくれる人に出会いました。『人のやさしさ』を信じてもいい社会を、この小さな店舗で体現しているつもりです。」
そんな社会が広がってゆくためには、SALAの事業が拡大したり、誰かが同じような取組を行うことだと言います。
「だからといって難しく考えず、SALAがおもしろい、興味が持てると少しでも思ってくれたら『私も何かしたい!』と声を上げて欲しいんです。それが大きな力になっていきますから。」
あの時、お母さんたちと“目が合って”いなければ、「今でもその存在を知らないままだった」と振り返る黒田さん。
「改札の前で外国人の方が困っていたら、ほんの少し意識を向けることで、『あ、この人は困っている』と気が付きます。気が付いたら『どうしました?』って聞いてみる。“目が合う”とはそんなことだと思うんです。興味を持つきっかけを、この店から伝えたい。ひとりでもたくさんの人にSALAを知ってもらうことが、みんなの意識を変える入口になるのだと思うと、頑張らなくてはいけないと思っています。」
黒田さんの頑張りを引き出してくれるのは、お母さんたちが取り戻してゆく自信や育み始めた夢に、一番近いところで誰よりも早く気づけることだと言います。
「お母さんたちと一緒に働く毎日は、楽しいですか?」
質問に「はい!」と元気に答えた黒田さん。この日一番の、明るく迷いのない声でした。
新しいメニューの試作に取り組むお母さんたち
「Empowerment of All people」の社会を目指し、スタッフとともに歩みを進める