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無職でいることを、大切にしよう

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2024/01/29
北野貴大さん
(34)
兵庫県神戸市
一般社団法人キャリアブレイク研究所

個人紹介

北野貴大(きたのたかひろ)34歳。1989年生まれ。大学院で建築計画学の修士号修了後、入社した大阪市内の大型商業施設で企画開発を担当。様々な企業の出店誘致やイベントのプロデュースを行い、2022年「合同会社パチクリ」を創業し独立。同年10月「一般社団法人キャリアブレイク研究所」を設立し代表理事に就任。キャリアブレイクが日本の文化になるための研究や活動を行っている。

「無職する。」 取材中、北野貴大さんが発したこの言葉には、働かないことを自らの手で選び取る軽やかさが満ちていた。無職の期間を「感性を回復させ、人生を立て直す時間」と捉える、「キャリアブレイク」という考え方を提唱。働く楽しさを知ったからこそ、働かない期間を肯定する大切さを、北野さんに語ってもらった。

働くって、こんなに楽しいことだった

クラウドファンディングを事業とする企業に、世界初の実店舗を出店させ世間を驚かせる。会社を立ち上げてから「さあ、どんな事業をする?」と、社員たちと盛り上がる。社内での報告・連絡・相談を禁止してしまう。北野さんの発想は、常に独創的で柔らかい。

「やり始めると面白くなる性分」との言葉どおり、原動力はどんなことも「面白がること」。人生の転機になったのも、一般企業で働くうちに仕事の面白さに気付けたことだったと振り返る。

大学、大学院では建築計画学を専攻し、集合住宅やシェアハウスを研究。古民家再生や地域づくり活動に携わっていた。当時、「社会性の高い活動が、善だと信じていた。」という北野さん。商店街の衰退につながる大規模な地域開発やグローバル企業の地域進出は受け入れ難く、「経済活動を敵対視してしまい、お金を汚らわしいとさえ思っていました。」と話す。

大学院で博士号の取得を目指そうとした時、「社会に出て、働くことを経験したほうがいい。」と教授にアドバイスを受け、「社会実験のような感覚」で一般企業に就職。大型商業施設への出店を企業に提案する業務に就いた北野さんは、初めて経済活動の持つパワーを実感した。

「自分の提案が売上を生み出し、次の企画につながりました。すると新たな売上が生まれ、採算性より事業の魅力を優先させたプロジェクトも実行が可能になり、経済が気持ちよく循環し始めました。お金と人、世の中の流れを知ることができ、経済が巡ることの楽しさを理解できたんです。」

経済活動の楽しさを知った北野さんに、次の転機が訪れる。北野さんのパートナーが、勤めていた商社を退職。1年間の「無職」を選んだのだった。

学生時代、友人と暮らしていた長屋をシェアハウス兼ゲストハウスとして運営していた
「ほめられない」「愚痴を言えない」などの小さな悩みに応える企画「妄想ショップ」が反響を呼んだ会社員時代

「無職になるって、もったいなくない?」

働くことが楽しくて仕方なく、離職や休職を「もったいない」とさえ感じていた北野さんにとって、パートナーの選択は戸惑い以外の何物でもなかった。目的を尋ねても、「なんか、いいじゃん」と、楽しそうな返事が返って来るだけ。パートナーはそれまでの生き方から離れ、旅に出たり畑で農作業を始めたり、学び直しにも取り組んだりするなど、いろいろな体験をしながらITプログラマーという新しい人生を整えていった。

そんな彼女の行動を、欧州では「キャリアブレイク」という文化として受け入れられていると知った北野さん。無職という行動を「働いていない」と捉えるのではなく、「自分への投資を通じて、様々な体験をしている時間」と受け止める考え方に、心を動かされた。

「キャリアブレイクが、日本に浸透すればきっと面白い。」

北野さんの活動が始まった。

もう一度、人生を設計し直そう

「無職を、キャリアブレイクって呼ぶらしいよ。」

SNSでの北野さんのつぶやきは、共感する人たちの間で瞬く間に拡散されていった。

北野さんは、同じ境遇の人たちが交流しながら、キャリアブレイク期間を肯定的に過ごす場「おかゆホテル」を、自宅の一室を開放して開設。あまりの人気ぶりを受けて法人化した後は、キャリアブレイク中の人たちが集い、自分たちで活動やプログラムを考えて主催する「むしょく大学」を開校。現在、約500人の参加者が、自分がやってみたいことに取り組んでいる。さらに、キャリアブレイクに関する様々な記事を当事者たちが執筆する情報誌「月刊無職」の発行など、様々なプロジェクトを立ち上げた。

北野さんが、これらの事業を通じて発信しているのは、「あなた一人ではない」というメッセージ。本当に取り組みたいと思える仕事を探すための離職でも「わがままだ」と責められる。疲れた心身を休めるための休職なのに「怠けている」と受け取られてしまう。そんな経験から元気を無くしてしまった人たちの、気持ちの代弁でもあるのだ。

休職中や離職中の人たちがゆるりと集う「おかゆホテル」
「むしょく大学」ではキャリアブレイク中の人たちが前向きに無職を楽しんでいる

目標は、スケートボード!?

こうして、キャリアブレイクという考え方が少しずつ広まり、無職とは「人生を再設計するために、前向きに過ごしている期間でもある」と理解され始めた。すると「その言葉が欲しかった」「責められたことへの恨みが晴れた」と、キャリアブレイクを知ることで、元気になっていく人が増えているという。

「とはいえ、日本をウェルビーイングな国にしたいわけではない。」という北野さん。目指しているのは、キャリアブレイクが制度ではなく、文化になること。目標は「スケートボード」だ。

「スケートボードって、『カッコいい』から多くの人が遊び始め、『楽しい』から自然と広まり、ついにオリンピック競技にまでなりました。キャリアブレイクも、やりたいから始める、楽しいから続ける、面白いから広まっていくといった、ストリートカルチャーのように浸透させたいんです。」

困った時、必要になった時、転機を迎えた時、働き方の選択肢の一つとして、誰もが受け入れやすいものであってほしいからだ。

一箱ショップを利用して「月刊無職」の展示販売を行っている
キャリアブレイクの研究発表を写真とTシャツで表現した展覧会を開催

幸せになるために、立ち止まることを選んでいい

「仕事は経済活動なのだと自覚したうえで、どう幸せになるかを考える。それが『働く』ということだと思っています。」

そう語る北野さんだが、就職するまでは、仕事とは「仕える」ものというイメージを描いていた。しかし実際は、自分から動いたことで、成果が出て評価され、経済が気持ちよく回る体験をした。「働く」とは主体的に動くこと、自分で考えつくることだと、北野さんは気づくことができたのだ。

「キャリアブレイクも、立ち止まるという選択をしているので、主体的に動いていることだと思います。」

仕事からいったん離れることで自分らしさを取り戻し、自らを成長させることは、幸せになることを考えるための肯定的な動きであることに間違いない。

最後に、北野さんに質問をしてみた。キャリアブレイクが浸透した未来で、目指す世界とは?

「取材を受けなくなること。」

インタビューさえ、面白がる人だった。

キャリアブレイクを文化として広めようと勉強会を続けている

POWER WORD

勝手にやる

「友人の言葉ですが、僕の中心にあることと近いんです。」と、紹介してくれた北野さん。「どんなことも勝手にやると、人生のオーナーシップを自分で持つことができる。」と話す。「わがまま」とは一線を画す、責任の在り方を話してもらった。

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この記事を書いた⼈
内橋麻衣子