独立から2年後、取引先が倒産した。「貯金もできたし、まあいいか。」と8か月間、アジアを中心に海外を放浪。外から日本を眺めてみると「当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなかった。」と気が付いた。それは今、評価される発想力に活きている。「楽しみしかない」と語るリノベーションとまちの関係を、清水さんが語る。
「貼り替えだけじゃ、誰も幸せになれない」
「ビジネスとしての可能性があると思っているからです。事業に取り組み続けることが、結果としてまちのためになればいい。」
リノベーションを手がける理由を尋ねると、清水さんはきっぱりと言い切った。経済活動とまちづくり。両者のバランスを大切にしながら、日々仕事に励んでいる。
自分の手でビジネスを始めたいと思っていた。中学卒業後、職人の世界へ飛び込み、高所工事などで足場を組む“とび職”に。19歳で独立を果たすも、2年後に元請会社が倒産。「会社員を経験してみたい。」と企業に就職したが、「自分で仕事を生み出すほうが性に合っている」と、副業としてインターネットで網戸を販売したり、賃貸物件の原状回復工事(*)を請け負うようになった。
仕事の依頼も順調に入り、楽しく働いていた清水さんだったが、徐々に物足りなさを感じ始めた。
「オーナーは、新しい入居者に入って欲しくて工事を依頼します。でも、築30年ほどの物件になると、床やクロスを貼り替えるだけのリフォームでは、入居したいと思ってくれる人はほとんどいません。」
誰も幸せじゃない――。入居者を探すオーナーの苦労を、目の当たりにし続けた清水さん。現場仕事で培った視点を活かし、提案を始めた。
*現状回復工事:マンションなどの入居者が退去した後、部屋のクロスや床の貼り替え、キッチンや洗面台の置き替えといったリフォームで、部屋を新しい状態に戻す工事
かつて暮らした団地から始まった再生事業
「例えば、『クロスの貼り替えではなく、壁をDIY可能なフリーウォールに作り替えませんか』というように、新しい使い方を提案するようになりました。」
オーナーに寄り添った仕事ぶりが、少しずつ成果となって現れ始めた2011年、清水さんは会社を退職し工務店として起業することを決心。
世の中のニーズを感じ取り、ダブルワーク時代から大切にしてきた「眠っている資源を活かす」という考えのもと、団地や古民家、空き店舗への営業活動に取り組み始めた。
ある時、子どもの頃に暮らしていた明石市の団地で、空き部屋を購入する機会が訪れた。リノベーションを行い、施工事例として見学者に開放すると、団地の住人や不動産会社から依頼が舞い込むようになった。
こうして軌道に乗り始めた2015年、建築士である笹倉みなみさんが社員として加わった。
「清水がリノベーションを手がけた、播磨町の団地の住人だったんです。パースや図面を描くお手伝いをするうちに、入社しないかと声をかけられました。職人でありながら、斬新な発想や提案もできる人としての面白さや、設計担当者も現場に出られる楽しさに惹かれました。」と笹倉さん。設計から施工管理まで手掛ける事務所として、仕事の幅も広がっていった。
住み継ぎ、住み続けるためのリノベーションへ
そんな中、リノベーションの新たなあり方に出会えた仕事があった。神戸市にある団地の、リノベーション事業のプロポーザル(*)だった。
「これまで団地のリノベーションといえば、低予算のユニークな提案が優先事項として求められていました。しかし、断熱や換気、さらに配管なども整え、生活の質も重視した施工を提案することで、団地も部屋も住み継いだり、住み続けたりできることを伝えたいと思ったんです。」
「株式会社フロッグハウスとしての、集大成をギュッと詰め込んだ」という提案は無事に採用され、しっかりと手ごたえをつかんだ清水さん。老朽化が目立ち、家財であふれる団地の空き部屋を、次の世代にどう引き継ぐのか。住人亡き後、どう処分するのか。この地域課題に対し、「住み継ぐ」「住み続ける」という視点が、リノベーションによって生まれることを実感した。
「新しくなった部屋に、若い家族や子どもが来ることで、団地暮らしも楽しいと思ってもらえるようになること。それも、リノベーションの持つ力であってほしい。」
こうしたリノベーションを通じ、眠っていた建物が地域の中で再稼働を始めたとき、そこに「新しい風」が起こると清水さんは言う。
*プロポーザル:業務を委託する上で、最も適した提案者を選定する方式
生まれ変わった建物から、地域をにぎわす風が吹く
創業時、清水さんは「眠っている資源を再生して、地域に新しい風を起こす」という経営理念を掲げた。
「物件が使われ始めると、こちらが考えていた以上のことが起こる場合があります。そんな新たな出来事が始まる瞬間を“新しい風”と呼んでいます。」
例えば、ある公共施設では、今まで足を運ぶことのなかった高校生が、宿題をするために訪れるようになった。また、改修で生まれた国際交流シェアハウスでは、広いオープンキッチンを設置したことで、こども食堂を始める人が現れた。それまで、外国人に近寄りがたさを感じていた近所の人たちが、こども食堂に足を運ぶようになり、外国人とコミュニケーションが取れるようになった。今では、外国人が料理教室を開催するなど、地域交流が生まれ始めているという。
建物が新しくなると、人の流れも新しくなる。生まれる出会いは、新たな何かを引き起こす。いろいろな人を巻き込みながら、清水さんの手がける建物は、どんな風を吹かせるのだろう。
リノベーションという言葉も知らないまま、かなえたい想いだけでスタートして10余年。想いがそのまま体現されている今を、清水さんはこう言って笑った。
「楽しさしかありません。」