「やるのも覚悟、やらないのも覚悟」〜交流会レポート 【阪神間の若手「すごいすと」と参加者が本音でトーク】

まちと人の個性が、新たなつながりを生む

「人と一緒にものを作っていくのが、めちゃくちゃ楽しい」(吉金潤一郎さん)

「熱量דいける気がする”感覚で、自らをドライブしてきた」(大原智さん)

「自分の子どもが生き生きとできるような地域でなければ、何を言っても説得力がない」(田村幸大さん)

「自分ができないことをしてくれる人が集まったから、やりたいことができた」(奥尚子さん)

「前例がないことをしているので、まずは自分がやってみるしかない」(志水直樹さん)

「好き」な気持ちが、原動力

「好きなことを突き詰めていたら、知らない間に地域活動になっていた」 「活動する中で“覚悟”を決めた瞬間って?」 
2024年9月14日。尼崎市南部に、まちづくりの拠点としてオープンしたばかりの「AMA-NEST(アマネスト)」を会場に、神戸・阪神間で活躍する5人の「すごいすと」と30人以上の参加者が集い、交流会が開かれました。

今回のイベントでは、10代や20代など、若くして活動を始めた「すごいすと」たちが登壇。活動のきっかけや楽しさ、苦悩についてお話を聞き、参加者のテーブルでもそれぞれが自らの「好き」や「挑戦」を語り合いました。

ファシリテーターは、社会起業家として、女性や若者の社会参画に向けて活動する湯川カナさん(NPO法人リベルタ学舎 設立者、なりわいカンパニー株式会社 設立者)。軽妙な進行で「すごいすと」の思いを引き出し、会場は和やかな空気に包まれました。

まず、パネリストとして2人の「すごいすと」が登場しました。

個人紹介

吉金潤一郎(よしかねじゅんいちろう)さん
NPO法人ASK代表理事
2003年兵庫県尼崎市生まれ。スケボー好きの若者たちと共に、2021年、任意団体から活動をスタート。スケボーをする人もしない人も、お互いに暮らしやすいまちづくりを目指して、尼崎市内に常設スケートボードパークの建設を進める。

個人紹介

大原智(おおはらさとる)さん
一般社団法人GREENJAM代表
1984年福島県生まれ、兵庫県伊丹市育ち。2014年、地元の同世代仲間と共に無料野外音楽フェス「ITAMI GREENJAM」をスタート。さまざまな年代や立場の市民が企画・運営に参画する「市民表現文化祭」をコンセプトに毎年開催。取り組みを日常のまちへも還元している。

メンバーたちにグイグイ引っ張られ

吉金さんは高校3年生の時に活動をスタート。趣味のスケボーをしていると、住民の苦情や警察の職務質問を受けることが多く、市役所に「スケボーができる場所を作ってほしい」とメールを送ったことがきっかけでした。

スケボーを通じた輪は広がり、現在は10代〜20代の若いメンバーらと、尼崎市内に常設のスケートパーク建設を進めています。

「僕は『代表理事』ではありますが、メンバーみんなが代表かのようにグイグイと意見を言うので、僕の話なんかほぼ聞いていないような感じで進んでいます(笑)」と吉金さん。

市の職員や地域の大人たちのサポートも受けて、スケボー体験会やマナー講習会などを実施。
2025年度初頭に予定しているスケートパークオープンに向けて、試行錯誤しながら奮闘しています。

苦肉の策が、市民参加の場を生んだ

一方の大原さんが活動を始めたのは29歳の時。バンドや音楽教室主宰の経歴も持ちながら、伊丹市内での音楽フェスの開催を目指し、同世代の友人たちと模索しました。

譲れなかったのが、伊丹市民の憩いの場である「昆陽池公園」を会場にすること。公園での開催には市の許可が必要で、営利開催ができなかったことから、しかたがなく無料での開催を目指すことに。結果として老若男女問わず多くの市民を巻き込むフェスの土台を作り上げることになりました。

「お金がないから、いろんな物を貸してもらったり、いろんな人に手伝ってもらったりする。普段関わることのなかった人たちが大勢手伝ってくれて、その光景を見た時に『文化祭みたいでええな』と思ったんです」

以来、協賛などで収入を得られるようになっても、「自分たちで文化祭的に手作りすることは絶対に守ろう」と決め、市民参加型と無料開催にこだわり続けているのだそう。

吉金さんと大原さん2人に共通しているのは、「好き」なことを突き詰めて仲間と活動するうちに、地域を巻き込むうねりに成長していること。

今回の交流会は「自分の“好き”で社会とつながるには?」をテーマとして掲げましたが、大原さんからは、「参加者の皆さんのテーブルで『銭湯めぐりが好き』『鉄道が好き』といったお話を聞きましたが、好きなものがある時点で既に社会とつながっていますよね」との言葉が。
会場の皆さんも大きくうなずいていました。

活動に向かう、それぞれの“覚悟”

会場ではさらに、3人の「すごいすと」が“スペシャルファシリテーター”として参加者のテーブルに加わりました。語り合いを深めると同時に、会場から挙がるトークテーマにも応じて活動についての思いを話しました。

個人紹介

田村幸大(たむらゆきひろ)さん
NPO法人なごみ事務局長
「自分たちが行きたくなる学校をつくろう」と大学時代から活動。西宮市を拠点に、子どもから高齢者、障害者まで、すべての住人が安心して暮らし続けられるまちづくりに取り組んでいる。

個人紹介

奥尚子(おくなおこ)さん
神戸アジアン食堂バルSALA
大学在学中に出会った在日アジア人女性たちの生きづらさを解消するため、女性たちの母国料理を活かした支援活動に取り組み、2016年、3年間の社会人生活を経て神戸アジアン食堂バルSALAを開業。

個人紹介

志水直樹(しみずなおき)さん
GPSランナー
建設コンサルタントと小学校教師を経て、2019年から走った軌跡で地上絵を描く世界初の「GPSランナー」として活動。「“競わない”ランニング文化を創る」ことをミッションに掲げ、健康、まちづくり、教育、環境など多様なテーマと結びつけたランニングやウォーキングイベントを開催。

会場では、参加者から「すごいすと」たちへ「活動していく“覚悟”について教えてほしい」と言う質問が。

自らが住む小学校区を拠点として多世代が集う場づくりなどを行う田村さんは、覚悟について「地域に手を入れるというのは、ものすごく責任が伴うこと」と話します。
「長年作ってこられた方がいる場所をほんの少しでも変えようとすると、住民全員の賛同が得られることは多分ない。でも、中途半端にやるぐらいならやらないほうがいい。責任を持ち、信頼を得るための一つの方法としてNPO法人を立ち上げました」

活動や事業は一人では成り立ちません。
神戸市で食堂を営む奥尚子さんは、お店で働いてもらうアジア人女性の雇用を守るため、一度社会に出て学ぶことが「覚悟」の一つだったそう。
「大学在学中にアジア人のお母さんたちと屋台を始めて、起業を決めていましたが、卒業後にまず就職を選びました。『お母さんたちの活躍の場をつくる』と言うなら、きちんとお金を稼いで続けていかないといけない。広告会社に勤めてスキルを得てから、株式会社としてお店を立ち上げました」

世界初の職業「GPSランナー」として生きていく道を選んだ志水さんは、「皆さんのように壮大な“覚悟”はなかった」と笑いながらも、安定した職を捨てて挑戦した理由は、いつも質問されることだと話しました。

「教師を辞めてGPSランナーに。人生一度きりなので、常に『面白い方に進もう』と決めているので、1ミリも迷いはなかったんです」と力強く語りました。

一方、10代で活動を始めた吉金さんは、大人たちに「本気度を見せる」ため、NPO法人化したそう。

「最初の方はどこに行って話をしても、大学生のサークルノリのように見られてしまいました。こっちは本気でやっているのに、相手は全然本気じゃない。若いというだけでなめられることに腹が立って、覚悟というより『見返してやるぞ』という気持ちで法人化したのが僕たちの場合ですね(笑)」

「何か」になろうとするな

「すごいすと」たちの熱量を受け活気づく会場の中で、大原さんから一つの提言が。
「覚悟持って何かをやることは素晴らしいんですけど、一方で『やらない覚悟』を持つことも大事だと思っていて」

思いに捉われるばかりに苦しさを感じないようにというアドバイスでした。

「もし、会場の皆さんが何かをやりたいという思いを持ってこの場に来ているなら、覚悟を持ってやっている人ばかり見ると苦しくなるじゃないですか。『何か』に引っ張られるだけでやろうとするのはよくない。『あの人はもちろんすごいけど、私はこれはやらない』というのも自分を幸せにすると思う。それは付け加えたいんです」

思わぬ言葉に、ファシリテーターの湯川さんも「活動や事業を続けていると、背負わされてしんどいと感じる時もありますよね」と共感。続けて、「大原さんは、『この地域だからできた』ということも話しておられた。それこそ、この人だからできた、ということもある。変に『何か』になろうとすると間違ったり、苦しかったりしますね」と話すと、大原さんも「そう。ある種の“あきらめ”も時には必要だと思うんです」と応じました。

それは、活動継続のためにも必要な考え方の一つでした。

田村さんも、「自分は全然すごくないと思っているので、自分ができること以上は望まない。目の前のことを大事にできなければ次がない。できることを真剣にやってきた積み重ねで今があって、まずは地盤づくりをしている感じです」と話します。

今回登壇した「すごいすと」の中で最若手の吉金さんは、周りに意見を求めながら少しずつ挑戦してきたといいます。
「僕は優柔不断。助けてくれる周りの大人たちに『やったほうがいい?やらないほうがいい?』と結構聞いてきました。最近は自分で判断できるようになりましたが、経験を積んできたからこそ決断できるようになったと思います」と、若いうちの経験の大切さについても語りました。

学生が、社会人が、障害がある人が交わり、「好き」を語った

会場では10代から60代の幅広い世代の人たちがテーブルを囲んで交流。
「すごいすと」のお話を直に聞きながら、「私は人と人とをつなぐ活動がしたい」「写真を撮ることが好きで、活動を続けていきたい」など、自らの挑戦を活発に語り合う姿が見られました。

50代の女性は、「皆さんのお話を聞いて、やる気があればなんでもできるんだ。でも、緊張しなくても、できないことがあってもいいんだという気持ちになれました」と、自らの挑戦について参考になったと話しました。

地元、尼崎市内から参加した30代の男性は、「すごいすと」の活動について「ご自身の道の途中に努力や工夫をされながらも、自然体というか当然のように進む道だったんだと感じました」と、感慨深く語りました。

さまざまな立場や職業で活躍する人たちが集い、気づきを生んだすごいすと交流会。
それぞれのまちや人の個性が、新たなつながりを作り出し、地域が活気づく。
そんなお話がたくさん聞かれたイベントの様子は、ポッドキャスト(音声配信)でお聴きください。

PODCAST聴く「すごいすと」

記事に書き切れなかったお話や、活動拠点の紹介などをポッドキャストで配信しています。